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深愛(しんあい)
カーテン越しの夏の強い陽射しが眩しい。時計の針は既にお昼を回っていた。遙の腕の中で匠がむにゃむにゃと小さく動く。
「ん……もう昼……?」
まだ重たい瞼を擦りながら、ぼんやりとした声。乱れた髪の隙間から汗の名残がうっすら見える。
「……昼、だな……」
遙は低い声で返し、柔らかく微笑む。匠の頬に掛かる髪をそっと払う指先は、まるで撫でるように優しい。
「……ん、んんっ……」
匠はまだ眠気と甘い余韻に揺られている。けれど、その表情は何処か安堵と幸せが混ざったような柔らかいもの。遙の胸板に顔を押し付ける匠。小さく呼吸を整えるたびに、遙の肌に熱い吐息がかかる。
「……ちょっと寝過ぎたかな」
「今日は休みなんだから気にするな……」
「お前……だからあんなに激しくシたのかよ……」
恥ずかしそうに顔を背ける匠に、遙は小さく笑い更に強く抱き寄せる。
「何を言っている……それを望んだのは匠だろう」
「うっ……や、やめろ……」
「ふふ……最高だった。思い出したらまた興奮してきた……」
低い声で囁きながら、額にそっと口付け。休日の昼下がり。二人だけの甘くてゆるい時間が流れていく。
「なぁ、遙……」
ふんわりとした匠の声が、小さく空気を震わせる。
「……何だ」
「昨日の、俺が思う好きとは違う、っての……具体的にどういう意味?」
薄く開いた琥珀の瞳がまっすぐに遙を見つめる。無邪気さの奥に、微かに震える恐れと確かめたいという必死さ。遙は一瞬、眉を下げる。長い睫毛が影を落とし、その青灰の瞳に複雑な色が混ざる。
「ふむ……」
低い声が、静かに匠の耳に落ちる。
「そうだな……お前の云う好きは……」
優しい手が匠の頬を包む。
「温かくて、素直で、相手の事を考える、好き」
匠の唇が小さく震える。遙は更に言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「一方、俺の好き、は……醜くて、重い。支配欲、独占欲、壊したいと思う程の執着……」
遙の指が頬から首筋へ滑る。その触れ方は優しいのに、言葉の奥は限りなく深い闇。
「……お前を、全部自分のものにしたい。正直、お前の幸せより俺の欲望が先に来る……そんな、自己中心的な感情だ」
「っ……!」
匠は視線を泳がせるが逃げようとはしない。
「俺は……お前が欲しい。匠が居ないと、もう駄目だ。何も要らない。興味も無い」
小さな声で吐き出される支配者の告白。匠の瞳には何故か涙が滲んだ。
「……は、はるか……」
呟くように呼ばれ、遙の青灰色の目が細められる。次の瞬間、ふわりと微笑みが零れる。
「……やはり、怖いか?」
低い、けれど何処までも優しい声。匠は一瞬だけ目を伏せるがすぐに震える唇を噛み締めて、首を横に振った。
「……別に、怖くない……だって俺……」
喉が詰まり、呼吸が浅くなる。
「……それでも、そんな遙が……好きだから……」
静かで壊れそうな、でも確かに強い声。安心したように、遙の瞳が溶けるように柔らかく揺れる。
「匠……」
吐息混じりに名前を呼ぶ低音の声は、喉の奥で小さく震えたようにも聞こえた。
「俺も……」
遙の指先が、そっと匠の頬をなぞる。指の腹に伝わる熱と涙の湿り。
「……好きだ……」
囁くように、でも堪え切れない熱が滲む声。
「……好き過ぎて……気が狂いそうだ……」
匠の琥珀の目が大きく揺れる。遙は小さく笑う、けれどその笑みは壊れかけたように切なくて。
「いや、もう……既に狂っている……」
瞳の奥で狂気と愛情が溶け合い、危うい光を放つ。
「お前の事を考えるだけで、息が詰まる。触れないと死んでしまう……」
匠の唇が微かに開き、震える声が漏れる。
「遙……」
「……お前の全部が欲しい。心も、身体も、呼吸も、何もかも全てだ」
その声には嘘も装飾も無い。ただ剥き出しの欲と愛。
「俺は本当に、お前を壊すかもしれない。それでも……」
指が頬から首筋へ滑り、更に身体を抱き寄せる。
「……お前を離すつもりは無い」
近過ぎる距離で、二人の視線が重なる。匠は小さな喉の音を立てて、必死に言葉を紡ぐ。
「上等じゃん……受けて立つぜ……」
遙の青灰の目が大きく見開くと次の瞬間、深い息と共に額を押し当てる。
「……良く言った。流石俺の匠だな……」
二人は、まだ昼の厳しい夏の光の中で抱き寄せ合っていた。
「……たまには、まともなデートでもするか。前に誰かがダブルブッキングしてくれたお陰で出来なかったからな……」
匠はバツが悪そうな顔をする。
「まだ怒ってんの?もう終わった話だろ……」
呆れた声。確かに悪い事をしたと思っている。だが何日も前の事を蒸し返され、罪悪感と一緒に苛立ちを覚える匠。
「そんな態度取っていいのか?お前、もしかしてまだ反省していないのか……」
