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第二部 2章 奇跡、起きるかもしれないでしょ

 晴斗の言葉の意味がすぐには理解できなかった。  陽汰自身が「妊娠しないから中に出しても大丈夫」と言ったことはある。だが、それでも晴斗は毎回、どんな時でも、発情期で本能が暴走しそうになっている時でさえ、コンドームをしてくれていた。  そんな彼が、陽汰が妊娠しないから中に出して良い、なんて、言うはずがない。  心の中ではまだ彼を信じたい気持ちでいる。だが、先ほど陽汰の耳に届いた言葉は頭の中を何度も何度も、ぐるぐると回り、それは紛れもなく晴斗の口から出た言葉なのだと突き付けてきた。 「ふっ…ぅっ…ひっ、ぅっ…」  泣いたってしょうがない。そうは思っても涙が次から次へと溢れ出て、嗚咽も止まらなくなってしまう。発情期ということを忘れさせるくらいに、どうしようもなく、辛くて、悲しかった。 「陽汰…」  晴斗の声に身体がビクッと震える。  もう何も聞きたくなかった。これ以上、彼の口からひどい言葉を聞きたくない。言わせたくない。しかし、拘束された手では自分の耳を塞ぐことも、彼の口を塞ぐこともできない。  ただ泣くことしかできない自分の無力さに身体を震わせていると、突然、目の前が明るくなった。最初は何も視界に捉えることができなかったが、少しすると薄ぼんやりと晴斗の輪郭が見えてくる。  彼が手を伸ばし、次いでガチャッと何かが外れる音が響いてずっと上げっぱなしだった腕がふっと軽くなる。  長いこと上げていたせいで両腕は痺れ、すぐには下ろすことができずにその体勢のままでいると温かな身体が陽汰のことを包み込んだ。  彼の温もりと爽やかな森林の香りが陽汰のことを包み込んでいく。それは先ほどまで感じていた圧迫感を与えるものとは違い、何よりも優しく、安心感を与えてくれるものだった。 「陽汰…ごめん…そういう意味で言ったつもりじゃなかったんだよ…」  先ほどの冷たさしか感じなかった声とは違い、その声には反省と後悔の色が滲み出ている。陽汰のことを見つめてくる彼は僅かに眉尻を下げながら陽汰の濡れた目元を指先で撫でた。 「…ひ、っく…ど、いう…っ…こと…」 「……陽汰、前に言ってたよね…付き合ったけど将来のことはまだわからないから番にはなれないって…」  それは付き合って少し経った頃に話したことだ。  晴斗は番になることを望んでいたが、陽汰はそれを受け入れなかった。今は子どもができなくても良いと言っているが、もし今後、子どもがほしくなったら陽汰にはそれを叶えてやることができない。  晴斗の気持ちは十分わかっているつもりだったが、そう易々と了承することはできなかったのだ。 「俺は陽汰が誰かに奪われるかもしれないって心配でしょうがない…怖いんだ……だから、もし、奇跡を起こして陽汰が妊娠したらって思って……そうしたら、陽汰も番になっても良いって心から言ってくれるかなって……俺は一生陽汰と一緒にいたい…誰の目から見ても、陽汰は俺のだって刻みたいんだ…怖がらせて…勝手なこと言って、ごめん…」  彼の言葉は不安を表すように僅かに震えていた。  番は、恋人や婚姻関係なんかよりもずっと深い繋がりだ。それこそどちらかが死ぬまで解消することはない。 「…はるとは…っ…ほんとに…っ…それでっ…いいの…?」 「えっ?」 「はると、だけじゃ、ないっ…おまえのっ、おとうさ、んも…おかあさんも…っ…おれ、なんかで…ゆるしてくれる…?」  陽汰は瞳に涙をいっぱいに浮かべながら痺れの残る手で晴斗の服を掴んだ。  幼馴染だからもちろん知っている。晴斗の両親のことも。