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番外編 4章 大学、行かないの?
「蓮?」
「柚希、こっちこっち」
弁当を持った柚希が屋上を覗き込むと日陰になった場所から蓮が手招きしていた。一度階段のほうを確認してから屋上へと足を踏み入れ、彼の横へと腰を下ろす。
「遅くなっちゃった」
「何かあったのか?」
「んー、まぁね。隣のクラスの子に呼び出されてさ。はい、これどうぞ」
手作りの弁当を手渡すと彼はお礼を言いながら慣れた手付きでその蓋を外した。
二人がこうして一緒に弁当を食べるようになって約1ヶ月。最初は柚希がお礼のつもりで作ってきていたのだが、蓮が予想以上に気に入ってくれたのもあり、週に2回、彼のために弁当を作るようになっていた。
二人きりで屋上で過ごすこの時間は楽しみでもあり、心休まる時間でもある。
「呼び出しって、また告白でもされた?」
「またって……当たってるけど」
「うちの柚希はモテるねぇ。それで、どうしたんだ?」
「僕は蓮のものじゃないんですけど。はぁ……断ったよ。だって話したのも数える程度だったし、いきなり抱きついてこようとしたんだよ」
その言葉に蓮がピクッと反応したが、柚希はそれには気付かずに弁当の中の卵焼きを口に頬張った。
今日の味付け、甘すぎたかもしれない。そう思いながら蓮のほうを見ると彼は柚希の顔をジッと見つめており、その眉間には僅かに皺が寄っている。
「蓮?どうしたの?」
「……その告白してきた奴、抱きついてきてどうしたんだ?」
「え、あぁ、あははっ、躱したというか守ってもらったよ」
「守ってもらった?」
「うん、親衛隊?っていうの?前にもいたんだよね、いきなり抱きついてこようとしてきた人。その時もいきなり男の人たちが出てきて『俺たちは柚希さんの親衛隊です!柚希さんを傷付ける人は許せません!』って言って相手の人を跳ね返したんだよ。そんな守ってもらわなくても大丈夫だと思うんだけどなぁ」
いつからそんなものができたのかはわからないが、少なくとも1年前にはできていたように思う。
実害はないのだが、いつも何処かから見られているような気がしており、普段の生活でも常に気を張っていないといけないというのが現状だ。
だから今こうして蓮と二人きりで周りの目を気にせずに過ごせる時間は柚希にとって数少ない気が抜ける時間になっている。
「親衛隊ね……ここにはそいつら来ないのか?」
「ここは絶対見つかりたくないからね。いつもすごい遠回りして人の気配がなくなってから来るようにしてるよ」
「お前もなかなかやるなぁ。まぁでもここは俺たち二人だけの秘密の場所だからな。俺も逃げ場がなくなったら困るし」
蓮の言う逃げ場、というのは文字通りの意味だ。柚希に親衛隊がいるように学校一のアルファである蓮にも同じように親衛隊がついている。こちらは彼を守るというよりは崇めているといったほうが正しいが、それでも常に誰かに見られているというのは二人とも同じだ。
そして、蓮がどうしても一人になりたかった時に見つけたのがこの場所。本来なら鍵がかかっているはずだが、その鍵が壊れて出入り自由な状態になっていたそうだ。
「はぁ、今日も美味かったわ。ごちそうさま。お前どんどん料理上手くなってるな。良い嫁さんになりそうだ」
「それはどうも」
「あれ……柚希、ちょっとこっち見て」
「ん?」
蓮のほうを見ると目の下に彼の指先が触れ、ドキッと心臓が飛び跳ねる。ゆっくりと目の下をなぞられ、その指先は目尻でぴたりと止まった。
「夜更かしした?」
「うっ…しま、した……勉強してて…」
「やっぱり。隈、できてる。テスト近いけど無理してぶっ倒れたら意味ないだろ。って言ってもお前は無理するんだよなぁ……よし、テストまでの間は弁当作り禁止。俺が作ってくるから、その時間を勉強に当てろ」
「えっ…そんな悪いよ…」
「悪くない。それにこのままじゃお前に料理の腕どんどん離されちまうからな。俺の料理スキル向上のためだと思って、柚希はしばらくお休みな」
有無を言わせずといった感じでいつものように髪をくしゃくしゃと撫でてから彼はその場に立ち上がり、柚希に向かって手を差し出した。その手を掴むとぐいっと強い力で引っ張り上げられ、彼の落ち着く匂いがすぐ近くからふわりと香ってくる。
握られた手がじわりと汗ばみ、ドキドキと心臓が早まっていくのを感じていると蓮がフッと笑みを零した。
「やっぱ、隈できててもお前の顔は可愛いな」
「……うるさい」
ぷいっとそっぽを向いたが、耳がじわじわと赤くなっているような気がする。蓮にバレたらまたからかわれるかもしれないと思い、柚希は繋いでいた手を離して屋上の扉へと向かった。
◆
「先生、ここに置いとけば良いですか?」
「あぁ、悪いな東条。助かったよ」
教室から運んできたノートを担任の机の上に置き、他に用もなかったためすぐに職員室から出ていこうとしたのだが、そんな蓮の耳に聞き馴染みのある名前が飛び込んできた。
「白川、本当に大学行かないのか?」
「……はい」
柚希……?
