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幕間 ① 母
十一歳になった年の夏を迎える前に、碧の母は死んだ。首を吊って死んでいた。学校から帰って、碧はそれを見た。
天井から垂れたロープが、鬱血した首に巻き付いている。裸の足が、宙に浮いて揺れている。つま先から、濁った汁が滴って、床にシミを作っている。ランドセルを背負ったまま、碧は交番へと走った。
少しの間、施設で暮らしたが、唯一の血縁だという母の弟に引き取られることになり、知らない街へ引っ越した。全く面識のなかった叔父との暮らしに、碧は、最初から何の希望も抱いてはいなかった。
引っ越して最初の夜。眠れなかった。急激な環境の変化に、体がついていかなかった。カビくさい部屋で、冷たい布団で、柱時計の音だけが暗闇に響いていた。
こっそりと布団を抜け出した。真っ暗な廊下を、床板を軋ませて歩き、トイレに入った。それから、台所で水を飲み──蛇口から直接水を飲んで、濡れた口元を拭うと、ぱっと電気がついた。
「起こしてごめんなさい」と言いかけた瞬間、殴り飛ばされた。激しい物音を立て、戸棚に体を強かにぶつけ、その衝撃で、食器が床に落ちて割れた。「片付けとけよ」と叔父は言って、寝室に戻った。ぱたりと襖が閉まった。
結局、こうなるのだ。どこへ行ったって、何をしていたって、碧は厄介なお荷物でしかない。叔父にとってはもちろん、母親にとっても、そうだった。
母は結婚せずに碧を産み、碧は、自分の父親が誰なのかを知らずに育った。小さなワンルームで、母と二人で暮らしていた。ある時から、母は男を連れ込むようになり、その度に、碧は家を閉め出されるようになった。
ある日、学校から帰ると、男が家にいた。朝、碧が学校へ行く前にも家にいたのに、その時とほとんど変わらぬ恰好のまま、寝転がってテレビを見ていた。
こういったことは珍しくなく、母の仕事が長引いたり、朝まで帰ってこなかったりする時、碧は、母の男と二人で過ごすことになる。家を閉め出されることはないものの、些細なことで男を怒らせては、手を上げられることはしょっちゅうだった。
その日は、少し様子が違った。部屋の隅に丸まって早々に眠りについた碧を、男が叩き起こした。眠りにつく前、明るかった部屋は暗く、大音量でがなり散らしていたテレビは消えていた。男はひどく酔っており、吐く息だけで酔いそうなくらい、酒臭かった。
「どうしたの」と碧が眠い目を擦って言うと、男はニタニタと気味の悪い笑みを浮かべて、碧の髪を乱暴に掴んだ。「口開けてろよ」と言われ、大人しく従うと、太い棒状のものをねじ込まれた。
その味も、においも、粘着いた舌触りも、全てを本能が拒絶した。碧が思わず吐き出すと、頬を一発叩かれた。「いいから大人しくしとけ」と怒気を孕んだ声で言われて、頬がじんじん痺れて、碧は黙って従うことしかできなかった。
何をさせられているのか。男の性器を、無理やりしゃぶらされている。頭を鷲掴みにされて前後に揺さぶられ、男も前後に腰を振るので、喉を力任せに突かれている。いっそのこと噛み千切ってしまえばいいものを、また殴られると思うと抵抗できなかった。
口の中で、汚いものが弾けた。性器そのものとはまた違う、味、におい、舌触り。けれども、やはり本能が拒絶して、碧はそれを吐き出した。激しく咽せながら、白いベタベタを吐き出した。服も布団も汚してしまった。男は、少々決まりが悪そうに、「朝までに片付けとけよ」と言って寝てしまった。
何をさせられたのか、分かっていた。母が、碧を家から追い出して、男と何をしているのか、知っていた。うんと幼かった頃、どうせ理解できるはずもないと思われたのだろう。母が男に抱かれるのを目の前で見た。母は、苦しそうな声を上げながら悦び悶え、自ら進んで男の性器を頬張っていた。
あの時の母と同じことを──あの時だけじゃない。母が碧を追い出して、男と家でしていることを、碧もしてしまったのだ。
それからも時々、同じようなことがあった。男のものをしゃぶらされたり、太腿に挟まされたり、全身を舐め回されたり。碧が泣いて嫌がると、男は嬉々として暴力を振るい、行為はさらにエスカレートしていった。
最終的には、尻の穴に男を受け入れることまでさせられた。体を改造されて、それ専用の性器として、作り替えられた。頭のてっぺんから足の先まで、体の中に汚いものがぎっしり詰まっている感覚を覚えた。自分がまるで、汚物を入れる肉袋になってしまったような、そんな感覚だった。
だから、叔父に何をされたって、どうせそんなものだろうという諦観があった。理不尽に殴られても、蹴飛ばされても、粉々に砕けたグラスを素手で拾って、指が切り傷だらけになっても──
「ガキのくせに、旨そうにしゃぶりやがって。この好き者め」
食事の最中に性的な奉仕を要求されても、碧は黙って耐え忍ぶ。
切っ掛けなんて、些細なことだ。夜遅くに仕事から帰ってきた叔父は、殊更にむしゃくしゃしていたらしかった。寝ていた碧を叩き起こし、布団から引っ張り出して、ぼこぼこに殴りつけた。鼻の粘膜や、唇、口の中が切れ、碧は血まみれになりながら、ぐったりと床に這いつくばった。
そして、何を思ったのか。ただむしゃくしゃしていたのか、血のにおいに反応したのか。暴力衝動が性衝動に切り替わったのか。叔父はいきなり下半身を寛げると、血を吐いている碧の口に、己のいきり立ったものをねじ込んだ。
ああ、またか。と碧はどこか冷静に思った。碧の初めてを奪った、あの母の恋人と同じだ。今度は、この叔父に手籠めにされる。どうせ抗うことはできない。
泣きもせず、喚きもせず、逃げようともしない、碧の子供らしからぬ態度に、叔父はさらにむしゃくしゃしたようだった。顔も体も容赦なく殴りながら、乱暴に碧を犯した。
碧にこういった大人の遊びを教え込んだ、母の恋人だった男は、碧との行為は母への裏切りであると、一応は認識していたらしく、母には絶対に気づかれないようにと、少しは気を遣っていた。殴るにしても、服で隠れる場所を選んだり、顔の形が変わるまでぼこぼこにしたりはしなかった。
しかし、叔父の場合は、誰に遠慮する必要もない。思う存分、碧を殴っていいし、丸一日犯し尽くしたっていいのだ。行為は加速度的にエスカレートしていった。
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