そして、晴斗の両親がどれだけ大切に晴斗のことを育ててきたのかも。  陽汰のことも可愛がってくれてはいたが、それは他人の子どもとして可愛がってくれていただけだ。それが、幼馴染ではなく、晴斗の恋人であり、番の相手となるとまた話は変わってくる。  陽汰は彼らに孫を見せてやることができないのだから。  晴斗と陽汰の二人だけの問題だったのならきっともっと早く番になっていたかもしれない。だけど、家族が絡んでくるとなると陽汰はすぐに頷くことができなかったのだ。  不安な気持ちを吐露したことで涙はますます溢れ出てきてしまい、ひくひくとしゃくりあげながら瞼を伏せる。  目尻からツーッと流れ落ちる涙が晴斗の指に掬われ、彼のほうを見ると彼は瞳の奥に決意を固めたような輝きを見せた。 「親のことは俺が絶対説得する。もしダメだって言われたとしても、何度だって説得するから。それくらい陽汰のことを愛してるし、ずっと一緒にいるって誓う」  彼の真剣な言葉に陽汰は目を伏せた。  こんなにも真剣に向き合ってくれるのはこの生涯、もう晴斗以外には現れないだろう。  将来のことなんてわからない。だけど、晴斗以外は絶対にありえないと本能が告げている。  瞼を開けるとそこには陽汰の答えを待っている晴斗がいた。迷いのない瞳を見つめながら、陽汰はこくりと頷いた。 「……ぅ、んっ…俺も…晴斗と一緒に、いたいっ…」 「陽汰っ」  晴斗の唇が陽汰の唇に重ね合わさり、それは性急に舌を絡め取った。  息が苦しくなるほどに激しい口付けだったが、ずっと触れてもらえていなかった唇に感じるその熱は陽汰の寂しかった心を確実に埋め尽くしていく。 「んっ…ぁっ…んぅっ…はるっ…んっ…」  両脚を晴斗の腰へと回し、より深くへと彼を迎え入れようとする。ずちゅっと生殖腔を押し上げられ、重なり合う唇の間から甲高い喘ぎ声が漏れた。  そのままイきそうになったが、晴斗は腰を引き、陽汰の耳元で囁いた。 「陽汰…んっ…跡付けるから…後ろから、挿入れるよ…」 「ぅ、んっ…」  ずるっと陰茎が引き抜かれると、そこは陽汰の愛液と晴斗の先走りの液体で滑り、てらてらと光を反射していた。  晴斗はベッドの枕元へと手を伸ばそうとしたのだが、陽汰の手がそれを止めた。彼は少し恥ずかしそうにしながらもぼそっと呟く。 「ゴム、しなくて良い…中に晴斗のが欲しいから……それに、奇跡…起きるかもしれないでしょ…」  晴斗なら奇跡を起こせるかもしれない。漠然とそんな気がした。そして、陽汰もそれに賭けてみたいと思ったのだ。  陽汰の言葉に晴斗は一瞬驚きの表情を見せたものの、それはすぐに嬉しそうな笑みへと変わった。そして、陽汰の額にちゅっと軽く口付けてから彼の細い身体を抱き上げた。 「ありがと、陽汰。俺の言葉信じてくれて」 「ん、俺は信じてるよ、お前のこと」  二人はどちらともなく唇を重ね合わせて微笑み合った。 「晴斗、ちょうだい…」  陽汰はベッドの上に四つん這いになり、晴斗の陰茎が再び中へと埋め込まれていく。  前から挿入される時とは擦られる角度が変わり、陽汰の口からは甘い喘ぎ声が零れ落ちた。中はすでにとろとろに蕩け、あっという間に晴斗の長大な陰茎で奥までいっぱいにされる。 「ん、ぁっ…はる、と…きもちぃっ…んっ…」 「俺も、気持ち良い…陽汰、自分で腰、動かしてみて」 「んっ…」  陽汰は自ら腰を前後に動かし始めた。激しい抽挿ではないものの、張り上がった陰茎がゆっくりと内壁を擦り上げ、自然と声が零れ落ちていく。  奥のほうまで入った状態で軽く腰を揺すると、彼の陰茎は陽汰の生殖腔の入口をとちゅっとちゅっと突き上げ、それは脳が痺れるほどの快感をもたらした。