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★静かなる逆襲 ①今日もまた、“平気”を装う

★静かなる逆襲 ~ 立場逆転、制裁を~ 拓実が借りてくれたウィークリーマンションに移って数日。 クズ元彼からは「帰ってこい」のメッセージが届いていたけど、最初は既読スルー。今はもうブロックしてるし、着信も拒否。未練はもう、ない。 * 「一ノ瀬さぁ、ちょっとこれ……もう一回やり直してくんない?」 出勤してから朝イチのメールもまだ確認しきってないうちに、背後から雑な声が飛んできた。 声だけでわかる。この感じ、佐野主任。 「昨日お渡しした原稿の件ですよね? どこが気になりました?」 椅子のまま振り向いてそう聞くと、佐野は紙をひらひらと振りながら、あからさまに顔をしかめた。 「んー、なんかさ。読んでて熱がねぇんだよなぁ。情熱っていうの? そういうの全然感じなくてさ」 熱。情熱。知らねえよ、そんなの。いい加減にしてくれ。 こっちは徹夜で締切守ってんだ。それでもって“熱”が足りないって言われるの、何回目だっけ。 この人、いつもこの調子。ふんわりした理由で、やり直しを突きつけてくる。 「……じゃあ、どこをどう直せばいいか、具体的に教えていただけますか?」 「は? それ考えるの、お前の仕事だろ? 俺が直すわけじゃないんだからさぁ」 ニヤっと笑いながら肩をすくめてくる主任を見て、喉元まで何かがせり上がるのを、ごくんと飲み込んだ。 「……わかりました。修正して、午前中に再提出します」 「おっけー。期待してるわ、情熱」 ぺし、と俺の原稿を机の上に置く。 相変わらず、こっちに全部押し付けてくるスタイル。 そばのデスクから、小さく笑う声が聞こえた。 周りの人間も冷たいよな。悪意じゃないってわかってるけど、同情の笑いって、案外キツい。 「あとさ、お前の進行表、編集長にもう出した?」 「はい。昨日の朝、お渡ししました」 「うーん? でも編集長、“見てない”って言ってたけどなぁ?」 それ、絶対ウソだ。 昨日、編集長に直で渡したし、「助かるよ、ありがとう」って言葉ももらった。 それでも反論なんてできない。こっちが口答えすれば、「生意気」ってレッテル貼られるだけ。 「……すみません、もう一度確認します」 もう、口が勝手に謝ってる。慣れって怖い。 佐野主任って、課長よりも発言力が強くて、社内でも一目置かれてる存在らしい。 コネもあって、実力もあるとかで、彼が担当した特集が賞にノミネートされたこともある。 ……だから、誰も逆らえねえの。 俺がどんなに理不尽な扱いを受けてても、周りはスルー。 「お前さ、いっつも“すみません”しか言ってないよな」 「……」 「そんなだから、編集者としても社会人としてもダメなんだよ。自分の意見、あんの?」 言葉が出ない。頭ん中では「うっせーな」って反発してるけど、口にできるわけもなく。 「それとさ、来月の特集案。あれ、もうちょい攻めたテーマでやり直して。お前の案、地味すぎ」 そう言って、資料を指でポンっとはじいて、佐野主任はデスクへ戻っていった。 さっきの嫌味はすっかり忘れたように、隣の社員と楽しそうに喋ってる。 俺はふーっと息をついて、背もたれに寄りかかった。 ——この会社に入った頃は、もっと夢があった。 本が好きで、言葉で何かを伝える仕事がしたくて、必死に頑張って掴んだ出版社の仕事。業界は狭き門だったし、何社も落ちて、それでもようやく入れた場所。 でも今は、もうその「好き」さえも見失いそうだ。 誰かに「耐えてれば報われる」なんて言われても、その“いつか”は永遠に来ない気がしてる。 佐野主任が変わる未来なんて、なおさら想像できない。 ふと時計を見たら、まだ十時すぎ。……今日は長くなりそうだな、なんて思ってたら、スマホが震えた。 【拓実:今日は夜、空いてる?】 たった一行のメッセージ。でも、それだけで胸が少しだけ、ほっとする。 拓実がただの「優しい人」じゃないって知ったのは、つい最近。 拓実はあの超有名な映像制作会社の社長だけど、そういう肩書をまったく感じさせない。 いつも自然体で、距離の取り方もうまい。話してて、楽で。何より、俺の話をちゃんと聞いてくれる。 そんな人間が、俺を気に入っていて、可愛い可愛い言ってくるし、すぐ甘やかしてくるし、溺愛されてるっていうか……好き同士でいるって、かなり幸せだ。 ……夜までは頑張ろう。 スマホをポケットに戻して、もう一度PCに向かう。 相変わらず、佐野主任の視線がチラチラと気になる。 ……でも、少なくとも今の俺には、味方がひとり、いる。

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