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監視(かんし)
講義が終わり夕方の空が赤く染まる頃。匠は大きな溜め息をつきながらカフェのバイトの制服が入ったリュックを背負う。
(はぁ……今日一日ずーっと、アイツの事ばっか……)
頭の中には昨日の遙とその遙の夢の感触がずっと残っている。特に、あの強烈な夢は思い出すたびに心臓がギュッと締め付けられる。
(バイト中くらい忘れさせてくれよな……)
そう思いながら店に到着すると、いつものメンバーが出迎える。
「匠くーん!おっはよー!!」
「ごきげんよう、匠」
ドアを開けるなり元気な声を響かせる鹿島 萌(かしま もえ)と、小悪魔笑顔のアリス、本名は有栖川 銀蔵(ありすがわ ぎんぞう)。
「……おはよ」
気だるそうに挨拶する匠。顔に疲れが滲んでいるのは誰の目にも明らかだった。
「ん?どうしたの匠くん、その顔……あっ!さては……」
「……な、何だよ」
「ズバリ!彼女と致し過ぎて死にそうな顔になってるでしょう!!」
「はぁ!?全然違ぇよ!!」
「キャー!!若いっていいねー!!」
萌はテンションMAXで、その場でクルクル回って喜ぶ。
「もう、アンタって分かりやすいわよねぇ……本当に」
アリスはカウンター越しに肘をつき、やれやれといった表情で匠を眺める。
「……うるせぇ!だから違ぇって言ってんだろ!!」
思わず声を張り上げ制服に着替えようと奥へ逃げ込む匠。
(あークソ……何でバイト中までアイツの顔がチラつくんだよ……)
制服の白のワイシャツをギュッと握り締める。
(何で……俺、こんな……)
胸の奥のモヤが一向に晴れず、むしろ日に日に濃さを増していくばかりだった。
「オーダー入りまーす!」
「はーい」
いつもより無駄に大きな声を出し、何とか平常心を装う匠。だが、何故か手は僅かに震えている。
(……落ち着け……落ち着け俺……!)
ドリンクを作っていると、ふとカウンターに視線が吸い寄せられた。長い銀髪。切れ長の青灰色の瞳。スーツ姿ではなく、何故か休日仕様の落ち着いたシンプルな服装。
「げぇっ!!」
(嘘だろ……!?)
その瞬間、心臓が凄まじい音を立てた。
「いらっしゃいませー!」
萌が接客をする。萌は遙を見るなり、その顔は輝くような笑みに変わった。
「こんにちは!」
遙は静かに萌に微笑み、その後ゆっくりと匠に視線を向ける。
「匠くん……こんにちは」
低く、甘い声が鼓膜に溶ける。店内のバッググラウンドミュージックが遠く聞こえる。
「な、な、何で……」
ドリンクを落としそうになる匠。慌てて抑えるが動揺が隠しきれない。
「あれっ!?もしかして、こちらのイケメンさんと匠くん、お知り合いなの!?」
萌はその場でキラキラの眩しい笑顔で問い掛けてくる。
「アンタ、いつの間に。何処でこんな良い男捕まえたのよ」
アリスはゴスロリの袖を揺らしながら、ニヤニヤと冷やかしの視線。匠は顔を真っ赤にし、必死に目を逸らす。
(また偶然……か?いや、それにしてはおかしくね?)
