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第三章 ③ ホテル
ただでさえ疲れた体。暗闇が怖いとか、空腹でひもじいとか、明日への不安とか、そんなことはさっぱり忘れて、ぐっすり眠った。小鳥がさえずり、蝉が鳴き始めて、迅はやっと目を覚ました。
碧はまだ眠っていた。迅の肩にもたれて寝息を立てていたが、迅が背伸びをしたことで、ぱちりと目を覚ました。
「朝……」
「おはよ」
「……」
碧は寝惚け眼を擦った。迅はすっくと立ち上がり、ズボンの土を払う。
「なぁ、さっき気づいたんだけどさ、あっちの方から水の音しない?」
迅が言うと、碧は目を瞑って耳を澄ます。
「……する」
「よな!? よかった~、空耳だったらどうしようって」
「たぶん、滝の音だ。そういえば、地図にも……」
昨夜の疲れなどいざ知らず、二人はウサギのごとく山道を駆けた。そして、辿り着いた。岩場を流れ落ちる滝。川のせせらぎ。流れる水の清らかさ。無事、登山ルートに戻れたのだ。案内看板を見つけて小躍りした。
登山道から、それほど離れてはいなかった。しかし、暗かったせいもあって、ずいぶん迷ってしまった。こうしてみれば、呆気ない。登山コースはある程度整備されており、道なりに歩いていくと、舗装された道路に出た。まだ朝早く、通りかかるのはトラックくらいだ。
「どうした、坊主ども」
一台のトラックが、路肩に停まった。気のよさそうな運転手が、窓から顔を覗かせる。
「こんな山で、遭難でもしたか?」
迅と碧は顔を見合わせ、碧が口を開いた。
「大阪までヒッチハイクをしていて……」
「ははぁ。一夏の冒険ってか」
「乗せていってもらえることってできますか。途中まででもいいので」
運転手は、迷う素振りはしたものの、ほとんど二つ返事で了承してくれた。少々手狭になったが、三人乗りのトラックは、家出少年二人を乗せて、出発した。
「しかしまぁ、歩いて峠越えをしようたぁね。無理ってこたぁないけど、無謀ではあるな。しかも、ガキ二人で。そういや、歳聞いてなかったけど。中学生?」
「はい。最後の夏休みに、思い出作ろうって話してて」
「ははっ、そりゃいいや。若いってなぁ、いいもんだよな」
半分以上作り話だというのに、ウソをウソと感じさせない流暢さで、碧は堂々と受け答えをする。迅は内心感心しながら、同調して頷いた。そのうち、トラックの振動が心地よく、眠ってしまった。
途中、二度ほど休憩を挟み、サービスエリアで食事までごちそうになった。名物だというラーメンや丼もの、搾りたて生乳のソフトクリームまで、いろいろ食べさせてもらった。別れの際には、餞別として、パンとジュースを持たせてくれた。
「じゃあ、気をつけてな。親には毎日連絡しろよ」
最後にそう言い残して、トラックは走り去った。徹頭徹尾、いい人だった。いい人に拾ってもらえて幸いだったが、騙したようで良心が痛んだ。
さて、ここからどうするかだ。運転手に伝えた目的地までは、まだ距離がある。自転車はもう手元になく、都合よくヒッチハイクできるとも限らない。ここからは公共交通機関を使おうという話になり、その前に、服を着替えることにした。古い服は捨ててしまって、靴下まで一式、新しいものに買い替えた。
駅前に見つけたコインシャワーを借り、綺麗に身なりを整えて、これならば、電車に乗っても怪しまれないだろう。大阪行きの切符を買って、知らない街の知らないホームから、知らない路線の知らない列車に乗り込んだ。
東京を遠く離れても、電車は同じように走る。街を越え、川を越え、野を越えて、山間の狭い平地を縫うように走る。乗客は次々と入れ替わり、もはや誰も、二人の顔を覚えてはいないだろう。初めのうちは、車両の連結部分に立っていたが、ちょうどよく席が空いたので、二人掛けのボックス席に腰掛けた。
二度ほど乗り換えがあり、ぐっすり眠ってもいられなかった。途中、だいぶ郊外を通ったが、目的地に近づくにつれ、車窓の風景も変わっていく。住宅地を抜け、巨大なビル群が見え始め、やがて、煌びやかな夜景に出迎えられた。
