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崩壊(ほうかい)
匠は歯を食いしばり、全身を震わせながら拳を握り締める。
「順番を間違えてんだろーが!!」
怒声が夜の街に響く。通行人が何事かと二人を見るが匠はそんな事を気にする余裕は無かった。遙も至って冷静な表情で話を聞いている。
「この、ドS変態鬼畜絶倫モンスター!!」
顔は真っ赤、瞳には涙が滲む。それでも言葉は止まらない。
「普通は……っ!」
唇を噛み、視線を逸らす。
「普通は……まず、ちゃんと告白して、デートして……そういうのだろ!!……なのに、いきなり、あんな……!!」
声が詰まり、喉が震える。
「お前が……お前が全部めちゃくちゃにしたんだよ!一人で勝手に暴走しやがって!!」
目を潤ませたまま必死に息を整える匠。
「……俺の心も、身体も……全部……っ」
遙はその場に立ったまま静かに匠を見つめる。青灰色の瞳が細くなり、口元にはゆっくりと笑みが浮かぶ。
「ははっ……面白いな、お前は」
低い声が、甘く響く。匠は拳をギュッと握り、肩を震わせる。
「何笑ってんだクソが!!……もう、お前のせいで……俺は、ぐちゃぐちゃだって言ってんだよ!!」
声が震え涙が込み上げる。
「バカ!!アホ!!レイプ魔!!」
感情が溢れ、叫ぶたびに涙が頬を滑り落ちる。
「どうしてくれんだよ!!」
息が乱れ、喉が詰まりそうになる。
「……あんな事……俺にして……っ」
顔をくしゃっと歪め、泣きながらも再び視線を遙に向け、琥珀色の目できつく睨んだ。
(……このクソ犯罪者め……!)
震える胸の奥で、言葉に出来ない熱が蠢いていた。遙はそんな匠にゆっくり一歩、また一歩と近づく。口元には何処か満足げな、そして底無しに甘い微笑み。
「……昨日も沢山見たが、やっぱり泣いてる顔が一番、最高に可愛いな。……匠」
「お前マジで最低だな、もう逮捕されちまえ」
匠の発言を無視し、遙は一気に距離を詰め、震える匠の身体を強く抱き締めた。
「や、やめろっ……!」
必死に手で押そうとする匠。けれど、その抵抗はあまりにも弱く、無駄だと悟ると力がふっと抜ける。
「……くそぉ……またこのオチかよ……」
息を詰め、ギュッと目を閉じる匠。その背を遙は更に優しく、けれど絶対に逃がさない強さで包む。
「……お前の気持ちを無視して……済まなかった」
声は低く、落ち着いた音。
「だが、どうしても、お前が欲しかった……」
言葉を吐き出されるたび匠の指が僅かに震える。
「俺にも分からないんだが……こんなに人を好きになるなんて、初めてなんだ……」
その声には抑えきれない感情と、隠しきれない執着が滲んでいた。匠は震えながら胸に顔を埋める。
(……だからって襲うなよ……)
心の奥で未だ理解出来ない感情が点滅する。遙は静かに、しかし胸の底から絞り出すように言葉を紡ぐ。
「ふふ……お前の言う通り、順番を間違えてしまったな……」
視線を逸らさず、ただ匠だけを一点に見つめる。その表情は夜の街灯よりも眩しくて、美しい。昨夜の彼と同一人物とは思えない。
「っ……」
匠は一瞬、言葉を失う。それでも、怯えと困惑が混じる琥珀色の瞳でまっすぐに遙を見る。胸がドクンと大きく鳴り、呼吸が浅くなる。
「何度でも言う。お前が好きだ……匠」
低く鋭い真剣な声。
「……俺のものになれ」
その言葉は優しさではなく完全な支配者のような台詞。しかし同時に遙自身の誤魔化しの無い、直接的な愛情が溢れていた。
「うっ……」
胸の奥がズキリと痛む。でも、何故か完全に拒絶する言葉はもう出てこなかった。
「お前さ、恋愛初心者かよ、信じらんねぇ。マジでバカだろ」
息を詰め、視線を泳がせながらも悪態をつく匠。
「お前の愛の告白はもう聞き飽きた!だから言ってんじゃん……まずはデートだろ!」
匠は顔を真っ赤にし、怒ったように言い放つ。その声には少しだけ優しさと決意が混ざっていた。
