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⑪最後通告、制裁

「……お疲れ。遥が来ると思ってコーヒー淹れておいたよ」 扉を開けた拓実は、変わらず穏やかな笑顔で言った。 俺は迷わずUSBを差し出す。 「これが、全部の証拠。佐野主任がやってた盗用と、あとは……例の噂の件だけど」 「遥が“裏口入社”の話か。完全なデマだからな。まあ、名誉毀損だな」 俺はUSBを見ながら、小さく息を吐く。 「こんなことして、本当に大丈夫なのかよ……」 「遥は心配しなくていい。俺がしっかり守る。これ、全部処理しておくから」 拓実はUSBを受け取り、パソコンに繋いで画面をじっと見つめる。 「こっちは佐野の過去の盗用の件も、噂の件も全部まとめて社内のコンプライアンス室と顧問弁護士に送る。これ以上、遥に迷惑がかからないように……俺が前に出る」 少し間をおいてから、拓実はゆっくり顔を上げて微笑んだ。 「明日には動き出す。佐野がどんな顔をするか楽しみだな」 差し出されたコーヒーを受け取りながら、俺も自然に笑みを返した。 ——やっとだ。 長かった理不尽な日々に、終わりが近づいている。 *** それは、思ったよりも静かな幕開けだった。 いつも通り編集部に出社すると、エントランスホールの空気がどこか違っていた。何人もの社員がスマホを覗き込み、ひそひそと話し合っている。 「一ノ瀬、これ……見たか?」 同僚が顔を青ざめさせながら近づいてきた。 差し出されたスマホの画面には、大手ニュースサイトの記事が映っていた。 “大手出版社・神谷メディアに裏口入社のデマを拡散した告発者、過去に他者の企画案を盗用!” 記事には、匿名の告発者がデマ情報を流したものの、逆に社内の関係者が告発者を特定。 その告発者は、神谷メディアと関連のある出版社に勤務中の佐野であり、他人の企画案を横取りし盗用していた事実もある――とまで書かれていた。 その瞬間、頭の中に拓実の言葉が浮かんだ。 “揉み消す気はない。むしろ、正面から“潰す”つもりだよ" 本当に、容赦なかった。 記事にはさらに、神谷メディア側が名誉毀損および業務妨害で調査を進め、法的措置を検討していることも明記されていた。 「すげぇ……こんなバトル、初めて見たわ」 「いや、これ完全アウトだよな。盗用とかマジあり得ねえ」 オフィスの空気は一変し、声はすぐに佐野本人にも届いた。 俺は自席に着き、パソコンの電源を入れながらも周囲のざわつきに耳を澄ます。 「匿名で大量の資料が届いたらしいよ」 「佐野さん、こっちに呼ばれてるって話だ」 「シッ、佐野さんが来た」 ざわめきが広がる中、佐野が現れた。 佐野は笑みを浮かべようとしたが、その表情はひきつっていた。 視線が落ち着かず、うろうろと周囲を泳いでいる。 胸の奥がじわじわ熱くなり、心の中で呟いた。 ざまあみろ。 その時、編集長室のドアが勢いよく開いた。 「佐野さん、至急こちらへ来てください」 編集長の低く厳しい声が響く。 佐野は顔を引きつらせながら編集長室に消えていった。 10分後、編集部に戻ってきた同僚が言った。 「本社のコンプライアンス室から連絡があって、懲戒処分も検討されてるらしい」 「名誉毀損と業務妨害で、だって……」 ざわつきは増すばかり。 その瞬間、編集長室のドアが開き、佐野が勢いよく飛び出した。 「ちょっと待て! 俺に言いがかりをつけているのは誰だ!? 俺の評価を妬んでの仕業に違いない!」 乱暴に辺りを見回し、目が合った瞬間、吐き捨てるように言った。 「お前かよ……!」 俺は動じず、静かに立ち上がり、一礼した。 「お前が……神谷とグルになって、俺を潰そうとしてるのか!」 深く息を吸って、言葉を選んだ。 「俺は何もしていません。あなたが自分でやったことが明るみに出ただけです」 「ふざけんな! 俺はな、ああいうやり方で上に上がったやつが許せなかったんだよ!」 「“ああいうやり方”? 具体的に言ってみてくださいよ」 「枕だろうがゴマすりだろうが…そんなのでのし上がるやつなんて認めねえ!」 ……他人の企画を横取りしてたくせに、よく言うよ。 俺は静かに、だけど確かな怒りを込めて言った。 「俺がどれだけ努力して、自分の力でここまで来たか、あんたにはわからない。でもあんたみたいな奴に言われて黙ってるほど俺は弱くない」 言い切った瞬間、佐野は一歩後ずさった。 その時、後方から声が響いた。 「……佐野さん。この後、こちらの総務から呼び出しが入る。出版社退職勧告と、法的手続きの説明があるはずだ」 振り返ると、そこには拓実が立っていた。 いつもの穏やかな笑顔とビジネススーツ姿。だがどこか“トップ”の風格がにじんでいる。 「神谷……社長……?」 編集部内が一斉にざわついた。 「え、神谷って……あの神谷メディアの?」 「神谷社長が……? なんでうちの出版社に?」 拓実は俺の方に歩み寄り、静かに言った。 「我が社……神谷メディアに対するデマをばらまき、社員の名誉を傷つけた。あなたのしたことは、軽い“口げんか”では済まない。立派な業務妨害であり名誉毀損だ」 佐野の顔がみるみる青ざめていく。 「な、なぜ……こんなタイミングであんたがここに……」 「俺の大事な人が不当な扱いと根拠のない噂の被害にあったんで。正当に“後始末”をさせてもらっただけだよ」 その言葉に、俺は一瞬息を呑んだ。けれど、否定する気はどこにもなかった。 ――俺の、味方でいてくれる人。 それだけで十分だった。 拓実は俺の方をちらりと見て、口元だけで微笑んだ。 佐野は声を失い、編集長に肩を掴まれながらオフィスから連れ出された。 静寂が訪れる。誰もが口を閉ざし、その光景を見守っていた。 拓実が隣に静かに立ち、声を落として言った。 「……これで終わりだな」 俺は少しだけ笑い、小さくつぶやいた。 「……ありがとな」 「うん。……今夜、全部終わった祝い、ちゃんとしよう」 囁きが近い。その距離感に、心臓がまた跳ねた。 「じゃあ、失礼するよ」 そう告げると、拓実は背を向けてドアを開けた。 何事もなかったような顔で廊下に出る、その後ろ姿に、俺はひそかに息を整えた。 ——今夜、か。 胸の奥に、少し甘くて危うい予感が広がっていった。

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