しかし、自分では生殖腔の中まで晴斗の陰茎を迎え入れるような激しい突き上げをすることはできず、陽汰はちらりと晴斗のほうへ視線を向けた。 「どうしたの?」 「……足りない…」  ぽつりと呟くと晴斗がフッと軽く笑ったのが聞こえた。すると、その吐息が今度は耳のすぐ近くから聞こえ、ぴくっと身体が跳ね上がる。 「もっと奥まで欲しい?」 「…ん…ほしい…」 「いいよ、たくさんあげる」  ちゅっとフェロモンの香る腺体に口付けを落とされ、敏感なその部分から全身に快感が走り抜ける。そして、晴斗が陽汰の腰を掴んだのと同時に、先ほどの緩やかな動きとは全く違う、激しい突き上げを始めた。 「あ、あぁぁっ!」  ばちゅっばちゅっと肌がぶつかる音が響き渡り、彼の陰茎は生殖腔の中へと入り込もうとしてくる。その場所はすでに十分すぎるくらいに蕩けており、晴斗の陰茎に絡みつき、きゅうきゅうと吸い上げた。 「はっ…陽汰、すごい締め付け…」 「ん、あ、あぁっ…なか、きもちっ…ひ、ぁっ!」  激しい突き上げに両肘を立てておくことができず、かくんっと頭が下がる。腰だけを高く上げた体勢はより一層晴斗のことを奥までと飲み込んだ。そして、彼の陰茎が生殖腔の中でビクビクと脈打つのが体内から伝わり、陽汰の目の前がチカチカと瞬く。 「は、っ…陽汰っ、出すよっ…」 「んっ、ぁ、ぅんっ…ちょうだいっ、はるとっ…ぁあっ!」  最奥を激しく一突きされたのと同時に晴斗が陽汰のうなじにある腺体に歯を突き立てた。  ドクドクと大量の精液が生殖腔の中を満たし、うなじからは彼のフェロモンが流し込まれる。  快感、痛み、息苦しさが一気に襲いかかり、瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。  陽汰の金木犀の香りのフェロモンが晴斗の森林の香りのフェロモンに覆われていくような感覚は、彼によって身体が塗り替えられていくようでもあった。  苦しいけど、嬉しい。  そんな感情が浮かび上がり、意識が朦朧としながらも晴斗のほうを見ようと顔を横に向ける。  ちょうどフェロモンを流し終えた晴斗も陽汰の顔を覗き込もうとしており、二人の視線がばちりと絡み合った。そして、そのまま二人は何も言わずに唇を重ね合わせ、柔らかな感触をじっくりと味わうように唇を啄み、互いの熱を今までにないほど共有していく。 「陽汰」 「ん…」  フェロモンを流しこまれたからなのか身体も頭もふわふわとしていた。とろんとした瞳で晴斗のことを見つめていると彼は小さく笑みを浮かべ、再度ちゅっと軽く口付けた。 「好きだよ」 「…俺も、好き…晴斗のこと、好き…」  もっといろいろ伝えたい。もっと晴斗に好きって言いたい。そう思いながらも陽汰の瞼はどんどん重くなっていき、口から出る言葉も徐々に小さくなっていく。  瞼が落ち、完全に視界が暗くなった中で最後に感じ取ったのは晴斗の温かな手に優しく頭を撫でられる感触だった。  ◆ 「ん、んぅ…はると…」 「ここにいるよ」  瞼も開ききらない中で手をぱたぱたと動かしているとその手をぎゅっと握られた。大きな手が陽汰の手を包み込み、その温かさをもっと感じようと指を絡め合う。  ゆっくりと瞼を開けると目の前には晴斗がいた。彼も陽汰と同じようにベッドに横になり優しい笑みを浮かべながら陽汰のことを見つめている。 「身体、大丈夫?」 「……うん」  大丈夫、といえば大丈夫だ。ただ少し違和感があるくらいで。 「ほんと?なんかまた顔赤くなってるよ?」  顔の赤みを指摘されたことに咄嗟に布団の中へと潜り込む。しかし、そんなことをしても顔の熱さはなくなるどころかますます増していくばかりだ。 「陽汰?どうしたの?やっぱ身体おかしい?」 