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第2話 論理の書斎
指定された日、蓮と陽は都心にそびえ立つ『Elysion Games』の超高層ビルを見上げていた。
「うわ……映画に出てきそうな会社だな」
陽が素直に感嘆の声を漏らす。一方の蓮は、冷めた目でビルを観察していた。エントランスのセキュリティシステム、警備員の配置、監視カメラの死角。職業病、あるいは性分と言うべきか、彼の目は常にアラを探している。
受付を済ませ、スタッフに案内されたのは、ドーム状の部屋だった。中央には、SF映画から抜け出してきたような白いカプセル――フルダイブ型VRシステム『Dive Pod』が二台、鎮座している。
「本日のテストプレイは、チュートリアルを兼ねた初回限定シナリオ『Gothic Mansion』となります。制限時間は90分。目的は、館に隠された『二つの鍵』を見つけ出し、脱出することです」
事務的な説明の後、スタッフが退室すると、陽は期待に目を輝かせた。
「すっげえ……。なあ蓮、いよいよだな!」
「ああ。お手並み拝見と行こうじゃねえか。謳い文句が本物かどうか、俺の目で確かめてやる」
斜に構えながらも、その声には抑えきれない好奇心が滲んでいた。
ポッドに入り、意識が白い光の向こう側へと沈んでいく。
次に目を開けた時、二人は古びた洋館のホールに立っていた。ひんやりとした石の床、高い天井から吊るされた巨大なシャンデリア、壁に並ぶ不気味な肖像画。五感の全てが、ここが仮想現実であることを忘れさせるほどにリアルだった。
「……マジかよ、これ」
陽が自分の手を見つめ、固まっている。一方、蓮はすでに周囲の観察を始めていた。目の前の重厚な扉に、二つの鍵穴と文字が書かれたプレートがあるのを確認する。
「『論理の鍵』と『感情の鍵』、か。……安直なネーミングだな」
蓮は右側に続く廊下を指差した。
「行くぞ。感傷に浸っている暇はない」
「へいへい。天才サマはさすが冷静ですねー」
軽口を叩きながら、陽は蓮の後に続いた。
たどり着いたのは、天井まで届く本棚に四方を囲まれた、巨大な円形の書斎だった。埃と古い紙の匂いが、鼻をつく。
「よっし、謎解きタイムだ!」
陽はゲームプレイヤーとして、ワクワクしながら辺りを見回した。早速、机の上に置かれた羊皮紙の巻物を見つける。
「『賢者の涙に始まり、愚者の微笑みに終わる。七つの言葉を紡ぎし時、真実への道は開かれん』……なるほど、物語系の謎解きか!」
陽は、巻物を片手に、書斎に散らばった他のヒントを探し始めた。タイトルに「賢者」とつく本や、「涙」を連想させる装飾など、ゲームの製作者が用意したであろう「正攻法」のルートを、楽しみながら進んでいく。
一方、蓮はその謎解きに一切参加しようとしなかった。彼は部屋の中央に立ったまま、腕を組み、ただ、じっと空間そのものを観察している。
「おい、蓮! 手伝えって! ヒント探し、一人じゃ大変なんだけど!」
陽が声をかけるが、蓮は視線を動かさない。
「茶番だ。付き合う気はない」
「はあ? これがゲームの醍醐味だろ!」
「製作者の掌で踊らされるのがか? 俺は、このシステムの『外側』に興味がある」
蓮は、本のタイトルやヒントの文章には目もくれず、このVR空間を構成する「プログラムの綻び」を探していた。AIによる自動生成を謳う以上、どこかに必ずパターンや仕様の穴があるはずだ。彼は、何万冊とある本のモデル、その一つ一つの影の落ち方、テクスチャの解像度、棚との接触判定の僅かなズレ――常人では決して気づかない、データとしての「違和感」だけをスキャンしていた。
陽が三つ目のヒントを見つけ、物語の半分を解読した頃だった。
「……見つけた」
蓮が、静かに呟いた。
彼が見つけたのは、謎の答えではない。この部屋に置かれたオブジェクトの中で、特定の法則で配置された七冊の本だけ、描画処理の負荷がコンマ数パーセントだけ高いという、システムの「抜け穴」だった。
蓮は、謎解きに夢中になっている陽を尻目に、その七冊の本へと一直線に歩み寄る。そして、内部データIDの昇順であろうと推測した通りの順番で、本に触れていった。
ガコン、と重い音がして、部屋の一角の本棚がスライドし、隠し通路が現れた。その奥の台座に、銀色の鍵が置かれている。
「は……? なんで……? オレ、まだ謎の途中なんだけど……」
陽は、三つ目のヒントが書かれた羊皮紙の巻物を片手に、呆然と立ち尽くした。
蓮は、こともなげに台座から銀色の鍵を拾い上げると、陽に向かって、わずかに唇を釣り上げて笑った。
「お前、まだそんな無駄な手順ルーティンを踏んでいたのか。製作者が用意したレールの上を律儀に歩くのが、そんなに楽しいか?」
その煽りに、陽の怒りが爆発した。
「は!? お前、それ、どう見てもチートだろ!ズルい! 最低!」
「チートじゃねえ。システムの脆弱性を突いただけの、論理的な最適解だ」
「うるさい! オレが一生懸命『賢者の涙』がどうとか考えてたのがバカみたいじゃん!」
「馬鹿みたい、じゃねえ。実際馬鹿なだけだろ」
「むかつく……!こういうゲームは結果だけじゃなくて過程を楽しむもんだろ! この効率厨! お前みたいな邪道プレイヤー、オレは認めないね!」
「楽しみ方の定義を、俺に押し付けるな。俺は、製作者の意図を超え、システムそのものを攻略することにこそ、至上の喜びを感じる。お前には、一生理解できねえだろうがな」
陽は怒りを通り越し、思わず天を仰いだ。
「もういい! 絶対、次の謎はオレが先に解いて、お前のその理屈っぽい鼻っ柱、へし折ってやるからな!」
「期待せずに待ってるぜ。……ま、お前みたいなド素人には、無理な話だろうがな」
「ああもう、うるさいうるさい! 聞こえませーん!」
陽は、ぷんすかと怒りながら、子供のように両耳を塞いで隠し通路へとズンズン歩いていく。蓮は、そんな陽の背中を静かに見つめていた。
ゲーム自体はもちろんだが、陽のくるくる変わる表情と剥き出しの感情。非合理なそれらは、確かに蓮を退屈させないのだった。
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