馬乗りになった洋介の手が喉を掴み、指先が皮膚に食い込む。 「……チッ、お前も神谷も、マジで腹立つわ。人の気持ち踏みにじりやがって」 その声は怒りと執着を含んでいて、皮膚を焼くように重たい。 「……たくみには……手、出すな……」 掠れた声がかろうじて出る。 声にならない声で、身体を小さく震わせながら懇願する。 「お前、健気すぎて笑えるな。自分のことより神谷かよ。あんな奴のために……」 洋介の低い声が耳元に落ちる。さらに喉を締めつけ、息が詰まる。 気管が圧迫され、空気がほとんど入らない。必死に息を吸おうとしても、胸が浅く震えるだけだった。 「……締めるだけじゃ物足んねぇよな」 洋介は片手を離し、ポケットの中に指を差し入れた。すらり、と取り出されたのはナイフだった。 「もし本気で殺るなら……こっちの方が早ぇだろ？」 薄暗い光を受けて刃先が鈍く光る。 目の前に突き出されたそれに、血の気が引いていく。 「っ……！」 喉から短い悲鳴が漏れる。胸がひきつり、背筋がすっと冷たくなる。 「冗談だと思ったか？　……バカだな。俺の目、見ろよ。マジだってわかるだろ？」 洋介の瞳はぞっとするほど静かに狂気を宿していた。 俺は声も出せずにナイフを見つめる。 「遥……戻ってこいよ」 ――これは、ただの脅しじゃない。本気だ。 必死に胸を押さえ、震える手で洋介の腕を掴もうとしても、力は及ばない。 心の奥で観念が少しずつ広がる。もう逃げられない。 「……わかった……戻、る……」 掠れた声で、言う。 胸の奥で、拓実を守りたいという想いがぎりぎりで支えになっていた。 「は？　聞こえねぇな。もう一回、ちゃんと言えよ。俺に聞こえるように」 洋介の目が爛々と光る。 「……戻る。おまえのとこに……戻りゃいいんだろ……」 絞り出すように告げると、洋介は目を細め、楽しげに歪んだ笑みを浮かべた。 「やっと言ったな。俺の言うこと聞く気になったのか」 黙って頷く。その手が少し緩むかと思えば、目の奥の狂気は一切揺らがない。 「面白ぇ……口だけじゃ済ませねぇぞ。罰として、もっと苦しめてやるからな」 刃先が頬すれすれを滑る。冷たい鉄がかすかに触れ、喉の奥からひゅっと短い悲鳴が漏れた。 「……っ、ひ……っ！」 「お前は“俺のもんだ”って思い知らせてやる」 そして――。 洋介の手が服を乱暴に剥ぎ取ろうとして、布地が裂ける音が耳を刺した。 「……っやだ、やめろ！」 喉が痛むほど叫んでも、洋介の重みはびくともしない。触れる体温が気持ち悪くて、吐き気が込み上げた。 洋介はさらに体を押さえつけ、顔を近づける。 「暴れんなって……お前、自分の立場分かってんの？」 吐き捨てられた声は低く、鋭く、胸の奥に杭のように突き刺さる。 洋介の指が露わになった肌をなぞる。嫌悪と恐怖で背筋が粟立ち、息が浅くなる。 「……っ離せっ！　やめろ！」 必死に腕を突き出す。足で蹴ろうとしても、手首を床に叩きつけられ、痛みが走った。 「……騒いだってムダ。誰も助けてはくれねぇんだから」 「やめろっ……！　いやだっ！　離せよっ！」 全身の力を振り絞り、必死に暴れる。足で床を蹴り、腕をばたつかせて声を張り上げる。 「その顔……最高だな。怯えて、泣いて、俺だけ見てる。ずっとこうしてやりたかったんだ」 洋介の瞳は異様な熱で爛々と輝き、狂気そのものだった。涙が勝手に滲んで視界が揺れる。 ぎゅっと目を瞑ったその瞬間――。 ふいに、洋介の身体が強く引き離される。 俺の上にのしかかっていた重みが、力なく外れていった。 「っ……！」 洋介は、そのまま横へ転がり落とされた。 床にぶつかる鈍い音とともに、手から離れたナイフがカラン、と乾いた響きを立てる。 「……っえ……？」 ――今、何が起きた……？ 混乱で頭が真っ白のまま必死に体を起こそうとしたその時。 正面から、温もりに包み込まれるように抱きしめられた。 温かく柔らかい体温が全身に伝わり、思わず目を閉じる。 「……遥……」 俺を呼ぶ低く優しい声、安心できる香り。 胸に耳を寄せれば、確かな鼓動が伝わってくる。 これが誰なのか――考えるまでもなく、心が答えを出していた。 「拓実……」 「……うん」 涙が自然に溢れ、頬を伝って静かに落ちていく。 「……っ、拓実……」 声が震えて、嗚咽に混じるように出る。 額を拓実の胸に押し当て、必死に涙を止めようとするけれど、止まらない。 「……遥、遅くなって、ごめん」