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09 ふたりの過去⑤ そばにいてください

泣き疲れたレンを寝かせたあと、椋はリビングに移動し、石岡と社長から話を聞いた。 レンが本格的に俳優へと転向したのは2年前――ちょうど、椋が保育士として夢を叶えたのと同じ頃だった。 下積みで磨いた演技力は高く評価され、出演作の数も注目度も、うなぎのぼりだった。 でもその裏で、少しずつ――確実に、レンの心はすり減っていった。 「子ども返りのような症状が出始めたのは、ちょうど主演作が決まった頃からです」 石岡が低く静かな声で語る。その奥にある悔しさや無力感が滲んでいた。 「私が気づいた頃には、部屋はおもちゃやぬいぐるみで埋め尽くされていました」 椋は、黙って話を聞いていた。当時のレンを思うだけで、胸が締め付けられそうになる。 「すぐにメンタルクリニックを受診しました。医師の診断では……過去の幼少期の体験と、今の重責が結びついている、と」 淡々とした説明の中に、“深刻”という言葉がはっきり浮かぶ。 「すぐに良くなるものではない、とも言われました。定期的にカウンセリングを受けながら、長期的に経過を見守っていく必要があるそうです」 そこで石岡は、ふと目線を落とした。 「それからというもの、彼があなたの名前を呼ぶ頻度は増すばかりで。眠っている間も、ふとした瞬間でも――“椋に会いたい”って」 その声が、少しだけ震えていた。 隣にいた西田が、静かに口を開いた。 「小鳥遊さん。これはあくまでご相談なのですが……今後、レンのケアに関わっていただけないでしょうか」 「……え?」 「今回のように症状が出たとき、あなたがそばにいてくださるだけで、彼はきっと救われると思うのです」 深々と下げられた頭。その所作に、無言の迫力があった。 「そんな、頭を上げてください……」 西田の相談――それはつまり、椋が保育士の仕事を辞め、レンを間近で支えてほしいということだった。 レンの様子を見ていれば、それが一時的な問題ではないことは明らかだった。 きっと長い時間がかかる。日常的なケアが必要になる。それでも―― 「レンは今後、もっと俳優として羽ばたける存在だと思っています。日本だけじゃない。海外だって夢ではない」 西田の目は、まっすぐだった。 「あなたがいれば、レンはどこまでも羽ばたける」 「……僕は、」 その言葉に、椋が口を開こうとした、そのときだった。 「ダメだよ!」 寝室にいるはずのレンの声が、突然リビングに響いた。 驚いて振り返ると、レンが扉の前に立っていた。瞳は潤み、肩は小刻みに震えている。 「そんなの絶対ダメ! 椋の仕事は!? 保育士って……やっと叶えた夢なのに……!」 声がわずかにかすれる。 「僕なんかのせいで、それを諦めてほしくない……!」 その言葉は、痛いほど真っ直ぐで。 椋のためを想う気持ちが、まっすぐに胸に届いた。 レンは一歩前に出て、頭を下げる。 「社長、石岡さん……すみません。俺、ちゃんと頑張るから……」 「――お引き受けします」 その言葉を遮るように、椋が口を開いた。 静かで、けれど迷いのない声だった。 「椋……!?」 驚いた顔で振り向くレンに、椋はそっと歩み寄り、彼の手を取る。 「レン。僕ね、保育士の仕事も好きだし、子どもも大好き。でも……」 まっすぐにレンを見つめて、言葉を紡いだ。 「……いちばん好きなのは、レンなんだよ」 レンが目を見開く。 椋は、やわらかく微笑んだ。 「……レンのことを、愛してる……ごめんね、びっくりした?」 そっとその手を包むように握る。 「恋人になってほしいとか、そういうことじゃないよ?僕はただ、あなたのそばにいたいだけ。支えになりたいだけなんだ。どんな立場でもいい。あなたの力になりたい。……支えさせてよ」 それは、告白というより――願い。 椋の想いに、レンの瞳が潤む。 「……俺も。椋のこと、ずっと好きだった……!」 言葉が震え、感情が溢れ出す。 「本当は……椋がいないと、ダメなんだ。何度も、そばにいてほしいって思ってた……」 「……ごめん、椋。愛してる。俺のそばにいてください……」 許しを乞うようなその姿は、どこか痛々しいほどに必死で――決して甘い愛の告白とは呼べないもの。 けれど、椋にとっては、それだけで十分だった。 同じ気持ちでいてくれた奇跡に、胸がいっぱいになる。 涙を拭いもしないまま、椋は微笑んだ。 「謝らないで。……僕いま、すごく嬉しいんだから」 ふたりは、静かに抱き合った。 離れていた時間を埋めるように、心と心を確かめ合うように――そっと、強く。

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