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⑦仕組まれた計画と、守るための計略
side 神谷 拓実
昨夜に引き続き、今夜も彼女と会っていた。
食事を終え、並んで歩く帰り道。
「ありがとうございました。今日も楽しかったです」
「それはよかった。俺も気分転換になったよ」
軽く笑って返すと、彼女は安心したように微笑む。
夜の街は雨が強くなっていた。
「……けっこうな雨ですね」
「そうだな。タクシー呼ぶよ、代金は俺が払うから」
「えっ、そんな……ご迷惑じゃないですか?」
「気にしないで。女性を一人で帰らせるほど、俺も無責任じゃない」
彼女は少し迷った後、素直にうなずいた。
肩先に落ちる雨粒を避けるように、二人で歩調を合わせる。
「神谷さんのマンション、たしかこの辺りですよね?」
「え? ああ、すぐそこだよ」
「なら、せめて近くまで一緒に行かせてください。そこでタクシーを呼んでもらえますか?」
「……わかった。そうしよう」
二人の靴音が、濡れた舗道に小さく響く。
「神谷さんって……ほんと優しい方なんですね」
「優しいって言われるタイプじゃないんだけどな」
「いえ……そういう人ほど、ほんとは一番優しいんだと思います」
「……まあ、大事にしたい人には優しくするかもな」
言葉を繰り返しながら、ふっと視線を落とす。
「神谷さんって、自分を犠牲にしてでも誰かのために動ける人ですもんね」
「別にそんなカッコいいもんじゃないし、ヒーローでもなんでもないよ」
――ただ、守らなきゃならない奴がいるから。
思い浮かんだのは、あの夜、守ろうと誓った“あいつ”の影だった。
「じゃあ今回みたいに、噂されたり、騒がれたり、ある事ない事言われても……ですか」
「俺は、噂されるのも慣れてるし、悪者にされたって構わない。俺に矢が飛んでくるならそれでいい」
彼女は少し頬を赤らめて、視線を落とした。
「……やっぱり、素敵な人ですね」
その一言が、妙に胸の奥をかすめていく。
だが俺の目は、気づけば無意識に遠くを追っていた。
心の中に浮かんでいるのは、目の前の彼女ではなく――遥の姿。
“あいつに危険が及ぶことだけは、絶対に許さない”
だから俺は――盾になる。
「私、神谷さんみたいな人と出会えてよかったです」
「あはは。ありがとう」
「頭が良くて、ちょっと強引で、全力で守ろうとしてくれるの」
雨がひとまず落ち着くまで、俺たちはマンションのエントランスに入ることにした。
ふいに彼女がよろめき、かすかな驚きの声を漏らす。
「あっ……」
俺は反射的に抱きとめ、自分の方へ引き寄せる。
雨音が強まる中、視線を外に向けると、街灯の下で揺れる影がひとつ――。
その瞬間、彼女が小さく耳元で囁いた。
「……神谷さん、好きです」
甘い響きの裏に潜む、ほんの一瞬の油断――俺は見逃さなかった。
「……ずいぶん芝居が上手いじゃん」
「え……?」
彼女の肩に添えていた手を外し、そっと押し離す。
驚いたように目を見開いた彼女へ、冷ややかに言葉を落とした。
「俺を騙せると思った? ……いや、騙したつもりか」
「な、何を……」
「俺は探偵じゃない。けど――“裏”で動いてる人間の影ぐらいは分かる」
彼女の表情に、はっきりとした焦りが浮かんだ。俺は淡々と続ける。
「名刺偽造までして近付いてさ、よくやるよな。俺が確認しないとでも思った?」
「っ……」
「SNSで出回った写真、噂……全部、仕組まれたことだってのも知ってたよ。お前が誰の差し金なのかも」
「……っ」
一歩踏み込むと、彼女は思わず後ずさる。
「でも――そのカード、逆に利用させてもらったよ」
表向きは彼女にのっかり、交際相手を演じるふりをしていたが、心の中ではすべて計算済みだった。
――青木を翻弄し、遥を守るため。
ホテルのラウンジでの食事中、ふとした彼女の仕草で、青木の存在に気づいていた。
彼女の微かな動きが引っかかり、勘の鋭い俺にはそれが容易に読み取れた。
写真を撮られ、後でSNSに上がることも織り込み済み。
案の定、騒ぎになり青木は俺を“標的”から外し、干渉を緩め始めていた。
すべては思惑通り、静かに、しかし確実に動いていた。
「あいつのしてることは犯罪行為だ。いいか、今はごまかせても……あんたも一歩間違えれば“幇助”だ。分かるよな?」
「……っ」
「罪を背負うのは簡単だけどさ。あいつの道連れになる気がないなら、ここで手を引け」
声を低くし、雨音の合間に鋭く響かせる。
彼女は息を詰めたまま、唇を震わせていた。
その時、不意にポケットのスマホが鳴る。
画面に浮かんだ文字――滝沢。
こいつは、ばあちゃんのつてで派遣された協力者で、遥のボディーガード兼、連絡係だ。
遥の隣の部屋に住み、青木に気づかれないよう、そして遥が不用意に危険な目に遭わないように監視してもらっていた。
遥のことを心配したばあちゃんが、俺に安全な形で行動させるための配慮――それが滝沢の派遣だった。
「どうした」
“先ほど遥さんがマンションを出ました。雨が酷いので止めましたが……会いたい人がいる、と。すぐに追いかけたんですが、もう姿は見えずで。恐らく拓実さんの方に向かったと思います”
SNSの騒ぎは遥も見たはず。
あれは作戦だと伝えたくて何度も遥に電話をかけた。だが繋がらず、メッセージも既読がついていない。
伝えたいことは山ほどあるのに、どれも届いていない現実が、胸に重くのしかかる。
「わかった、ありがとう」
青木をおびき寄せ、遥を安全に導く――今の俺にできる唯一の行動だと思っていた。
遥は、俺を責めるだろうか。
信じてもらえなかったら、せっかくの作戦も意味を失ってしまう。
街灯に映る水たまりが揺れ、景色が少し歪んだ。
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