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6.思いがけない来訪者

「はい」 ノックの音に返事をする。 「神谷社長、会長がお越しです」 「……ああ、通して」 会長ねぇ。なんか嫌な予感しかしない。 案の定、ドアが開いた瞬間、テンション高めの声が飛んできた。 「拓実、ごきげんよう!」 俺の名前を呼びながら、シルクのスカーフを優雅になびかせて現れたのは――うちの祖母。 見た目はちょっと派手だけど、れっきとした我が社の会長だ。 「……また急だな。何の用、ばあちゃん」 「こらこら、会社では“会長”でしょ?」 「はいはい、会長ね。で? 俺けっこう忙しいんだけど」 ドアの前で立ち尽くす俺をよそに、祖母は勝手にソファーに腰を下ろし、ゆったりとくつろぎ始める。 「仕事の話じゃないの。ちょっと大事なお願い」 その時点でもう確信した。ロクな話じゃない。 ちなみにこの“会長”、いまだに役員の誰よりも情報早くて、たまに俺の予定すら把握してる。 とはいえ、社内でも顔を知ってるのはごく一部。普段はほとんど表に出てこないから、「あのばあちゃんが会長です」なんて、誰も思ってないだろう。 「何? まさか、また犬か猫でも拾ってきたとか?」 「違うわよ。拓実、お金貸してちょうだい」 「……は? お金?」 唐突すぎて、思わず聞き返す。 「五千円でいいのよ。今すぐ」 「……なにそれ。冗談だよね? ばあちゃん、俺よりゼロ多い額、普通に持ってるだろ。何?詐欺にでも遭ったの?」 少し疲れた声でそう返すと、ばあちゃんはしれっとした顔で答えた。 「違うったら。財布忘れたのよ。今日、タクシー乗ってて――降りてから気づいてね」 ――ああ、またか。 俺は思わずこめかみに手を当てた。 この人、昔から抜けてるところだけは一流。 過去には社員旅行の集合にパスポート忘れてきて、搭乗口で「気合でなんとかなるわ」って叫んでたっけな。 「……まじか」 「それで、運転手さんに“お金持ってくるから待ってて”って言ったんだけど、当然信用してもらえなくて」 「そりゃそうだろ」 ツッコミながらも、目の前の老婦人がタクシーの中で焦っている様子を想像してしまって、ちょっとだけ笑いそうになった。 「そしたらね、通りがかったスーツの男の子が代わりに払ってくれたの。助かったわ~。優しい子だったのよ」 「……それはありがたいけどさ、その人にちゃんと御礼をしなきゃな」 腕を組んだまま目を細めると、ばあちゃん――いや、会長は頷いた。 「そうなのよ。お金返すからって言ったのに、“いりません”なんて言うのよ。でも、さすがにそのままってわけにはいかないでしょ?」 彼女の口調には、いつものイタズラっぽさとは違う、妙にしおらしい響きが混じっていた。 ――それにしても。 まだこういう親切をしてくれる人間がいるんだな、と。正直、ちょっと感心してしまった。 「ちなみにその子、下で待たせてるの」 「……は?」 眉間にしわを寄せながら時計を見る。 今言う? それ。ていうか、まず最初に言うべきだろ。 「ちょっと、早く言えよ……。っていうか、お茶くらい出して待ってもらってんのか?」 「ノーサービス。会社のロビーのソファーに座ってるだけよ。ほら、なんか構えられても困るでしょ?」 「構えるわ。こっちは一応“会社”なんだから」 はぁ、とひとつ息を吐いて、立ち上がる。 こういうとこだよな、この会長の破壊力は。平然と爆弾落としていく。 「……で、どんな人?」 「うーん、会社員っぽいわね。スーツ着てたし、スーツケースも持ってた。でもね、なんか普通じゃなかったのよ」 「“普通じゃない”って……その言い方、いちばん怖いんだけど」 軽く額を押さえて、ため息ひとつ。 応接室、空いてるよな……と心の中で確認する。 予定外の来客に振り回されるのは日常茶飯事だけど―― こういうハプニング処理も、社長って肩書きのうちか。 「……とにかく、下に行く。場所はロビーで合ってるな?」 「ええ。ちゃんとそこで待っててくれてると思うわよ」 「まったく……」 ブツブツ言いながらも、足は自然とロビーへ向かっていた。 まずは、ばあちゃんが世話になったわけだし、ちゃんと礼を言うのが先だ。 「……スーツの男、って言ってたよな」 エレベーターの階数表示を見つめながら、小さく呟く。 普通じゃない、ってあの会長が言う時はたいてい――“変な直感”が働いた時だ。 彼女のそういう感覚は、良くも悪くも、当たる。 ロビーの自動扉が目の前に近づいてくる。 ガラス越しに見えたのは、片手でスマホをいじる、どこか見覚えのある姿。 そしてその輪郭が、俺の中の記憶とぴたりと重なる瞬間―― 「え……?」 足が、一歩、止まった。 信じられない、いや、想定していなかっただけのことかもしれない。 でもそこにいたのは――まぎれもなく、遥だった。

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