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第二部 8章 うちの子になる?
「はぁ…まさか陽汰があそこで蓮さんに言うなんて思わなかったよ」
帰りの新幹線の中、晴斗は先ほどの出来事を思い出しながら陽汰のほうへと視線を向けた。
いつもは慎重な陽汰が両親の目の前であんなにも大胆に二人の関係を告げるなんて未だに信じられなかったのだ。
晴斗の隣に立った時の陽汰の少し緊張した面持ちは、今思い出しても身を引き締められる感覚にさせられる。
陽汰はちらっと晴斗のことを見たあと視線を下げて少し照れた様子で小さく呟いた。
「…お前とのこと、家族に隠しておきたくなかったから」
柚希には早々にバレてしまったが、蓮に言うのには少し勇気が必要だった。
親子仲はすごく良いし、昔から蓮は陽汰のことをとても大切にしてくれている。だからこそ、晴斗とのことを伝えた時にもしかしたら反対されるのではないかという心配も少しだけあった。
しかし、そんな心配があった反面、昔から陽汰が熱を出した時に晴斗がよく看病してくれていたことを蓮も知っており、晴斗のことを信頼しているとも思っていた。
そして、何よりもう何一つ隠し事なんてしたくなかった。それは晴斗に対しても、両親に対しても。だが、陽汰が独断で動いてしまったことに今更ながらに少し不安を感じてしまう。
「……あそこで言ったの、嫌だった?」
さすがに晴斗には事前に言っておくべきだったか…と思いながら膝の上に置いた手を見つめていると、その上に晴斗の温かな手が重なった。
優しくありながらも力強く、少し冷房で冷やされた手をぎゅっと握り締められる。
晴斗はこてんと頭を陽汰の肩に倒し、二人にしか聞こえない声で囁いた。
「ううん、そんなことないよ。じゃあ、今度はうちの両親にも陽汰のこと紹介させて。これが俺の可愛いお嫁さんって」
「…最後の一言は余計だ」
そう言いながらも陽汰の顔には嬉しそうな笑みが浮かんだ。
彼の柔らかな笑みの中には安心感と幸福感が滲んでおり、見ている晴斗の顔にも自然と笑みが浮かび上がる。
「陽汰、今すごくキスしたい」
「…ばか。家に着くまで我慢しろ」
「じゃあ、これで我慢する」
晴斗の指先が柔らかな陽汰の唇に触れ、そこをふにっと軽く揉んだ。指はすぐに離れていったが、陽汰の耳はじわじわと熱く、赤くなっていく。
「赤くなってる。恥ずかしかった?」
「…うるさい」
車窓からの景色が木々から住宅街に変わっていく中、陽汰は晴斗から顔を隠すように彼の肩に頭を預けて目を瞑った。
新幹線の心地よい揺れと、晴斗が傍にいる安心感が眠気を誘い、うとうとしていると晴斗の耳心地の良い声が囁いた。
「着いたら起こすから。おやすみ、陽汰」
◆
家に帰ると新幹線の中で宣言した通り、晴斗は陽汰のことを強く抱き締め、唇へとキスを落としてきた。
ちゅっちゅっと軽いキスを数回し、陽汰が唇を開ければ舌を絡めとり、下唇にかぷりと柔く噛み付いてくる。
「んっ…はるっ…」
「陽汰、可愛い。あっ、そうだ」
ちゅっと最後に一度唇に触れたあと、晴斗は何かを思い出したかのようにスッとスマートフォンの画面を差し出した。
「え…」
てっきりこのまま抱かれるものだと思っていたため、若干拍子抜けしてしまう。しかし、よくよく考えてみれば今はまだ陽もかなり高い。こんな真昼間からそんなえっちなことを考えてしまったことに恥ずかしくなり、小さく首を横に振ってから差し出された画面を覗き込んだ。
そこには一匹の薄茶色の猫が映し出されていた。その猫は耳を僅かに伏せながらジッとこちらのほうを見つめている。
「猫、飼わない?」
「…どうして急に?」
「昨日、陽汰の家から帰ってるときに考えてたんだ。俺にできること何かないかって。それでいろいろ調べてた時に出てきたのがこの子」
晴斗の提案に少し呆然としながらも彼からスマートフォンを受け取り、そのページに映し出されている他の写真にも目を通していく。
「何故かわからないんだけどさ、この子見た瞬間に陽汰が楽しそうに笑ってる顔が思い浮かんだんだよね。家族って良いねって笑ってる顔がさ。それでこの子をうちの家族として迎え入れるのはどうかなって」
「家族…」
