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2. 隣に座った見知らぬイケメン
洒落たバーでもないし、音楽が流れてるわけでもない。周りに人がいない、ただのベンチ。
でも、なんだろうな――肩の力が抜ける。誰かと話すのって、こんなに楽だったっけ。
……てか、名前ぐらい聞いた方がいいか。
「えっと、お前、名前は?」
「俺? 拓実。開拓の“拓”に、“実る”でタクミ。そっちは?」
「……遥」
「はる?」
拓実の目が一瞬、ちょっとだけ丸くなった気がした。
俺はそれを見て、苦笑いしながら言った。
「……そ、ハル。漢字は“遥”って書くんだけど。女っぽいよな」
「え? 全然そんな感じしないよ」
拓実はあっさり否定して、ちょっと驚いた顔でこっちをじっと見てきた。
「“遥”って響き、柔らかくて優しそうでいいじゃん。字も、なんか綺麗だし」
「……そうか」
誰かに名前褒められたの、いつぶりだろう。
恋人はそんなこと、絶対言わなかった。むしろ、「中性的すぎる」って笑ってたんだ。
拓実はそんなこと知らないのに、真っ直ぐな声で続ける。
「名前ってさ、最初にもらうプレゼントみたいなもんだろ? 響きとか意味とか……そういうの考えたら、“遥”って名前、俺はけっこう好き」
不意にそんなことを言われて、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
思ってもみなかったタイミングで、優しい言葉が差し込まれると……ずるいな、こういうの。
「……めっちゃいいやつだな、お前。イケメンのくせに」
照れ隠しのつもりで茶化すと、拓実がふっと笑った。
「ん? 惚れた?」
「は?」
「いや、冗談」
苦笑しながら缶を口に運ぶその横顔が、妙に穏やかで、どこか遠くを見てるようで。
俺はぽつりと漏らした。
「……拓実の恋人は、幸せだな」
その言葉に、拓実は少しだけ目を細めて、また笑った。
「俺、恋人いないんだよね」
「……マジかよ? イケメンだし、モテそうなのに」
「いや、付き合ってもさ、なんか違うなって思っちゃってさ。“本気で好きだ”って思える相手に、まだ出会ったことないんだよな」
「……そっか。……でも、これから見つかると思うよ」
自然と出た言葉だった。
たぶん、こいつなら、誰かをちゃんと大事にできるんだろうなって――そんなふうに思ったから。
「……遥の恋人って、どんな人?」
ふいに聞かれて、一瞬言葉に詰まる。少しだけ、間を置いてから答えた。
「俺か。……相手、男なんだけど」
「……へぇ」
「今の恋人が、初めて付き合った人でさ」
「そうなんだ」
「最初は、お互い好きだった……と思う。笑い合ったりしてさ、普通に楽しくて……」
缶を持つ手に、気づかないうちに力が入ってた。
「でも気づいたら、相手の顔色うかがって、機嫌損ねないように、って……」
「……そっか」
拓実の声は、相変わらず静かだった。
なんにも否定しないし、軽く流すわけでもない。ただ、黙ってちゃんと聞いてくれてる。
その感じが、ありがたかった。
「……俺、自分が我慢してれば、うまくいくと思ってた。でも……酷いこと言われたり、されると……」
言いながら、自分でも驚いた。
本当は、誰にも言いたくなかったことなのに。
ちらりと見た拓実の顔が、ほんの少しだけ曇っていた。
「……彼氏、モラハラっぽい感じ?」
「あっ……いや、今のは、ちょっと……ごめん、なんか愚痴っぽくなってんな」
あわててごまかすと、拓実は軽く首を横に振った。
「いいって。……遥ってさ、恋人に気ぃ遣いすぎなんじゃね? 優しいよな」
「……別に」
「でもさ。優しいやつって、損すること多いじゃん。相手のことばっか考えて、自分がしんどくなってるのに、それ、相手に気づかれなかったりしてさ」
その言葉が、じわっと胸の奥に染みた。
ずっと張ってた糸が、少しだけ緩むのを感じた。
……なんでだよ。
出会って間もないくせに、なんでそんなこと、言えるんだよ。
だけど、悪い気はしなかった。
そんなふうに思われるのも、ちょっとだけ――嬉しかった。
「お前の恋人さ……好きな相手にそんな顔させてて、平気なのかな」
さらっと言ったその一言が、変に刺さった。
なんか、喉の奥がつまる感じ。
ずっと胸の奥で燻ってたことを、初対面のくせにあっさり言い当てられた気がして、何も言えなくなった。
「あぁ……」
声にならない声が漏れて、拓実はちょっとだけ笑って言った。
「俺だったら、大事な人にはそんな顔させないけどな。やっぱ、笑っててほしいし」
軽い口調のくせに、妙にまっすぐで――ほんと、ずるい。
思わず、目の奥がじんわり熱くなるのを誤魔化すように、視線をそらした。
「ありがとな。……にしても、初対面でこの展開、けっこう変じゃね?」
苦笑まじりにそう言った俺に、拓実はふっと目を細めて、どこか嬉しそうに言った。
「お、やっと笑ったじゃん。……かわいい顔」
「は? かわいいって、なんだよ」
思わずツッコんだけど、口元が少しだけ緩むのが自分でもわかった。
……なんだそれ。でも、不思議と肩の力が抜けていく。
ちゃんと話を聞いてくれる誰かがいるって、思ってたより――ずっと、救いになるもんなんだな。
まぁ、あいつにも、言い分があるのかもしれない。
でも結局、俺が空気読んで我慢して、黙ってるのをいいことに――
あいつは平気な顔して不機嫌になって、気づいたら俺が悪いみたいな空気になる。
……正直、それってズルいよな。
「……なあ遥。俺は別にいいけどさ、お前、帰んなくて大丈夫? 恋人、怒ったりしない?」
拓実のその言葉に、ほんの一瞬だけ呼吸が止まった。避けてた話題。踏まれたくなかった地雷。
「あー……たぶん、怒ると思う。ていうか、勢いで飛び出してきからな……」
「そっか……」
しょんぼりしてるつもりはなかったのに、口を開いた途端、声が勝手に沈んでた。
自分でも情けないと思いながら、俺はベンチから腰を上げる。
「……しゃーねぇ、帰るわ」
その動きにあわせるように、拓実も立ち上がった。
でも、すぐには動かず、じっと俺を見てくる。
「……遥、本当に、大丈夫か?」
「ああ、……って、え?」
返事する間もなく、ふわっと抱きしめられた。
ほんのり甘い匂いがして、思考が一瞬止まる。
「……な、なんだよ、急に」
うわずった声を誤魔化すように、少しだけ距離を取ろうとしたけど――
拓実はその腕をゆるめなかった。
「なんかさ……気になっちゃって。お前のこと」
「ふは、軽く手ぇ出すなよ……」
「ちがうって。でも、ごめん」
優しくされるの、悪くなかった。
ていうか、本当はずっと、誰かにこうしてほしかったくせに。
突っぱねるべきなのに、できなかった。情けねぇな、俺。
「なぁ遥。……またなんかあったらさ、ちゃんと言えよ。俺、力になるから」
「……ありがと」
「で、連絡先は?」
「スマホ、忘れた」
「……おい」
思わずふたりで笑って、気づけば駅前で立ち止まってた。
何かが変わったわけじゃない。
でも、ほんの少しだけ――救われた気がした。
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