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④狼は静かに牙を磨く
「最近、この雑誌の特集、評判いいな」
会議室で編集長がふと漏らした言葉に、一瞬、空気が変わった。
俺が編集を担当した月刊カルチャー誌の特集号が、予想以上の売れ行きを見せていた。
若手アーティストを取り上げたやつで、SNSとの連動企画も好評だった。
「若い世代の感性をうまく拾ってるよな。誰が担当?」
編集長が資料をパラパラめくる。
その瞬間、横にいた佐野主任がさも当然のように口を開いた。
「僕が一ノ瀬に指示を出して企画を練らせました。まあ、今どきの若い読者の感覚に少し合わせたんですが……結果が出てよかったです」
俺の顔は引きつった。
……いや、何もしてないくせに“僕が指示を出して”って、どの口が言ってんだよ。
そもそも俺が案を出した時、一蹴したじゃねえか。
佐野は「そんなの企画にする価値あると思ってんの?」とか地味にネチネチ言ってきて、こっちが資料揃えてもロクに目も通さなかった。
それでも俺が諦めず、水面下でアーティスト事務所と交渉を続けてようやく形にした企画だった。
悔しさと怒りで、心臓がバクバクしてた。
「そうか、良い傾向だな。やるじゃないか」
編集長は特に疑いもせずに頷き、会議は流れていく。
佐野はちらっと俺を見て、にやりと笑った。
……この人、本当に、自分の手柄にするのが得意なんだな。
悔しい。けど、何も言えない。言ったところで「ただの嫉妬」として処理されるのがオチだ。
あいつの方が立場も強い。言い返しても、余計にややこしくなるだけ。
その日の夜、忙しい拓実が近くのカフェまで来てくれて、俺はその話をこぼした。
「……で、会議で“自分の手柄”みたいに言われてさ。また何も言えなかった」
「へぇ。……やっぱそいつ、性根腐ってんな」
拓実が眉をひそめて言いながら、手元のスマホをぽんぽんタップしてる。
何気ない仕草だけど、何か企んでるときのクセだって、もう知ってる。
「何してんの?」
俺がそう言うと、拓実はあっさり答えた。
「ちょっとな。――お前んとこの雑誌、今度うちの関連会社が取材する予定、あるだろ?」
「え、あー……神谷メディアの? 映像企画の連動記事か」
「そう、それ」
そこでふっと、拓実が口元だけで笑う。
その笑い方、なんか嫌な予感しかしない。
「遥には言ってなかったけど、うちのディレクターも、お前の特集かなり気に入ってたよ」
「えっ、マジで?」
「あはは、マジ。だから、担当の広報に言っといた。メインの取材は“この人を指名してくれ”って」
「……誰を?」
「一ノ瀬 遥。お前だよ」
コーヒーを口に運びかけた手が、ぴたりと止まった。
「……は?」
「うちの担当から正式に“取材は是非、一ノ瀬 遥さんメインで”って依頼する」
「ちょ、おま……勝手なこと……」
「お前の名前が出れば、上の人間にもちゃんと届く。“この特集の編集者です”って紹介されたら、無視できないだろ」
コーヒーカップをそっとテーブルに置き、短く息を吐く。
頭の中では、いろんな考えがぐるぐると回っていた。
「……でもさ、それって、ちょっとズルしてるみたいな気がすんだけど」
「ズルなんかじゃねえよ。俺もディレクターも、お前をちゃんと認めてる。正当な評価は、素直に受け取るべき」
――こいつは、人をちゃんと見てくれる。しかも、それを“さりげなく”実行できるやつだ。
「むしろ、嘘でのし上がってるほうが、よっぽどズルだろ」
それだけ言って、ふたたびスマホに視線を戻す拓実。
俺は返す言葉もなくて、ただぼんやりと、冷めかけたコーヒーを見つめていた。
*
数日後、社内に撮影チームがやってきた。
神谷メディアの関連会社――映像企画でコラボしてる部署が、うちの特集チームを取材する。
会議室にセッティングされたカメラ。
広報担当者の女性がスケジュールを読み上げて、ざわつく空気の中に、佐野主任がやたら得意げな顔して現れた。
「お疲れさまです。今回の特集、うちのチームで手がけまして」
「そうなんですね」
担当者がにこやかに応じる。
そのまま、取材が始まるのかと思ったときだった。
「今回、ディレクターからご指名がありまして」
そう言って、広報の女性が資料を一枚取り出した。
「取材対象として、特集を中心になって作られた編集の方にお話を伺いたいと。……一ノ瀬遥さん、いらっしゃいますか?」
一瞬、時間が止まった気がした。
「……え?」
佐野が呆けた声を出す。
そして、みんなの視線が一斉に、俺の方へ向いた。
「……あ、はい」
立ち上がると、広報の人が軽く会釈して、にっこり微笑んだ。
「ありがとうございます。うちのディレクターが、一ノ瀬さんの企画や文章を非常に評価しておりまして。“すごく気になる特集だったので、ぜひ一ノ瀬さん本人に話を聞きたい”と言われてまして」
俺の名前。ちゃんと伝わってた。
心臓がドクンと跳ねる。
ちらっと横を見ると、佐野が明らかに顔を引きつらせてた。
さっきまで自分がメインで話す気満々だったのに、その席が俺に回ってきたのが、相当想定外だったらしい。
「……ああ、まぁ。確かに一ノ瀬がメインでやってましたね」
絞り出すみたいな声で、そう言うのが精一杯。
それ聞いた瞬間、ちょっとだけ笑いそうになった。
――拓実、マジでやりやがったな。
でも、嬉しかった。
ようやく、自分の仕事が“俺のもの”として見てもらえた気がした。
俺は深呼吸して、少しだけ背筋を伸ばす。
「じゃあ、よろしくお願いします」
カメラの向こうに、俺を見てくれた誰かがいる。
そう思うだけで、肩の荷が少しだけ軽くなった気がした。
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