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第二部 5章 もっと甘えて良いんだよ

 晴斗が陽汰の部屋を出て行ってから数時間後、少し冷静さを取り戻した陽汰は部屋から出てリビングへと向かった。  家の中に晴斗の姿はなく、いるのは親である柚希のみ。少し傾いたオレンジ色の太陽が彼の姿を明るく照らしていた。 「ゆず…晴斗は…?」 「一度家に帰ってもらったよ。迎えに行く?」 「……」  陽汰は手をぎゅっと握り締めて視線を下へと落とした。  晴斗に会いたい。会って謝りたい。だけど、何と言えば良いかわからないし、もしかしたらまたひどいことを言ってしまうかもしれない。  俯いて黙り込んでしまった陽汰に向かって柚希は椅子から立ち上がり、両腕を広げた。 「陽汰、おいで」 「……もう、子どもじゃないんだから…」 「陽汰は何歳になっても僕の子だよ。ほら、昔みたいにぎゅうってさせて?」  こんな大学生にもなって…と思いながらも、こてんと首を傾ける柚希の姿に、陽汰は素直にその腕の中へと身を寄せた。  陽汰よりも少し小さいながらも抱き締める腕には優しさと力強さがあり、何よりも柚希の香りは昔から陽汰のことを落ち着けさせてくれるものだった。  抱き締められながらぽんぽんと優しく背中を叩かれ、散々泣きはらした瞳に再び涙が浮かび上がってきてしまう。  柚希は昔からこんな風によく陽汰のことを抱き締めてくれた。それは陽汰が落ち込んだ時、泣いている時、嬉しいことがあった時、どんな時でも彼はこうやって抱きしめて、優しい声をかけてくれる。 「陽汰、もっと甘えて良いんだよ。一人で抱え込まないで」 「……ふっ…ぅっ…ゆず…ごめっ…」 「どうして謝るの?陽汰が何か悪いことした?」 「…この前、検査したら…妊娠する確率…ほぼないって……だからっ…ゆずに、孫の顔っ、見せてあげられなっ…いっ…ごめっ、なさっ…」  優しく背中を叩いていた手が一瞬だけ止まる。だが、それはすぐに撫でる動きに変わり、ひくひくとしゃくりあげる陽汰を落ち着かせていくように背中を撫でた。 「この話、陽汰にしたことなかったよね。実は僕も陽汰と同じで妊娠しにくい身体だって言われてたんだよ。それこそ0.1%くらいだって。けど、こうして陽汰が生まれてくれて、こんなにも大きく成長してくれた」 「えっ…」  柚希が妊娠しにくい身体だなんて話、今の今まで一度も聞いたことがなかった。柚希は昔から明るくて優しくて、傍から見れば何もかもが順風満帆な人生に見えるだろう。それがまさか、陽汰と同じように妊娠しにくいと言われていた過去があったなんて。 「へへっ、これでも結構大変だったんだから。昔話、聞く?」 「うん、聞きたい…聞かせて」 「わかった」  一つ頷いた柚希は陽汰の背中を撫でながら落ち着いた声で昔の話をし始めた。  陽汰の親であるアルファの蓮とオメガの柚希が出会ったのは高校生の時だ。  柚希の発情期がきっかけで二人の距離は一気に縮まり、大学卒業後に結婚。  愛し合っている者同士、幸せな結婚だったのだが、二人が結婚するときに蓮の実家からはある条件が出されていた。  『結婚をするなら必ず子どもを作れ』  蓮は所謂、財閥と言われるような家柄の一人息子だった。それに比べて柚希の家にはいろいろと問題があり、結婚の話をした当初は猛反対をくらった。それを乗り越えて結婚には至ったのだが、蓮の両親は必ずや跡取りとなる存在を作ることを条件としてきた。  アルファとオメガなのだから発情期の時に性行為に及べば妊娠の確率は高くなるもの。だから、二人はその条件ならクリアできるはずだと結婚をした。しかし、一年経っても子どもはできず、心配になった柚希は蓮に黙って一人で検査へと向かった。  その結果、出された妊娠確率は【0.1%】。 「あの時は、本当に目の前が真っ暗になったよ。だって結婚の条件だったし、それに蓮は優秀なアルファだからさ。僕にはその遺伝子を残してあげられないんだって。それで、蓮に離婚してって言ったの」 「父さんは何て…?」 「ふふっ…すごかったよ。何の迷いもなく、実家と縁を切ったって良い、子どもができなくたって良い、だから俺の傍から絶対離れるなって。僕はもう離れる覚悟してたんだけどさ、結局蓮の押しには勝てなかった。だから、二人で蓮の実家に縁を切る話をしに行こうってなったんだ」  様々な準備を整えて実家に向かう日、柚希は朝からどうも体調が優れなかった。きっと緊張しすぎが原因だと蓮には何も言わなかったが、実家が近付くにつれ体調はますます悪くなっていた。そして、あと少しで着きそうだというところで意識を失って倒れてしまったのだ。  病院で意識が戻った時、ベッドの横にいた蓮は柚希の手をしっかりと握り締めて座っていた。 「れ、ん…?」 「柚希!良かった、意識が戻って」 「僕、倒れちゃった…?ごめん…迷惑かけて…」 「良いんだ。柚希が無事だったし、それにお腹の中の子も」 「え?お腹の中の子?」 「うん、柚希、妊娠してたんだ。柚希の中に俺たちの子がいる」  最初は信じられなかった。もしかしたら願望が夢となって出てきてしまったのではないかとすら思うほどに。  だって、たった0.1%しか可能性がなかったんだから。  しかし、検査結果にはしっかりと妊娠していることが示されていた。 