声のした方へ視線を向けるとそこには柚希と柚希のクラス担任がいた。学校では見せたことのない暗い表情をした柚希がこくりと小さく頷き、担任は困ったように溜め息を零している。
「なぁ、もうちょっと考えてみないか?家庭の事情もあるのはわかるが、お前の成績で大学に行かないのは勿体ないぞ。大学に行けば就職の幅も広がるし、な?まだ時間はあるから、少し考えてみてくれ」
「……はい…すみません……失礼します」
申し訳なさそうに頭を下げた彼は蓮に気付くことなく俯いたまま職員室から出て行ってしまった。
蓮もそのあとを追うように職員室から出て行き彼の姿を探す。すると、教室とは反対方向に向かって歩いている後ろ姿が目に入った。その方向にあるのは二人で会うときに使っている屋上へと繋がる階段だ。
少しだけ歩くスピードを緩めて階段を上っていき、大きな音を立てないようにそっと屋上の扉を開ける。
夕日が照らす屋上、その壁際に柚希の姿はあった。縮こまるように膝に顔を埋めており、その姿は辛い現実から逃げ出したくて殻に籠っているような、そんな風にも見えた。
「……」
放っておいてほしいと言われるかもしれない。返事をしてくれないかもしれない。だけど、蓮にはこんな状態の柚希をこのまま無視することなんてできるわけなかった。
静かに彼のほうまで歩いていき、その横へと腰を下ろす。
「……大学、行かないの?」
「……うん」
夕暮れのオレンジ色に染まった空の下、遠くからは部活動をする生徒たちの声が響いている。そんな中で聞こえた消え入りそうな彼の声。その言葉とは裏腹に何かを抑え込むように制服を掴む手にはぎゅっと力が入り、指先は微かに震えている。
「……本音は?」
「……」
「柚希」
「…っ……行き…たい…」
先程よりも更に小さくなった声が風に乗って蓮の耳へと届いた。
柚希が大学に行きたがっているのは職員室での彼の様子からも滲み出ていたし、彼が逃げるように一人でここに来たことからも伝わってきていた。
柚希はとても頭が良い。それも毎回のテストで蓮と学年一位、二位を争うほどに。この学校に入ったのも特待生枠で入ったから成績を落とせないと前にぽろっと零していたことがある。だからといって嫌々やってるわけではなく、勉強が好きでいろいろ学びたいんだとも言っていた。
そんな彼が大学進学を諦めるのはやはり彼の担任も言っていた家庭の事情――お金の問題だろう。
蓮は壁に寄りかかりながら空を見上げた。オレンジ色から濃紺色に変わろうとしている空は二人が初めて出会った保健室を思い出させ、フッと小さく笑みを零す。横を見ると柚希は相変わらず顔を伏せており、柔らかい髪が風に吹かれて揺れていた。
「柚希、将来の話なんだけどさ」
それまで顔を埋めていた柚希だったが、ゆっくりと顔を上げて蓮のほうへと視線を向けた。その瞳は潤んで少しだけ赤くなっている。
「俺たち、結婚しない?」
「……え?」
風が二人の間を吹き抜けたが、柚希はまるで時が止まってしまったかのような気がした。
蓮の言った意味が理解できず、瞬きも忘れてその場に固まってしまう。
結婚?聞き間違い?何かの冗談?一度性的なことはしてしまったけど、あれは発情期のせいだし……。
様々な思考が巡る中、冗談だと頭では思ってはいるのに頬がじわじわと熱くなっていく。視線を逸らすこともできずにいると突然蓮がプッと吹き出し、柚希の頬を軽く摘んだ。
