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飽食(ほうしょく)

暗い寝室。無数の赤い痕、震える身体。喉からは、もう声が出せない匠。 (もう無理……死ぬ……) 汗で髪が張り付き、琥珀色の瞳は涙で滲む。遙は水の入ったグラスを手に取り、匠の額にそっと触れる。グラスの中で揺れる水面が、匠の怯えを映すようだった。 「……限界か?」 声が出ない匠は、返事の代わりに小さく首を縦に振る。遙は微かに笑みを浮かべ、グラスから水を一口含む。そして匠の唇へ、ゆっくりと口移しで水を注ぐ。 「……ん……っ……」 匠の喉が震え、水を必死に飲み込む。その光景は、まるで親鳥が雛に餌を与えているよう。 「……良い子だ」 遙の手は匠の顎を支えてもう一度、少し多めに水を含ませる。 「……んんっ……」 遙の青灰の瞳は甘く、しかし底に淀む狂気は未だに衰えていない。 「……本当に声が出せなくなったか、良かったな。これで、もう回数は増えない」 再び口を重ね、水と共に熱い吐息を流し込む。 「分かっているとは思うが……後は無許可でイかなければ大丈夫だ」 「……ぅ……っ」 遙の手が匠の脇腹を撫で、腰に回り込む。 「さて……休憩は終わりだ」 「っ……!」 匠の口元には僅かな水滴が痕跡のように残る。遙はそれを舌で舐め取り、笑う。 「……まだ増えた回数分、してないからな」 そして再び暗転の深みへ沈められていく。 陽が差し込み、うっすらと明るくなった部屋。匠は毛布にくるまり、虚ろな目で遙を見る。 (……いや……夜通しかよ……) 遙は隣で涼しい顔。昨日の氷が溶けたアイスコーヒーを飲みながら新聞をめくる。 「起きたか」 「……見りゃ分かんだろ」 「顔色が悪いな……」 匠は毛布の中でブルっと震える。 (コイツは……どんだけ鬼畜なんだよ……) 「ふふ……どうした?」 「何でもねぇ……」 (ドン引きだよ……鬼畜過ぎんだろ……いくら何でもヤリ過ぎだ……) 遙は口角を上げ、匠を見下ろす。 「……何を考えている?」 「別に……」 遙は匠の頬にそっと手を当て、優しい声で囁く。 「昨夜の続きを今すぐしたい所だが……今は許してやる」 「っ……!?」 (……こ、これ以上ヤラれてたまるか……マジ死ぬって……つか殺す気だろ!!) 遙は微笑み、匠の髪をくしゃっと撫でる。心の中では、ひたすらに罵倒するも、やっぱり赤くなってしまう匠の頬。 「……可愛いな。これ以上お前に触っていたら我慢出来なくなる」 匠は赤面しながら、おずおずと毛布に潜り込んだ。 カーテン越しに差し込む厳しい夏の陽射し。あの後いつの間にか眠ってしまったようだった。連日に渡る遙の激しい行為のせいで、匠の身体は満身創痍の状態。重たい体を引きずりながら、匠が薄く目を開ける。シーツには昨夜の名残、甘い香りと熱の痕跡。 (……遙は仕事に行ったか) 視線を部屋中に彷徨わせ、机の上に置かれたスマホを手に取ると遙からのメッセージが残っていた。 【コーヒーは冷蔵庫に。ゆっくり休め】 (……よく言うぜ……) 脳裏に昨日の記憶が一気に流れ込むと、心の中で吐き捨てた。そして同時に、羞恥に襲われる。 「っ……くそ、遙の奴……盛りのついた犬だなありゃ……何が甘やかしてやるだよ……ふざけやがって」 指が勝手に首筋に触れ、赤く残る痕を感じ取ると汗が滲み、薄紅に染まる頬。喉が詰まり吐息が荒くなる。 「一番ふざけてんのは俺なのか?……何で心の底から否定出来ないんだよ……」 ポツリ、呟く匠。思い出すたび脈打つ胸、腰が小さく震える。唇を噛み、何度も目を覆うが甘く歪んだ記憶は逃がしてくれない。段々と目尻に溜まる涙。脳裏に残る狂愛の囁きと深い口付け。何度も遙の熱が出し入れされた箇所が疼く。 (もうやめろ……思い出すな……!) 声にならない呻きと共に、匠は再びシーツに顔を埋め羞恥と快楽の残響に一人、悶絶するしかなかった。 覚束無い足取りでカフェの裏口に到着する匠。 (大学は今日はもう無理。せめてバイトだけでも……) 店内に入ると即座にテンションが高い萌にロックオンされる。 「おっはよー匠くん!」 「……おはよ、萌ちゃん先輩」 「ありゃりゃ、何か今日もお疲れだね、大丈夫?」 「……う、うん」 「絶対大丈夫じゃないね!良かったら話聞くけど!」 「いや、本当に平気……」 萌は全力で目をキラキラさせながら接近。匠は、げんなりした表情で奥へ行こうとするが萌に遮られた。 「もしかして、この間の銀髪イケメンお兄さんと何か関係ある?」 「……は!?何で遙が出てくんだよ!!」 「ん?はるか?あのイケメンさんの名前、はるかさんっていうんだ……へぇ〜!!」 (しまった……つい話しちまった!) 萌は興奮のあまり、背後でメモを取り出し何かを書き始める。 「そのはるかさんとやらと……ナニかあったね!?これはあくまで私の推理だけど、匠くんあの日からどんどん衰弱してるし!あぁ〜どうしてかな!?」 「そんなワケねぇだろ!!いい加減にしろ!!」 (この人は何で分かるんだ……!?) 愕然とする匠。頬に手を当てその場でクルクルと回る萌を無視して、匠はバイトの制服に着替える。図星を突かれ、思わず指が震えてボタンを上手く留められない。顔は赤く染まり始め、鼓動が早まる。 (やっぱり休めば良かったかな、バイト……)

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