「……何だと……?」
一瞬、遙の青灰色の瞳が驚きで揺れる。そして、フッと、柔らかく、何処か安堵したように笑う。
「……あぁ……そうだな」
小さく、けれど確かな返事。その声は初めて見せるような静かな優しさに満ちていた。夜風が静かに二人の間を吹き抜ける。その流れる空気は、もう以前のように完全なすれ違いや一方通行では無かった。
「現金なヤツ……」
「ふふ……」
少しずつ、少しずつ。二人の歪でまっすぐな関係が動き出していった。
「あ、言っとくけど昨日の事……別に許したワケじゃねぇぞ、まだムカついてんだからな」
(こんな奴……嫌いだ……嫌いな奴なんだ……っ)
視線を逸らし、顔を赤くしたまま匠がボソッと呟くが、それは精一杯の抵抗。声は小さく何処か弱々しい。遙は少し目を見開き、しかしすぐに柔らかく笑ってみせた。
「ははっ……そうか」
僅かに顔を近づけて琥珀色の瞳を見つめる。
「なら……またお前の全てを奪うだけだ」
「なっ!?少しは反省しろよ!!」
遙のその言葉には、揺るぎない決意と狂おしいほどの愛が滲んでいた。思わず反論した後、ただ真っ赤な顔で視線を逸らす。匠の胸の奥では止めようのない何かが静かに、でも確実に育っていくのを感じていた。
夜風が静かに吹く帰り道。街灯が二人の影を長く伸ばす。匠はポケットに手を突っ込み、ぶっきらぼうに歩く。顔は真っ赤のまま、視線はずっと前を向いたまま。
「……チッ、何で隣歩くんだよ」
小声でボソッと文句を言う匠。しかし歩幅は遙に合わせていて、決して逃げようとはしない。遙は無言のまま、匠の横を歩く。青灰色の瞳は穏やかで、それでいて何処か愉しげに光っている。ふと、匠のパーカーのポケットにある手を見て、口元に僅かな笑みを浮かべる。
「……手、繋いでくれないか?」
静かに囁く遙。
「はあっ!?バカかお前、調子乗んなっ!!」
思わず声を張り上げ顔を更に赤くする匠。口を尖らせ、そっぽを向く。
(ケッ!昨日の仕返しだ!バーカ!)
「……そうか」
低く笑い、遙はそれ以上無理強いしなかった。ゆっくりと歩幅を揃え、夜の道を二人並んで歩く。
(嫌いだ、お前なんか……でも……本当は……?)
胸の奥に残る、ほんの少しの温かさに気づきかけて匠は小さく心の中で舌打ちした。
「バカ……」
その小さな音は、まるでこれから始まる関係を隠しきれない照れ隠しのように夜風に溶けていく。
匠のアパート近くまで来たところで、遙が強引に匠の手を取った。
「な、何だよ!やめろっ!」
「やっぱり、どうしても繋ぎたい」
必死に抵抗する匠。しかし遙の力にはやはり敵わない。結局無理やり手を繋がされたまま歩く。アパートの前に着いた瞬間、匠はバッと手を振りほどき、そっぽを向く。
「はいはい、サービス期間は終わりだ!」
頬は真っ赤に染まり耳まで赤い。遙は小さく、そして何処か嬉しそうに苦笑する。
「ふふ……では料金を払って延長しよう。……と言いたい所だか、今日はもう帰る。……またな」
そう言って遙は背を向け帰ろうとする。
「……あ、明日……」
声が震え、途切れそうになる。
「どうせ暇だろ!!……で、……っ」
目を逸らしながら唇を噛む。
「デート……する?」
遙は一瞬動きを止め、ゆっくりと振り返る。青灰色の瞳が優しく細められ、口元に微笑が浮かぶ。
「……何処に行きたい?」
低く、どこまでも優しい声。匠は、また顔を真っ赤にしてプイッと顔を背けた。夜風が二人を応援するかのように、そっとそよぐ。照れ隠しの舌打ち、振り払われた手、でも確かに生まれた繋がり。その夜、匠の心にはまだ形の見えない、不透明な感情が渦巻き続ける。それでも、一歩ずつ確かに進んでいく気配。胸の奥で静かに、でも確実に何かが芽生え始めていた。
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