遙の長い指が首筋の赤い痕を撫でる。匠はビクッと震え、息を詰める。
「いや!反省した!マジで!……ごめん」
匠の顔が一気に青ざめ、顔を引き攣らせる。もそもそと遙の腕から逃れると身体を起こした。
「……出かけるなら、準備しないと……」
遙は一瞬視線を伏せ、そしてふっと口角を上げる。
「ふふ……そんなに怖がらなくても大丈夫だ。折角の休日だからな。……身体が辛いなら、今日は、ちょっとしたドライブだけでも行くか」
「……う、うん……」
匠の瞳に少しだけ光が戻る。
「その代わり、今夜また沢山可愛がってやる……」
低く甘い声。匠はゾッとするほどの戦慄を覚えながらも、小さく頷くしかなかった。
「よし、では起きるか。しかし辛そうだな、着替えを手伝ってやろうか……」
「……じ、自分で出来るしっ……」
フラフラと歩く匠を見て、遙は小さく笑った。そして遙も立ち上がって匠に近寄ると、そっと頭を撫でる。
「……可愛いな、匠」
疲弊した身体を支えながら、期待と不安が入り混じる表情で遙を見上げる匠。果たして、デートは本当に、無事に、平和に終わるのか。
車のエンジン音が、ゆっくりと静かな住宅街を抜けていく。普段なら高層ビルが立ち並ぶ喧騒の中にいる二人だが、今日は特別。遙の黒塗りの高級車は都会を離れ、緑の多い郊外の道を走る。窓を開けると夏の匂いが風と一緒に流れ込んできた。匠は助手席で、まだ少し身体を引きずるように座っていたが、徐々に表情が柔らかくなっていく。
「いい天気だな……。いかにも夏の青空ってカンジ。絵にしたい……」
ポツリと漏れる声。遙は視線を逸らさず、ステアリングを握る指に力を込めた。
「お前が、こんな風に外を見て笑うのは何だか久しいな」
「いやいや、全部お前のせいだろ……」
小さく呟く匠。その声を、遙は聞き逃さなかった。
「……何か言ったか?」
遙の一段と低い声に匠は顔を逸らし、無理やり窓の外に目を向ける。
「な、何でもない!」
しばらくして、静かな湖の見える小さな駐車場に到着する。車を降りた途端、湿った森の匂いと湖面を渡る涼しい風が頬を撫でた。遙は後部座席からブランケットを取り出し、匠の肩にそっと掛ける。
「もしかしたら少し冷えるかもしれない、風邪を引かれたら困る」
「いや、今は普通にあちぃからいらねぇんだけど……」
そう言いながらも、匠の指はしっかりブランケットを掴んでいる。
「それにしても静かだな。……人も居ないし、いい所じゃん」
匠がポツリと言うと、遙も同じように湖を見つめる。
「お前と居ると、何処でも素敵な場所になるな。本当に……」
「はぁ……」
匠は照れくさそうに息を吐き、背を向けて湖に近づく。遙は、その背中を見つめながら、フッと微笑む。
「……帰ったら、今夜は何回するか……」
「今この流れでアホな事言うなよ!せっかくのいい雰囲気が、お前のせいで全部台無しだバカ!」
湖面に響く匠の叫び声と遙の笑い声。そして静かに揺れる水面は、まるで二人の心を映す鏡のように煌めいていた。しかし突然、湖畔の静寂を破るように後ろから陽気な声が響いた。
「おーい、兄ちゃん達!」
二人が振り返ると釣り竿を担いだおじさんが一人、ニコニコと笑いながら近づいて来た。
「いや〜、こんな所に若い子二人でデートかい?いいねぇ、青春だ!今は多様性の時代、男同士でもおじさんは応援するぞ!!」
「……デ、デートっ!?あっ、あの、えっと……」
匠の顔は一瞬で真っ赤になり、ブランケットをギュッと掴んで後ずさる。
「はは、照れるなよ!ほら、湖は静かで魚もよく釣れるんだ。二人で一緒にやってみるか?」
おじさんは嬉しそうに釣り竿を差し出す。遙は無表情のまま、ゆっくりとおじさんを見やると淡く微笑む。
「……いえ、俺は恋人を見てるだけで十分です」
「お、お前……何言ってんだよっ!」
匠は更に赤くなって、ブランケットで顔を隠す。
「おっ、そうかそうか!若いっていいねぇ……!」
おじさんは朗らかに笑い、軽快に釣りの準備を始める。遙は匠の方に歩み寄り、そっと腰に手を置く。
「ほら、落ち着け。あの人には俺達の仲の良さを見せつけるだけにしておいてやる」
「や、やめろって……もうっ!」
匠の声は情けなく震え、まるで湖の風に溶けるようにか細かった。おじさんは竿を振り、湖に糸を垂らしながら大声で話す。
「おいおい、二人とも若いんだから、もっと外で楽しめよ〜!釣りはいいぞぉ!」
豪快に笑って、そのまま釣りに集中し始めた。遙はそんなおじさんを一瞥し、妖しい笑みを浮かべる。
「……それとも、ここで昨日の、いや、朝の続きをするか?姿は見せられないが、お前のいやらしい声だけは聞かせてやれる……」
「っ……!?」
匠はもう言葉にならず、ただブランケットの中で顔を埋めて震えていた。そんな二人の様子には気づかず、おじさんは今日もマイペースに釣りを楽しんでいたのであった。
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