「陽汰、あの時倒れたのはきっと陽汰が教えてくれたんだって思っているよ。陽汰のおかげで蓮の実家とは今も上手くやれてる。もし、あのとき陽汰が教えてくれなかったら今頃どうなってたことか……あと、ちょっと見せたいものがあるんだ」  そう言って柚希は引き出しからある物を取り出して陽汰に手渡した。  それは数枚のエコー写真と検査結果の紙だ。最初は本当に小さな姿をしていたものが、少しずつ人間らしくなっていく姿が写真の中に残されている。  その写真の裏側には一枚一枚にメモが残されていた。 『少しお腹が大きくなってきたよ。蓮がお腹触って「動いた!」って言ったけど、まだ動くには早いって。けど、君は確実に生きて、大きくなってる』 『今日の検査で男の子だってわかった。蓮にはどうやって伝えようかな?サプライズとかしてみる?』 『逆子になっちゃった。早く戻っておいで』 『お腹をよく蹴る元気な子。ちょっと痛いけど、これも赤ちゃんが元気な証拠だね』 『もう少しで会えるね、陽汰。太陽みたいに明るく、純粋でまっすぐな心を持った子になりますように』 「陽汰、こんなに小さかったんだよ。あとこれ、0.1って書いてあるでしょ?最初は現実逃避したくてしまい込んでたんだけどさ、陽汰が僕の中にいるってわかった時からこれは諦める数字じゃない、0.1%の奇跡の中で陽汰と出会えるんだって思えるようになったんだ。だからこれは宝物なの」  柚希の手が写真と検査結果を持つ陽汰の手に触れた。そこからは優しい温かさが伝わってくる。  もしかしたらいつか陽汰に見せる日がくるかもしれない。そう思って柚希は何年もの間この写真や検査結果をずっと大切にしまっておいたのだ。 「陽汰はもう十分周りのことを幸せにしてるんだよ。だから、もっと陽汰自身が幸せになって良い。それに、陽汰が幸せだって思ってくれたら、それだけで僕は嬉しいんだ。きっと蓮も同じこと言うよ」 「……うん」 「じゃあ、陽汰は最近どうしてる時が幸せ?」 「……晴斗と…いるとき……」  幸せ――それを考えると隣には必ず晴斗がいた。何気ない日常でも、晴斗と一緒だとその一つひとつが楽しいものに思えてくる。  何年も一緒にいる幼なじみなのに、飽きるどころか彼のことを思う気持ちは日に日に大きくなっている気さえした。 「晴斗くんのこと好き?」 「…うん……けど…」 「けど?」 「……さっき…ひどいこと言ったから、嫌われた、かも…」  数時間前、自分でも抑えが効かなくなって晴斗に言いたくないことまで言ってしまった。あんな風に突き放したのにまだ彼のことを好きだなんて、自分勝手すぎると言われてしまうかもしれない。  じわりと涙が浮かび上がり、それが目尻から落ちそうになると、柚希が指先で優しく拭った。 「晴斗くんがそれくらいで陽汰のこと嫌うわけないと思うよ。けど、ちゃんと仲直りはしないとね?」 「うん……ありがと、ゆず」 「陽汰が頼ってくれて嬉しかったよ。陽汰ってばすぐ大人っぽくなっちゃったんだから。もう少し甘えてくれても良いのに。あ、あと蓮が悲しむよぉ」 「なんで父さんが?」 「蓮は陽汰のこと大好きだからね。晴斗くんと付き合ってること知ったら悲しみそうだなって。それか『陽汰はお前にやらん!』とか言い出したりして」 「…ははっ、父さんなら本当に言いかねないね…というか、ゆずはいつ気付いたの?俺言ってなかったよね?」  晴斗と付き合ってから半年以上経っているが、その間実家には帰ってきておらず、わざわざ電話で言うほどのことでもないだろうと特に伝えてはいなかった。  昨日帰って来た時はそんなことを話す余裕すらなく、一言二言交わしただけで自室に籠ってしまった。柚希が気付くタイミングなんてなかったはずだが、彼は陽汰と晴斗が付き合っていることを当然のことのように受け入れている。 「ん?気付いたのは陽汰が帰って来た時だよ?首の後ろの跡付けたの晴斗くんだろうなって」 「……晴斗以外だとは思わなかったの?」 「そこはオメガ同士の勘ってやつ?まぁ、蓮は気付いてないみたいだけどね。あの人本当こういうこと鈍いんだから」 「ぷっ…そうだね」  一人で抱え込んでいたことを柚希に話したことによって心の中に重く圧し掛かっていたものがスッと軽くなっていく。そして、暗かった表情にも笑顔が見え始め、柚希は陽汰の少し寝癖の残った髪を優しく撫でながら尋ねた。 「今日、晴斗くんと帰る?」  陽汰は少し考えてから小さく首を横に振った。  晴斗のことももちろん大切だが、陽汰を思ってくれている人は晴斗以外にもいるのだ。  ずっと陽汰のことを見守ってきてくれていた両親には心配をかけてしまったし、二人との時間も大切にしたい。それに、昔の話をもっと二人から聞きたいとも思った。 「晴斗とはちゃんと話すよ。けど…今日はゆずと父さんと一緒に夕飯食べたい…かな」 「うん、分かった。じゃあ夕飯用意しておくね。蓮もすごい喜ぶと思うよ」  こくりと頷き、陽汰は晴斗に内緒にしていたことを全て話そうと心に決めた。  どうしてずっと隠していたのか問い詰められるかもしれない。話しているうちにまとまらなくなってしまうかもしれない。  上手く伝えられるかわからないけど、晴斗にはもう何一つ隠し事をしたくなんてなかった。 「晴斗と話してくるね」

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