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幕間 ③ 愛
あの、冬の終わりの嵐の晩。碧が家を抜け出したのは、家を抜け出したかったからだ。もちろん、ミーコの様子が気になったというのもあるが、それは後付けの理由で、まずは家を離れたかった。あの叔父から離れて、迅に会いたかった。
そして、迅は遅れてやってきた。碧から誘って一線を越え──反応から察するに、迅はああいう行為は初めてだったに違いない。それなのに、その小さな両腕で、力いっぱい碧を抱きしめてくれた。それだけで、胸が苦しくなるほど満たされた。
翌朝、熱を出して動けなくなった碧を、迅は家まで送ってくれたが、決して敷地内へは入らせなかった。そして、その選択は正しかったと、玄関を開けた瞬間に悟る。
「こんな時間までどこほっつき歩いてた!」という怒号と共に、殴り飛ばされた。殴られた肩を庇い、冷たい床に倒れ伏しながら、「野良猫にエサをあげてて……」と答えると、今度は顔を叩かれた。
「野良猫だ? 嘘を言うな! どうせ男と会っていたんだろう! 緩い股を開いて、愛してるだのなんだの言われて、ちやほやされて、いい気になっているんだろう!」
「ち、ちがいます、ほんとに猫を……」
「口答えするな! 今すぐ確かめてやるからな」
「っ、や……いまは、やっ……」
「ほら見なさい。見せられない事情があるんだろう。ガキのくせに夜遊びとは、いい度胸だ」
「やだ、やです……ほんとに、いまは……」
抵抗も虚しく、髪を掴んで引きずられ、濡れた服を剥ぎ取られた。冷え切った真っ白な体には言及されることもなく、いきなりねじ込まれた。引き攣れるような痛みに顔を顰めると、叔父はにんまりとほくそ笑む。
「ずいぶん緩いな? え? 簡単に入ったぞ。やっぱり、一晩中男を咥え込んでいたんだろう」
「そ、れは……おじさんが、昨日……」
「ガキのくせに、こんなガバマンで……っ、はは、姉さんとおそろいだ」
「やっ、う……くるし……っ」
暖房の効いていない、薄ら寒い家の中、裸に剥かれ、犯され、嬲られ、寝不足が祟って気を失いそうになると、頬を張られて起こされた。熱のせいで熱く火照り、熱のせいでカタカタ震える体に、叔父は気をよくしたらしかった。
目が回るほど激しく揺さぶられながら、頬を掴まれて唇を奪われた。粘着いた舌がねじ込まれて、碧が嫌がって首を振ると、ほとんど首を絞める勢いで、顎を掴まれ固定された。味も、においも、何もかもが最低だ。生きたナメクジが這いずるように、口内を隈なく蹂躙され、犯されて、泣くとまた怒らせるので、涙は流さず飲み込んだ。
「はあ、はあ、姉さん……! お前、自分が誰のものか、分かっているんだろうな? もしまた、勝手にいなくなったら、今度はもっと酷いぞ。ええ? 分かってるんだろうな。もう二度と、家族を捨てて逃げようなんて、勝手なことは考えるなよ……っ!」
迅の温もりが残る体を穢される。碧は、叔父に揺さぶられながら、昨晩の夢を見ていた。一時の、幸福な夢。この記憶さえあれば、この先ずっと、どんなに辛いことでも、耐えられる気がした。
早朝から、空になるまで出し尽くした叔父だったが、碧がぐったりとして動かないのを見て、ようやく発熱に気がついた。とりあえず死なれては困るようで、厚手のパジャマを着せ、布団を何枚か重ね掛けた。市販の薬や食料品を買ってきてはくれたものの、それだけではなかなか治らず、ただの風邪は拗れに拗れ、最終的には入院するほどに悪化した。
病院へかかる日、暴行の痕が残っていてはまずかったのか、腫れや痣を氷水で冷やしたのがよくなかった。入院はかなり長引いて、欠席日数は伸び続け、そのまま卒業を迎えてしまった。卒業式にも出席せずに、小学校を卒業した。
*
夏休みの予定が、四十日間、空白だった。迅と、海を見に行く約束をした。
どこでもいいから、連れ出してほしかった。遠くへ行きたかった。日帰りで、行って帰ってくるだけの予定だったが、もう家には帰らないで、迅と二人で、どこまででも行ってしまいたかった。碧が頼めば、迅もきっと、一緒に来てくれるだろう。
朝早く、叔父には内緒で家を出るつもりだったのに、玄関を開けたところで、気づかれた。どこへ行くんだと詰められて、友達と遊ぶだけだと答えたのに、叔父は許してくれなかった。どうせこうなると分かっていた。
まだ明るいうちから、もう冷たくなった布団へ押さえ込まれ、服を剥ぎ取られて、乱暴に犯された。力任せに押さえ付けられている、腕や、腰や、頭が軋む。また変な痣が残るだろう。
顔全体を舐め回す舌の生臭さや、肌の上で擦れる汗のすえたにおいや、そんなものから目を背けて、碧はただ、行為が終わるまで耐え忍ぶ。叔父が満足するまで付き合えば、迅と海だ。ただそれだけを、お守りのように胸に抱いて、この時間が過ぎ去るのを待つ。
そんな時だ。迅が現れた。振り上げたビール瓶が、叔父の顔面を直撃した。鮮烈なまでの暴力に、魅せられた。
母親が死んだのは、母の恋人と碧が浮気していたからだ。ある時、予定よりも早く仕事の終わった母に、見られた。布団も敷かず、男に押し潰され、揺さぶられていた時、ドアの隙間に母の両目が覗いていた。
しっかり目が合ったと思う。しかし、母は無言でいなくなり、そのことに微塵も気づいていない男は、やたらと鼻息を荒くして、舌をねじ込んできた。床が抜けそうなほどに、強く腰を打ち付けられて、男は碧の中で絶頂に至った。
それからすぐ、母は男と別れ、家から追い出し、しばらくしても新しい男を作らなかった。あの時のことを、母がどう考えていたのか、碧には分からない。あの男のことを口に出そうものならぶたれるので、何も言えなかった。
そして、母は死んだ。愛した男を実の息子に奪われたことに、母の心は耐えられなかった。碧が、あの男に何をされていたのか、知らなかったはずはないのに、母は、母である前に女であり、恋人の裏切りと、そして息子の裏切りとを、許すことができなかった。
それでも、碧は母を愛していた。愛されていないと分かっていても、愛していた。愛するしかなかった。それでも愛してほしかった。恋人に向ける愛情の、ほんの1%でもいいから、碧を愛してほしかった。たった一言、「愛してる」と、嘘でもいいから言ってほしかった。
でも、そうはなれなかった。碧は、母の大切なものにはなれなかった。母を繋ぎとめるものにはなれなかった。母は碧を残して死に、一人で自由になってしまった。碧は誰にも選ばれないまま、一人で地べたを這っている。
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