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⑧闇に閉ざされた部屋で ※

side 一ノ瀬 遥 気づけば、足はマンスリーマンションに向かっていた。 ――拓実が最初に借りてくれた、想い出の部屋。 ポケットから鍵を取り出す。最近まで使っていたやつだ。手に馴染みすぎていて、思わず苦笑する。 玄関を開けて足を踏み入れる。 ドアを閉めると、雨の音だけが静かに響いていた。 しっかり施錠をし、そのまま壁にもたれる。肩がふっと震えて、深く息を吐いた。 「……拓実」 名前を口にするだけで、胸の奥がずしんと重くなる。 雨に濡れた身体を抱きしめるように、ひざを抱え込み床に座る。体は冷えて震えるのに、胸の奥の痛みはそれ以上にきつい。 あの光景――拓実が女性と寄り添う姿が、まだ目に焼き付いて離れない。 「……なんで……だろうな……」 小さな声が、狭い玄関に響く。涙が頬を伝い、濡れた髪に混ざる。 ――思い出すのは、あの日の夜。 拓実はいつも味方でいてくれた。守られる安心と、抱きしめられた温もり。 頭を抱え、ひざに顔を埋めると、また嗚咽が込み上げてくる。 洋介の脅迫の声が頭の奥で何度も反響し、拓実の姿がフラッシュバックのように浮かんでは消える。 現実と恐怖と疑念が渦を巻き、胸を容赦なく締めつけていった。 ――その時。 突然、ガチャガチャと玄関のドアノブが激しく揺れた。息が詰まり、全身が凍りつく。 その直後、ドンッ! ドンッ!と扉を叩きつける音。 乾いた衝撃が狭い部屋に響き渡り、心臓が爆発しそうに跳ねた。 「……遥、いるんだろ……開けろよ」 低くねっとりとした声。耳を塞ぎたくても、はっきりと届いてしまう。 ――洋介だ。 膝を抱える腕が震え、喉から悲鳴が漏れそうになるのを必死に堪える。 逃げ場のない部屋で、恐怖がじわじわと這い上がってきた。 ……やばい。 必死でポケットからスマホを取り出す。 震える指で拓実に連絡しようとするが、さっきの光景が頭をよぎり、指が動かない。 「開けねぇなら……こっちから行くぞ」 ぞっとする声。直後、鍵穴に何かが差し込まれ、金属を叩くような音が響く。 「……嘘だろ……やば……」 重たい音とともに、鍵が回る。 ガチャッ――。 身体が一瞬で凍りつき、心臓が胸を突き破りそうに跳ねる。 ドアが押し開けられ、湿った夜気とともに、影が部屋へ踏み込んできた。 ――洋介の姿。 「遥……」 「……来んな、来んなって……!」 必死に後ずさり、声を張り上げても虚しく響くだけ。 荒い息遣いと、獣のような眼差しが間近に迫る。 「やーっと捕まえた」 腕を強引に掴まれた瞬間、冷たい絶望が全身を貫いた。 「……離せっ!」 必死に振り払おうとしても、強い力で掴まれ逃げられない。 「俺から逃げられると思った?」 狂気を帯びた瞳に射抜かれ、床に押し倒される。 「離せって言ってんだろ!」 「お前、俺なしじゃ何もできねぇくせに。よくも逃げやがったな」 必死に体をひねっても、腕は鉄のように固い。恐怖が体中を駆け巡る。 「なあ、帰ってこいよ。ずっと待ってんだよ」 「は? やめろ……っ!」 「俺のとこに戻るよな?」 「……嫌だって!」 次の瞬間、冷たい手が俺の首をがっちり掴んだ。 洋介は俺の首を締めつけながら、にやりと口角を上げた。 「……へぇ、逆らうんだ」 耳元に落とす声は、ぞっとするほど低い。 指がさらに喉を圧迫し、息が詰まる。 「じゃあさ――この場で死にたいってこと?」 洋介の目が氷のように冷え、声色が一変する。 「選べよ。俺のとこに戻るか……それとも今ここで終わるか」 喉に食い込む指の感触が痛くて、声を出そうとしても、喉から漏れるのはかすれた音だけ。 必死に洋介の手を掴んで爪を立てるけど、さらに締めつけが強まった。 「……っ……く、……っ」 視界がにじんで、色がどんどん薄くなっていく。 やばい……本当に、殺される……。 目の前が暗くなり始めたそのとき――心に浮かんだのは、拓実の顔だった。 ――あの温もり。もう一度、触れたかった。 「……たく、み……」 掠れた声が唇から零れ落ちる。 その名を耳にした瞬間、洋介は嘲るように笑い、さらに指に力を込める。 「ははっ……まだあいつの名前呼ぶのかよ」 喉を締めつけたまま、低く囁く。 「でもな――あいつは今頃、女とイチャついてんだよ。お前のことなんか頭にねぇから」 洋介の声が最後の楔のように突き刺さり、絶望の淵で俺はただ唇を噛んだ。 「……一緒に道連れにしてやってもいいけど?」 頭がガンガンして、耳鳴りで世界の音が遠ざかる。 拓実…… その名前だけが、暗闇の中で唯一輝く、希望の光だったはずなのに。

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