写真の最初の一枚は正面から撮られたものだったが、他の数枚は隅のほうで縮こまっているものが多く、それは威嚇しているようにも、怯えているようにも見えた。
そんな中で一枚だけ丸まって眠っている写真があり、陽汰はその姿になんとなく見覚えがあった。
「その寝方、陽汰にそっくりじゃない?」
そうだ、これは以前晴斗が撮った陽汰の寝姿にそっくりなのだ。
その写真を撮られた時は何処が猫に似てるんだと言っていたのだが、こうして猫の寝姿を見ていると、陽汰の寝方が猫っぽいというのはあながち否定できなくなる。
しかし、やはりこんな可愛らしい動物と自分を一緒にしてしまうのはなんとなく認めたくない気もした。
「……似てないし」
「ははっ、陽汰それ絶対自分でも似てるって思ったでしょ?あっ、それで、この子すごい警戒心が強いらしくって引き取り手がなかなか見つからないんだって。一回見に行ってみない?」
写真の下の説明欄には晴斗の言った通り、警戒心が強いことや推定年齢が一歳二か月であること、避妊手術前であることが書かれている。そして、一番目を引いたのが『多頭飼育崩壊により保護』の文字だ。
きっとこの子は劣悪な環境で生まれ、そこで育った。こんなにも怯えている姿を見せるなんて、元の飼い主に虐待されていた可能性だってある。
そんな境遇の子の世話をできるのか、正直、不安ではあった。だけど、それよりもこの子を助けてあげたいという気持ちのほうが大きくなっていく。
このままもし誰にも必要とされなければ…保護施設だってずっと置いておいてくれる保証はない…そうなったら、この子の命は……。
スマホを握る手にぎゅっと力が入り、陽汰はこくりと頷いた。
「うん、行ってみよう」
数日後、二人は保護施設へと向かった。
実際に猫に会う前に施設の人に状況を聞いたが、やはり警戒心が強く、今まで何人か見に来た人はいたがトライアルすらできなかったらしい。
「ここのケージの中にいます。タオル外しますね」
猫を安心させるためにかけられていたタオルが外され、薄茶色の毛が姿を現した。
猫はビクッと身体を震わせてすでにケージの奥のほうにいた身体を更に奥へと隠そうとしている。
その姿に陽汰は唇をぐっと噛みしめた。
人間の勝手でこんな恐怖心を抱くようになってしまったなんて。だけど、本当にこの子を救うことなんて自分にできるのだろうか。
ケージの奥で震える猫を見つめていると、全くこちらを見ようとしていなかった猫がふと陽汰のほうへ視線を向けた。
真ん丸の瞳が観察するように陽汰のことをジッと見つめてくる。
もしかして見つめすぎて怖がらせてしまったのかと思い、視線を落とした瞬間、なんと猫が陽汰のほうへと近寄ってきたのだ。
猫は陽汰のすぐ傍まで近寄り、ケージ越しに小さく「にゃぁ」と鳴き声を上げた。その声に下げていた視線を上げると猫は陽汰のことを見つめ、何かを訴えるように再び小さな声で「にゃっ」と鳴いた。
「えっ!この子が自分から寄ってくるなんて初めてですよ!」
「そう、なんですか…?」
「えぇ、私たちスタッフの誰にも懐かないし、見に来てくれた方々にもさっきみたいに怯えて近付こうともしなかったので。この子なりにお兄さんに運命みたいなもの感じたのかもしれませんね」
「運命…」
猫は相変わらずじっと陽汰のことを見つめ続けており、その瞳は一緒に帰りたいと言っているようにも見えた。
視線を合わせるように身を屈めると、猫は更に近付いて鼻先をケージから少しばかり突き出してくる。
「…うちの子になる?」
「にゃっ」
陽汰の問いに答えるように猫は鳴き声を上げ、撫でてほしいと言わんばかりにケージにすりすりと身体を擦りつけてくる。
その愛らしい姿に自然と笑みが浮かび上がり、陽汰は屈めていた身体を起こして隣にいる晴斗のほうを見た。
最初は助けたいという気持ちのほうが大きかった。だけど、今はそれよりも家族になりたいという気持ちのほうが大きくなっていく。
「晴斗、俺、この子と家族になりたい」
その気持ちは晴斗も同じだったようだ。彼は陽汰の手をぎゅっと掴んで微笑みを浮かべた。
「うん、陽汰ならそう言うと思った。この子と、家族になろう」
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