鼓動がますます荒くなる。匠の動揺を知ってか知らずか、遙の視線はまっすぐに、ただ匠だけを捉えていた。遙は相も変わらず静かな微笑を浮かべながらカウンターに近づく。
「ここでバイトしていたのか……知らなかったな」
その声は驚いたフリをしつつも、どう考えてもわざとらしいほど落ち着いていた。
「なっ……!嘘つけよバーカ!白々しいんだよ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶ匠。持っていた手元のカップがカタカタと鳴る。
「えっ!?えっ!?あの、お兄さん……匠くんとは一体どういうご関係ですか??」
目をキラキラ輝かせながら身を乗り出す萌。
「もしかして、もしかしなくても、そういう関係だったりして……キャー!ヤバッ!はぁー。尊死……尊死……!!」
もはや意味不明な言葉を連呼し、レジの端で崩れ落ちる。
「まぁ……匠。本当なの?」
アリスは口元を隠してクスクス笑いながら、真紅の瞳で匠を見る。
「……コイツら……!!」
匠は腕を震わせながら萌とアリスを睨む。
「全然違ぇ!!ただの友達だ!!」
「友達……ねぇねぇ匠くん、本当にただの友達?」
「お友達……フーン。ちなみに、一体どういう種類のお友達なのかしら?ウフフ♡」
「もうお前ら黙れ!!バカじゃねぇの!?」
耳まで真っ赤にして叫ぶ匠。周りの客が何事かと見守る中、遙はただ静かに、そして優雅に笑っていた。
(やっぱり今日も可愛いな……匠)
その瞳は甘く、けれど狂気を秘めた光で満ちていた。
「……匠くん」
低く、甘く、けれど逃げ場を奪うような声。遙はカウンター越しに更に一歩近づく。
「昨日の夜はちゃんと眠れたか?」
「うっ……!」
顔が一瞬で真っ赤になる匠。夢の中の光景が鮮明にフラッシュバックする。
「そ、そんなの……お前に関係ねぇだろ」
慌てて視線を逸らし、コーヒーマシンの方を向いて背を向ける。
「ふふ……人と話す時は、きちんと相手の目を見て話すのがマナーだ」
「っ……!!」
背中がビクンと震える。ワイシャツをギュッと握り締める匠。
「良いのか、客にそんな態度で」
更に優しく、けれど絶対に逃げられないような響きの低い声。
「う、わ……分かったよ……」
仕方なく、ゆっくりと振り返る。だが、その目は遙の瞳を捉えられず必死に視線が泳ぐ。
(……ダメだ……あの夢のせいで……まともに顔、見れねぇ……!!)
「まぁ、匠ったら、目が泳いじゃってるわよ」
「えぇー!ど、どうしてー!?どうして泳いじゃうのかなー!?」
萌は店の片隅で何故か悶絶して転がり、アリスは口元を手で隠しながら大笑い。遙はそんな二人を一切気にせず、匠だけを見つめる。
「……やっぱり、可愛いな」
その一言が、匠の理性を完全に破壊した。
「あー!!もう知らねぇ!!つうかお前ら俺に構ってねぇで仕事しろぉ!!」
顔を真っ赤にしながら慌てて奥の厨房に逃げ込む匠。
「ふふ……」
遙は静かに笑みを深める。
(……もっと、もっと追い詰めたくなるな)
「折角なので普通のホットコーヒーを一つ、お願いします」
遙は穏やかに、けれど全てを支配するような声で注文する。
「か、かしこまりました!」
萌はとにかく目をキラッキラさせ、ノートに謎のメモを書き始めている。
「そして、そのコーヒーは……匠くんに持ってきて貰いたいんだが」
「……はい!勿論!是非!!」
匠は奥の厨房からその声を聞いた瞬間、膝がガクッと折れそうになる。
(……何で俺が……!!)
「匠くーん!ご指名入りましたー!」
「ウフフ……この調子で目指せナンバーワンね」
「うるせぇ!!ここはカフェだ!」
顔を真っ赤にしたまま、コーヒーをドリップ。ヤケクソでカップを持ち遙の席へ向かう匠。
「お待たせ致しましたぁっ!!」
バァン!!!!
テーブルが壊れそうな勢いでカップが置かれた。その衝撃は凄まじく、コーヒーが零れてしまっている。しかし遙は全く動じず、読んでいた本を閉じて静かに匠を見上げる。
「俺のカフェインの摂取量を気にしてくれたのか?……半分にしてくれて有難う、匠くん」
「う……。ご、ごゆっくりどうぞ……」
(嫌味な奴!!早く帰れ!!)