さすがは西の大都会。右を向いても、左を向いても、人人人、人の洪水。昨晩は、人っ子一人いない山中で夜を明かしたというのに、とんでもない落差である。
しかし、逆にこの方がいいのかもしれない。木を隠すなら森の中だ。中学生が二人、夜に出歩いていても、誰も気に留めない。遊びの帰りか塾の帰りか、それとも、二人と同様家に帰れない理由があるのか、中高生らしい十代の若者も、平気で夜の街を行き交っていた。
初めて、ラブホテルに泊まった。ついさっきまで、普通の商店街や飲み屋街が続いていたのに、路地を一本入っただけで、妖しげなオトナの世界が広がっていた。
ピンクや青や紫や、妖しい色味のネオンが光り、複雑に入り組んだ路地裏を、まるで昼間のように明るく照らしていた。看板のあちこちに、胸や尻を露出したお姉さんの姿を見つけ、その程度のことで、迅はいちいちぎょっとした。休憩と宿泊とサービスタイムの違いも分からないまま、ただ碧に導かれて、未知の世界へと足を踏み入れた。
「……なんか、思ってたより、普通……か?」
部屋に入るまで、廊下や階段にはいやらしいポスターが貼られていたが、室内に入ってしまえば、何ということはない。普通のホテルの一室という雰囲気だった。
「思ってたよりって、どんなの想像してたんだよ」
「いや、なんかほら、もっとゴテゴテギラギラしてんのかと」
迅と違い、碧は、こういった場所は初めてではないらしかった。慣れた様子で、風呂の準備をし始める。
中学生がこんな場所にいるなんて、決して褒められたことではないだろう。入り口にも、十八歳未満の方のご利用はご遠慮くださいと、色褪せた剥がれかけの注意書きが貼られていた。しかし、中学生が身分を隠して泊まれる場所など、他にないのだった。
何はともあれ、今夜は屋内で眠れるのだ。屋根があって壁があって、その上、こんなに立派なベッドまで。広々として、ふかふかで、天井にはシャンデリア風の照明まで煌めいている。これ以上、何を望むものがあるだろう。
それに、テレビも見られるらしい。迅はリモコンを手に取った。大きな画面がぱっと光り、そうかと思うと、全面が肌色に塗り潰された。
画面の中、裸の男女が絡み合っていた。これが、大人のセックスか。公園や河川敷に捨てられていたエロ本を読んだことはあるが、それとは比較にならないほど、映像で見るセックスは生々しかった。男に突かれ、ゆっさゆっさと揺れる乳房も、女の甲高い嬌声も、真っ赤なリップも、全てが刺激的だった。
若い体は正直で、打てば響く敏感さだ。与えられた刺激に、簡単に反応する。手は自然と下腹部に伸び、兆し始めた自身を握りしめていた。
「ラブホでオナニーしてどうすんだ」
碧の声に、迅はびくりと肩を揺らした。バスルームから出てきたばかりの碧は、真っ白なバスローブに身を包み、濡れた髪はそのままで、水を滴らせていた。握りしめた熱が、一回り大きくなった。
「ふーん。こういうのが好みなわけか」
碧はベッドに腰を下ろし、横目にテレビ画面を見ながら、迅の手元を覗き込んだ。そんなはずはないのに、浮気現場を押さえられたような後ろめたさを感じ、その妙な感覚に、なぜか興奮している自分がいた。
「別に、テレビつけたらたまたま……」
「そのわりには、ギンギンだな?」
「それはお前が……」
迅の手に、碧の手が添えられる。耳元に吐息が触れ、それだけでまた、腰がずくりと重くなる。
「ほら、もっとちゃんと扱けよ。AV男優に負けてるぜ」
「わ、わかってるって」
大きな手で女の腰を掴み、バックで挿れてガンガン突く。たっぷりとした乳房が、ピストンに合わせて大きく跳ね、揺さぶられて、その様は何とも言えず魅力的で、つい、目が釘付けになった。それがおもしろくなかったのか、碧は、迅の視界を遮るようにして顔を近づけ、唇を塞いだ。
「んっ……」
ぬるりと入り込む、柔らかな舌。歯磨き粉のミントの味。そこに唾液が混ざり合い、熱く濡れた粘膜に包まれる。
「んっ、んん……っ」
頭の中に響くのは、舌を絡める水音と、女の高い喘ぎ声。それから、碧の漏らす微かな吐息と、己を扱く摩擦音。迅が自分でするよりも激しく、碧の手が上下に動く。先走りを零す先端を念入りに責められて、耐えられずに射精した。