「……大丈夫だって」 「じゃあ顔見せて」  布団から出るのを渋っていると、晴斗にがばっと布団を捲られてしまった。仕方なく顔を上げると、その顔は先ほどよりも赤みを増しており、耳の先まで赤くなっている。 「やっぱ熱でもあるんじゃ…」 「違うって!……その…変な感じするだけ…」 「変な感じ?」  言うのは恥ずかしいが、このままでは晴斗は引いてくれない気がした。ここで適当な言い訳を言ったところできっとすぐバレてしまうだろう。  陽汰は仕方なく両手で顔を覆い隠し、唸りながらも小さく呟いた。 「……うー……お前が…中にいる感じ…」 「え!?長く挿入れすぎたから!?」 「ばか!違う!そっちの意味じゃない!」  確かに尻にも違和感はあるが、陽汰が言いたいのはそっちではなかった。  晴斗の勘違いに勢いよく顔から手を下ろしてしまった手前、また覆い隠すのも変な気がする。陽汰は観念して少し視線を泳がせながらも告げることにした。 「多分、フェロモン流し込まれたから…ずっと身体の中に晴斗のフェロモンというか、お前の存在があるって感じ…」  きっとこれが番になったということだろう。その証拠に発情期で溢れ出ていた陽汰のフェロモンは完全になくなっており、まるで体内で晴斗が他人を誘惑するフェロモンを抑えつけているようだった。  番になると他人を誘惑するフェロモンが出なくなるというが、実際自分の身にそれが起こるとなるとなんとも不思議な感じがする。  それに、こんな状態では番以外との性交なんて絶対にできないだろう。そのくらい陽汰の中で晴斗の存在が大きくなっているのだ。 「ほら、もう言ったから良いだろ。って何ニヤニヤしてるんだよ!」 「いや、だって陽汰が可愛すぎるから」 「うるさい!」  起き上がって枕をぼすんっと投げつけるが、それはあっさりと両手で受け止められてしまった。追加でもう一つ枕を投げつけようかと思ったが、その前に晴斗に抱き締められ、陽汰の動きは完全に封じ込めらてしまう。  その力は強いものではなく、少し抵抗すれば簡単に逃げられるものだったが、陽汰は逃げることなく、大人しく彼の温かな腕の中に収まった。 「陽汰、痛いところとか本当にない?」 「大丈夫だよ…そんなにやわじゃないし」 「うん。けど、もし痛いところあったらすぐ言ってね」  陽汰はこくりと頷き、少し考えたあと悪戯を思いついたかのように小さく口角を上げ、ぽそっと呟いた。 「……痛い」 「え、どこが痛い!?」  晴斗の慌てっぷりに笑いが込み上げてきそうになるが、なんとかそれを堪え、眉尻を下げながら晴斗と視線を合わせた。 「手首が痛くて今日は料理できない。晴斗の作ったカレー食べないと治らないかも」 「えっ」  晴斗が陽汰の手首へと視線を向けると、そこは手錠で拘束されていたことによって確かに薄っすらと赤い跡が残っている。だが、それで料理ができないということはないだろう。なんせ彼はついさっきその手で枕を勢いよく投げつけてきたのだから。 「本当に?」 「うん、ほんと。ねぇ、カレー作ってくれる?」  その甘えた言い方に陽汰が本気で痛くて言っているわけではないというのは確信に変わった。きっと晴斗があまりにも心配するからその空気を和ませるために言ったのか、もしくは本当にカレーが食べたいのだろう。  晴斗はフッと肩の力を抜き、陽汰の柔らかな髪を撫でた。 「わかった、とびっきり美味しいの作ってあげるから」 「やった、じゃあ早く帰ろう」  ニコニコと笑みを浮かべる陽汰につられて晴斗も笑みを浮かべた。  二人の笑顔は、番になったことでこれから不安になることは何もない、そう言っているようでもあった。

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