拳を握り今にも噛みつきそうな勢いで睨む匠。だが、その瞳には怯えと戸惑いが混ざっていた。萌はカウンターから飛び出しそうな勢いで見守り、アリスは二人の様子を見て高笑いをしている。遙はそんな周りを完全に無視して、ただ匠だけを見つめ続ける。
「……君が運んでくれただけで、美味しさ倍増だ」
「……うううっ!!」
顔面真っ赤、今にも爆発寸前の匠。
「もう……本当に知らねぇ!!!」
叫びながら厨房へ再度逃げ帰る匠を遙は楽しげに、そして満足げに微笑んで見送った。
「……はぁ……」
閉店後の店内、匠は疲労困憊でカウンターに突っ伏していた。色々あり過ぎて心も身体もヘトヘト、もう立ち上がる気力すらない。
「匠くん!!お疲れー!!」
萌は最後までテンションMAXで叫び、アリスは相変わらず馬鹿にしたように笑ってくる。
「匠、良い顔してるじゃない……今のアンタ、脳みそ溶けてるわよ、きっと♡」
「頼むからもう放っておいてくれ……」
放心したように呟く匠。
「……お疲れ様、匠くん」
低く、優しい声が上から掛かる。背筋がゾワッとする感覚に、匠はビクンと肩を跳ねさせる。
「なっ……お、お前、まだ居たのかよ!!」
遙は微笑を浮かべながら一歩近づいて来た。
「もう夜も遅い、送っていく」
その声はあくまで穏やかで優雅。しかし、奥底には拒否権など無い……という冷たい支配が潜んでいる。
「い、いらねぇよ!!!」
「……しかし」
「いらねぇっつってんだろ!!」
必死に叫び、リュックを掴んで従業員出入口の扉に向かう匠。顔は真っ赤、息は荒い。
「お、お疲れ様でした!!」
まるで逃げるように店を飛び出す匠の後ろ姿を遙は静かに、しかし満足げに見送った。
「……どうしてそんなに可愛いんだ?お前は……」
低い呟きが、店内に溶けて消えた。
「はぁっ……はぁっ……」
全速力で走り息を切らせながらアパートに辿り着いた匠。顔は真っ赤で髪は乱れ、手は震えていた。
(……クソ……マジでアイツ……!!)
胸の奥が、まだバクバクと騒いで止まらない。
(早く帰って……もう寝る……!)
足を引きずるようにして、やっと自分の部屋の前に。
「はっ!?」
玄関の前に立つ人影を見て、その場で固まった。街灯に照らされる銀髪。切れ長の青灰色の瞳が静かに、けれど確実に匠を捉えていた。
「……おかえり、匠くん」
低く、優しい声。だけどその奥には逃げ場を奪うほどの圧があった。
「な、なっ……何で……つうか、いつの間に!?」
声が裏返る匠。鍵を握る手が、ガタガタと震える。遙は一歩近づき、まるで肉食動物が獲物を追うように詰める。
「……待っていた」
「お、お前っ……」
膝が笑いだし、身体が思うように動かない。
「君が無事に家に着いたか見守るのは……俺の役目だからな」
遙の瞳が夜の暗さを照らすように鈍い狂気で光る。
「……それ、ただのストーカーだろ……」
必死に解錠しようとするが、視線が怖過ぎて鍵穴に鍵が上手く入らない。
「やっと、二人きりだ……」
遙の声が耳元に届く距離まで近づいてきた。
「……くっ!!」
匠は震える手で必死に鍵を差し込み、ガチャガチャと回す。
(……早く……早くっ!!)
カチッと鍵が開いた音。急いで扉を開け中に滑り込み、そのまま閉めようとする。しかし、その瞬間。
「……えっ」
閉めようとした扉に何かが当たる感触。恐る恐る振り返ると、そこには遙の靴が挟み込まれていた。
「お、お前……っ」
「ふふ……お邪魔します。あぁ、お気遣いなく」
遙は静かに微笑む。閉じようとした扉が開かされ一歩、また一歩と足を踏み入れると、そのままスッと部屋に侵入してきた。
「……」
匠は言葉を失い完全に硬直。何故か冷や汗が止まらず、真っ赤だった顔から血の気が引いていくのが分かる。まるで自分の家に帰ってきたかのように、遙は静かに玄関を閉める。
「落ち着ける場所で話したいと思ってな」
「……な…に……」
震える唇から上手く言葉が出てこない。遙はその顔をじっと見つめ、僅かに微笑んだ。
「……可愛いな、匠くんは」
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