9 / 15
09 ふたりの過去⑤ そばにいてください
泣き疲れたレンを寝かせたあと、椋はリビングに移動し、石岡と社長から話を聞いた。
レンが本格的に俳優へと転向したのは2年前――ちょうど、椋が保育士として夢を叶えたのと同じ頃だった。
下積みで磨いた演技力は高く評価され、出演作の数も注目度も、うなぎのぼりだった。
でもその裏で、少しずつ――確実に、レンの心はすり減っていった。
「子ども返りのような症状が出始めたのは、ちょうど主演作が決まった頃からです」
石岡が低く静かな声で語る。その奥にある悔しさや無力感が滲んでいた。
「私が気づいた頃には、部屋はおもちゃやぬいぐるみで埋め尽くされていました」
椋は、黙って話を聞いていた。当時のレンを思うだけで、胸が締め付けられそうになる。
「すぐにメンタルクリニックを受診しました。医師の診断では……過去の幼少期の体験と、今の重責が結びついている、と」
淡々とした説明の中に、“深刻”という言葉がはっきり浮かぶ。
「すぐに良くなるものではない、とも言われました。定期的にカウンセリングを受けながら、長期的に経過を見守っていく必要があるそうです」
そこで石岡は、ふと目線を落とした。
「それからというもの、彼があなたの名前を呼ぶ頻度は増すばかりで。眠っている間も、ふとした瞬間でも――“椋に会いたい”って」
その声が、少しだけ震えていた。
隣にいた西田が、静かに口を開いた。
「小鳥遊さん。これはあくまでご相談なのですが……今後、レンのケアに関わっていただけないでしょうか」
「……え?」
「今回のように症状が出たとき、あなたがそばにいてくださるだけで、彼はきっと救われると思うのです」
深々と下げられた頭。その所作に、無言の迫力があった。
「そんな、頭を上げてください……」
西田の相談――それはつまり、椋が保育士の仕事を辞め、レンを間近で支えてほしいということだった。
レンの様子を見ていれば、それが一時的な問題ではないことは明らかだった。
きっと長い時間がかかる。日常的なケアが必要になる。それでも――
「レンは今後、もっと俳優として羽ばたける存在だと思っています。日本だけじゃない。海外だって夢ではない」
西田の目は、まっすぐだった。
「あなたがいれば、レンはどこまでも羽ばたける」
「……僕は、」
その言葉に、椋が口を開こうとした、そのときだった。
「ダメだよ!」
寝室にいるはずのレンの声が、突然リビングに響いた。
驚いて振り返ると、レンが扉の前に立っていた。瞳は潤み、肩は小刻みに震えている。
「そんなの絶対ダメ! 椋の仕事は!? 保育士って……やっと叶えた夢なのに……!」
声がわずかにかすれる。
「僕なんかのせいで、それを諦めてほしくない……!」
その言葉は、痛いほど真っ直ぐで。
椋のためを想う気持ちが、まっすぐに胸に届いた。
レンは一歩前に出て、頭を下げる。
「社長、石岡さん……すみません。俺、ちゃんと頑張るから……」
「――お引き受けします」
その言葉を遮るように、椋が口を開いた。
静かで、けれど迷いのない声だった。
「椋……!?」
驚いた顔で振り向くレンに、椋はそっと歩み寄り、彼の手を取る。
「レン。僕ね、保育士の仕事も好きだし、子どもも大好き。でも……」
まっすぐにレンを見つめて、言葉を紡いだ。
「……いちばん好きなのは、レンなんだよ」
レンが目を見開く。
椋は、やわらかく微笑んだ。
「……レンのことを、愛してる……ごめんね、びっくりした?」
そっとその手を包むように握る。
「恋人になってほしいとか、そういうことじゃないよ?僕はただ、あなたのそばにいたいだけ。支えになりたいだけなんだ。どんな立場でもいい。あなたの力になりたい。……支えさせてよ」
それは、告白というより――願い。
椋の想いに、レンの瞳が潤む。
「……俺も。椋のこと、ずっと好きだった……!」
言葉が震え、感情が溢れ出す。
「本当は……椋がいないと、ダメなんだ。何度も、そばにいてほしいって思ってた……」
「……ごめん、椋。愛してる。俺のそばにいてください……」
許しを乞うようなその姿は、どこか痛々しいほどに必死で――決して甘い愛の告白とは呼べないもの。
けれど、椋にとっては、それだけで十分だった。
同じ気持ちでいてくれた奇跡に、胸がいっぱいになる。
涙を拭いもしないまま、椋は微笑んだ。
「謝らないで。……僕いま、すごく嬉しいんだから」
ふたりは、静かに抱き合った。
離れていた時間を埋めるように、心と心を確かめ合うように――そっと、強く。
ともだちにシェアしよう!

