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⑤獲物はジワジワ追い詰める
取材が終わったあと、会議室はいつもの殺風景な空間に戻っていた。
スタッフが撤収作業をしている中で、俺は資料をまとめているところだった。
「お前さ……あんまり調子に乗んなよ?」
背後から聞こえた声に、手が止まる。
振り返ると、案の定――佐野主任だった。
わざわざ声をひそめた感じでもなく、かといってみんなに聞こえるような声でもない、絶妙に“嫌な感じ”のトーンだった。
「……なにがですか」
「お前さ、自分が指名されたからって、なんか勘違いしてね?」
「いえ……」
「そもそも、お前が一人でやったと思ってんの? 周囲がサポートしてたからうまくいっただけなんだよ。ああいうのって、普通はチーム全体の成果って言うんだよ」
……やっぱり、こうなるんだ。
俺は返す言葉を探しながら、内心で苦笑する。
「……チームみんなでやったことは、あの場でもちゃんと話しましたけど」
「はぁ。取材相手が“お前をご指名”って言った時点で、もう察しつくだろ?それに、あんだけペラペラ喋ってりゃ、お前がメインだってみんな思うに決まってる」
声には苛立ちと焦りが混じっている。
きっと、あの取材中ずっと自分が空気みたいになってたのが、我慢できなかったんだろう。
「取材側がそう決めたことで……俺にはどうしようもないです」
そう静かに言うと、佐野はわかりやすく舌打ちした。
「……ほんと、生意気になったよな。一ノ瀬」
その言葉には、いろんなものが詰まってた。
焦り、苛立ち、そして、たぶん――
自分の立場が少しずつ揺らいでることへの、不安。
「俺は別に……いえ、俺は自分の仕事をやっただけです」
できるだけ平坦な声で、そう返す。
たぶん、今ここで言い返したら、何かが崩れる気がしたから。
でも、内心ではずっと拳を握ってた。
自分の手で取った評価が、誰かの都合で歪められるのが、どれだけ悔しいか――俺だって、ちゃんと知ってる。
けど。
あの日、拓実が俺の名前を押し出してくれたおかげで、“ちゃんと見てる人はいる”って思えた。
「……失礼します」
そう言って、俺はその場を離れ、淡々と仕事に集中した。
社内の空気が変わり始めているのを、俺は肌で感じていた。
*
その週の金曜日、編集部に突然の連絡が入った。
「今回頂いた原稿ですが、一ノ瀬さんを中心にしたチームで再構成をお願いしたいとのことです」
ざわつく編集部。
「えっ、再構成? あの佐野主任の案ベースじゃなかったの?」
編集長の顔が引き締まった。
「そうなんですけど、神谷メディアの社長が“現場のことをよく分かっている人に任せたい”っておっしゃったそうで」
編集長がそう説明した瞬間、佐野主任の顔が固まった。
何も言い返せず、ただ黙り込むあの姿は、正直ちょっとスカッとした。
拓実は名前も出さないし直接は言わない。
でもこれ、絶対あいつの仕込みだよな。
……マジで、あいつすげぇわ。
翌週、佐野が慌てて神谷メディアに連絡を入れているのが編集部内に伝わった。
「再構成の件、さすがにちょっと……うちとしては調整が必要だと思いまして……」
佐野主任が、声を低くして担当者に食い下がる。
けど、相手は落ち着いた声で淡々と返した。
「すでに神谷社長から直接指示があり、一ノ瀬さんを中心に進めることが確定しています」
「……え? 社長が直々に?」
「はい。神谷社長からの指示です」
その瞬間、佐野の顔からスッと血の気が引くのがわかった。
あの日――高級ホテルで拓実と食事したあと、佐野は拓実をただのホストだと勘違いして、上から目線で嫌味を飛ばしていた。
まさかあれが、大手映像会社の若き代表取締役・神谷拓実だったなんて知ったら……どんな顔するんだろう。
*
「あれ……佐野主任、最近やたら静かじゃない?」
同僚の言葉に、佐野の方を見る。
表向きは「業務に集中している風」だが、明らかにおかしい。
以前なら、誰かの提出物にいちいちケチをつけたり、会議で部下のミスを大げさに取り上げたりと、周囲に威圧を撒き散らしていた。
……それが今は、別人のように小さくなっている。
昼休み、拓実からメッセージが届いた。
"そろそろ反撃が効いてきた頃かな"
俺はスマホを握りしめて、心の中でにやりと笑った。
「うん、ちょっとだけスッキリした」
拓実は表に出てこない。けれど、確実に俺の背後から支えてくれている。
――お前は、何もしなくていい。俺が全部やるから。
そう言った拓実の声が、脳裏に蘇る。
数日後。
社内に一通の封書が届いた。
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