「すごいあほ面」
「……蓮が変なこと言うからじゃん」
「変じゃないよ、本気」
「……意味がわからない」
「言葉のままだよ。俺は柚希と結婚したいと思ってる。その前に、一緒の大学に通ってもっとお前と一緒に勉強したい。俺と張り合えるのはお前くらいしかいないしな。それから、たくさんの時間を一緒に過ごしたいと思ってる。高校で終わりなんて、嫌なんだよ」
彼の声は真剣そのものだ。
その真剣さに柚希の脳内に一瞬、彼と同じ大学に通う姿が過ぎる。だが、それはあくまで都合の良い妄想だ。
柚希には彼が言ったことを実現することはできない。
「……無理だよ…大学には行けない…お金、ないし……」
本当は、こんなことを蓮に言いたくなかった。お金がなくて大学に行けない、なんて。彼の家柄からしたら絶対にない悩みだ。だけど、柚希にとってはこれが一番大きなことであり、大学に行けなければその先の未来も蓮と交わることはないのだろう。
父親からの仕送りは高校までで終わることも前々から決まっていたし、すぐに就職する覚悟も決めていた、はずなのに……。
視線を僅かに下げると頬に触れていた蓮の指が優しくそこを撫でた。そして、視界の端で彼の口角が僅かに上がる。
「奨学金借りてバイトしよう。もちろん俺もバイトする」
「……なんで蓮まで」
「将来結婚するならお金は共通のもの。だから柚希が大学行くために俺が稼ぐのは当然だろ?」
「蓮にメリットないじゃん……」
「あるよ。社会勉強になるし、何より柚希とこの先も長くいられる」
「……」
俯いたまま黙っていると蓮の大きな両手が柚希の頬を包み込み、そっと上へと向かせた。
沈みきる前の最後の夕日が彼の整った顔立ちをオレンジ色に染め、その慈しむような優しい視線から目が離せなくなってしまう。
「柚希、俺と結婚前提に付き合ってほしい。ダメ?」
言っていることは唐突だし、無茶苦茶だ。だけど、蓮の言ったこと、それが全て叶うなら……すごく、嬉しい。
「……」
柚希はとっくに気付いていた。
蓮のことを好きになってしまったんだと。
しかし、自分は彼に釣り合わない人間だと必死に言い聞かせ、この気持ちを彼に伝えるつもりなんてなかった。そのはずなのに…。
「柚希?」
「……迷惑、かけるかも…」
「うん」
「……蓮の思うような人間じゃないかもしれない…」
「うん」
「学校にいるときみたいに…明るく、ないよ…」
「うん。大丈夫、どんな柚希だって良いんだよ。俺はそれも含めて柚希のことが好きだって言える自信がある」
「……」
どうしてこんなに真っ直ぐに全部を受け入れてくれるんだ。
こんな彼の隣に立つ自信はない。ないはずなのに、もう離れたくなくなってしまっている自分もいる。
蓮と一緒に歩いて行きたい。この先も、ずっと。
「……ばか蓮」
「そんなバカのこと、柚希は好きになってくれる?」
柚希の瞳にじわりと涙が浮かび上がる。沈みきった太陽はその瞳の潤みを隠し、それが柚希に一歩を踏み出させた。
「……とっくに好きだよ……ばか」
気持ちが溢れ出した言葉には震えが混じってしまった。だけど、蓮の唇がそれをそっと覆い隠してくれる。
――運命があるならば、これが最初で最後の恋になりますように。
二人だけの秘密の場所で交わした初めてのキスは少しだけ涙の味がした。
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