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⑩暴かれた悪事、終わりへの序章
「あれが神谷社長だって!」
「わ、初めて見た」
「超イケメン……!」
周りがざわつく中、佐野は言葉に詰まり、目を泳がせていた。
「いやいやいや、まさか……冗談ですよね?」
俺と一緒にいる、ただの若造に見えた男。
その正体が映像業界で名を馳せる超大企業の若き社長だと知れば、誰もが驚きを隠せなかった。佐野が軽く見ていた相手だ。
「ちなみに、今回のフェスのメインスポンサー、うちなんですよ」
拓実の一言に、佐野の顔色はみるみる悪くなっていく。
佐野は慌てて笑顔を作ろうとしたが、どこかぎこちなく、焦りがにじんでいた。
それを見て拓実は冷静なまま、ゆっくりと佐野に向き直る。
「一ノ瀬は、うちでもコンサルとして動いてもらっています。あくまで本業の片手間ですけどね。それにしても、先ほどからずいぶん聞き捨てならないことをおっしゃっていましたが」
拓実のその一言で、空気が張り詰める。
「……あー、その……まあ、昔の同僚同士の軽口で……」
「軽口、ですか」
拓実の低い声に、佐野の肩がびくりと揺れた。
背後では、さっきまで笑っていた数人が、気まずそうに視線を逸らしていた。
「この場には報道関係者も多いので、今後は慎んでください」
拓実は、穏やかな笑みを浮かべながらも目だけは笑っていなかった。
「……っ、失礼しました……」
「あなた、名刺をお持ちですか?」
「え、あ、はい……」
佐野はぎこちなく名刺ケースを取り出し、差し出す。
拓実はそれを受け取り、一瞥してから懐にしまった。
「ありがとうございます。では、後ほど正式にお話しさせていただきます」
その「後ほど」という言葉が、妙に重く響く。
佐野は引きつった笑みのまま固まり、やがて小さく頷くしかなかった。
「遥、仕事に戻ろう。せっかくのフェスだ、集中しないともったいない」
その声に、張り詰めていた自分の呼吸が少しだけ楽になった。
佐野の姿はもう視界の端に追いやられ、代わりに会場の熱気が戻ってくる。
「拓実、お前……マジでやりやがったな」
「ん? 何かしたっけ?」
「だから、あのタイミングでわざと名刺きっただろ。あいつが青ざめるの分かっててさ」
拓実は肩をすくめて、目元だけ笑った。
「だって、お前と約束したじゃん。俺の隣であいつの顔色が変わる瞬間、ちゃんと見せてやるって」
「……あの時の、か」
「それに、遥の邪魔するやつ、放っとく理由ないだろ?」
その言葉に胸が締め付けられた。
「まだ、制裁は終わってねえけどな」
……こいつは、やっぱり俺のヒーローかもしれない。
***
フェスが終わったその日、資料のPDFを印刷しようとして、ふと佐野のフォルダにアクセスした。
社内共有のフォルダの中に、「【仮保存】」という名前のまま放置されている古いファイル群を見つけた。
バックアップの自動保存か、単なる消し忘れか……。
その中に「対外資料_企画提案書」というファイルが複数あった。
なんとなく気になって、一つだけ開いてみた。
——すると、ページの隅に、はっきり別部署の同僚の名前が載っていた。
「……あれ?」
そのファイルは、佐野が自分の名前で出していた企画と、内容も構成もタイトルもまったく同じだった。
背筋に冷たいものが走った。
つまり、誰かの企画を丸パクリしていたってことか。
さらに別のフォルダには「共有不可」というZIPファイルがあったが、パスワードでロックされていた。
これ、もし開いたの見られたらヤバいかも……。
慌てて閲覧履歴を消して、パソコンを閉じた。
あれだけ他人に厳しくて、部下を毎日のように責め立てていた佐野が、裏では人の成果を奪っていたとは。
それが本当なら、今まで浴びせられた罵倒や責め言葉は全部嘘になる。
ただの“気のせい”じゃない。
佐野は、自分の地位を守るために他人の努力を利用してたんだ。
*
その夜、いつものカフェで拓実と顔を合わせた。
座るなり拓実は俺の顔を見て言った。
「何かあったな?」
「……わかるか?」
「わかるよ。眉間にシワが寄ってるから」
すごい観察力だ。笑いそうになったけど、それよりも。
「拓実……、佐野って、誰かの企画パクってたかもしれない」
「……やっぱり出てきたか」
「え?」
拓実の声がいつになく低くなった。
「お前の出版社と神谷メディアの編集部が共同でやってた特集があって、佐野がメインで担当してたんだ。覚えてるか?」
「ああ、もちろん」
「……で、別の編集者が出した企画案と佐野の名前で出てきた内容がそっくりでな。結局ボツになったけど、違和感があって俺、調べてたんだ」
「……やっぱヤバい奴なんだな」
拓実はうなずき、スマホのチャット画面を見せてきた。
「法務にも相談してる。噂も含めて、揉み消すつもりはない。むしろ正面から“潰す”つもりだ」
「マジか……」
「これ、会社間の案件だと慎重になるけど、内部告発は話が別だ」
「内部告発……」
そんなことしていいのか、胸がざわつく。
でも思い出す。
何度も怒鳴られ、責任を押しつけられ、人格まで否定された日々。
それが、全部“他人の企画を盗んで得た地位”からのマウントだったとしたら。
……許せるはずがない。
「今すぐ遥は動かなくていい。俺が代わりにやる。でも証拠はしっかり残せよ。ファイルとか、ちゃんと記録取れそうか?」
「……頑張ってみる」
拓実はゆっくりと俺の頭を軽くポンと叩いた。
「大丈夫。お前一人で抱えなくていいんだ」
その言葉だけで不思議と安心した。
普段なら怖くて後回しにすることも、今夜は踏み出せそうだった。
*
「……よし、今だな」
深夜0時近く。編集部の明かりはほとんど落ちていて、キーボードを打つ音だけが響いていた。
俺は自席に戻り、パソコンを素早く立ち上げて、社内サーバーの【仮保存】フォルダにアクセスした。
中にはまだ、複数の“提案書”ファイルが置かれていた。
「……これだ」
一つひとつ中身を確認し、作成者名が残っているものをメモに控えていく。
名前の上書きで消し切れていないものは証拠として使えそうだ。
《中村_旅行企画案_改.pdf》
《広瀬_映画特集案2024春.docx》
知ってる先輩たちの名前ばかりだ。
でも、実際に通った企画名は「佐野主任プレゼン」になっている。
間違いなく横取りだ。こんなにたくさん……。
背中がぞわっとした。
そして——
「……見つけた」
俺はあるZIPファイルに目を留めた。
【重要・社外秘】という名前だった。
前は開けなかったけど、拓実が送ってくれた社内パスワード解読ツールで、すぐに解除した。
中身はメールのやりとりをまとめたテキストログだった。他部署の若手社員とのやりとりも含まれている。
佐野のメールにはこう書かれていた。
"お前の企画案、参考にさせてもらう。上には俺の名前で出すけど、実績としてお前の名前も使っていいようにしておくからな"
その文面を見て言葉を失った。
“参考”なんてレベルじゃない。堂々と奪う宣言だ。
これだけ揃えば、十分すぎる証拠になる。
震える手でファイルを社外用USBにコピーし、慎重にログアウト。
すぐに拓実へメッセージを送った。
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