勢いよく飛び出した精液は、碧の手をべったり濡らし、ついでに、碧の口元にも飛び散った。碧はそれを舐め取りながら、得意そうに笑った。
「ふん。今日はお前が先だったな」
「おま……昨日の、根に持ってたのかよ」
「やられっぱなしは気に食わねぇ」
「……お前って、結構負けず嫌いなとこあるよな」
迅は、息を整えながら碧を抱き寄せ、ベッドに沈めた。今度は自ら、唇を重ね、舌を絡める。バスローブのはだけた胸元に手を滑らせ、白い肌を撫でていく。湯上りの、仄かに湿った、火照った体。優しく撫でるだけで、碧は敏感に身を震わせて、吐息を漏らす。
画面に映る女とは違う、平坦な胸。しかし、女と同様、薄桃色の突起が、まるでショートケーキのイチゴのように、ちょんちょんと乗っかっている。つん、と指先で突つき、くり、と捏ねると、碧は敏感に腰を跳ねた。「気持ちいいんだ?」と迅が問えば、碧は恥ずかしそうに目を伏せて、こくこくと頷いた。
なだらかな胸を揉みながら、桃色の尖りを指で捏ね、もう一方の尖りは、先ほど映像で見たのを参考に、唇と舌で愛撫する。軽く啄み、甘く噛んで、唾液をまとわせ吸い上げて、舌先で転がす。快楽に浮いた腰を抱き寄せて、ビクビクと震える体を抱きしめる。
「あっ、ん…っ、も、んんっ……」
「おっぱい、好きなの? かわいー」
「うる、さ……も、しつこい……っ」
「……なぁ」
「ん…っ、なに……」
「挿れていい?」
一瞬、視線が絡み、碧はごくりと喉を鳴らした。「おれも……」と恥ずかしそうに俯いて呟く。
「はやく、ほしい」
バスローブの下には、何も着けていなかった。一度達したばかりだというのに、あっという間に完全復活を遂げた熱塊を、勢いよく突き立てた。
「ああっっ──!!」
挿入の衝撃で、碧は精を漏らした。構わず、迅は腰を打ち付ける。ピストンの反動で、小さな性器がぷるぷる震える。透明な汁が飛び散って、碧の腹を濡らしている。
「や…っ、あんっ……! あっ、や…っ、ああぁ……っ!!」
豊かなシーツの海で、碧は思う存分に体を捩じらせ、白い肢体をくねらせる。はらはらと舞う黒髪が、背景の白に映える。バスローブはほとんどはだけて、腰紐一本でどうにか繋ぎ止めている。淡く色づいた白い肌が目に眩しい。
きちんとした布団の上で繋がるのは、初めてのことだ。単純な事実に、迅は今更気がついた。ふかふかのベッドと、清潔なシーツ。意識の向く先は、碧にだけ。余計な情報は遮断して、目の前の快楽に溺れる。
ただ一つ、邪魔な情報があった。ついさっきまで熱心に見ていた、アダルトビデオ。揺れる乳房も、女の嬌声も、今は耳障りでしかない。そんなものより、碧の声が聞きたいのだ。碧のことだけ見ていたい。迅はリモコンに手を伸ばし、テレビを消した。
「じん……」
「ん」
碧が、誘うように舌を見せるので、キスをした。舌を重ねて、吐息を絡ませ、体温も鼓動も綯い交ぜになる。碧が甘く喘ぎ、肌と肌の触れ合う音が響く。
中に出した。迅の熱に誘われるように、碧も激しく身悶えて、肚の奥を痙攣させた。残滓まで全て搾り取るように、きつく吸い付き、収縮する。
体を重ね、唇を重ね、うっとりと余韻に酔う。画面の中のどんな美女より、今、ここでこうして抱きしめている温もりの方が、比べるべくもなく大切だった。地球の全てと比べたって、ずっとずっと価値がある。
「いや~……すげぇな、ラブホ」
照明を落とし、広いベッドで寄り添って眠る。瞼を閉じ、迅は呟いた。
「意外と普通とか、言ってなかったか」
「言ったけどさ……でもほら、ベッドこんなでかいし」
「まぁ、それ専用の場所だからな」
「んで、でかいベッドでくっついて寝るのも、なんか贅沢でいいし」
「ふふっ。たしかに」
「あと、変なパネルとかあるし。なんかかっこいいじゃん」
「そうか? ふふ……」
「で、こーして碧のこと、ぎゅってして寝られんの、サイコーだし……」
いつの間にか眠っていた。久しぶりに、それはそれはぐっすり眠った。安心できる密室の中、温かな布団に包まれて、夢も見ないくらい熟睡した。
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