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番外編 6章 二度目のキス

 季節は巡り、例年よりも桜が早く開花した大学4年の3月。晴れ渡る空の下、二人は大学の卒業式を迎えた。  スーツに身を包み、キャンパスに植えられた桜並木を二人で歩きながら、長いようで短かった4年間のことが脳裏をよぎっていく。  授業もバイトもそれ以外の時間も、たくさんの時間を一緒に過ごした。大変なことももちろんあったけれど、思い返せばそれも良い思い出で、二人で笑いあっている時間のほうが多い大学生活だったように思う。 「ねぇ、蓮は大学での一番の思い出って何?」 「一番?そうだな……いろいろあるけど、やっぱ文化祭かな」 「四年連続でコンテスト優勝したから?」 「まぁな。俺だけじゃなくてお前とのダブル優勝だし」  文化祭でのコンテスト優勝。この大学では毎年文化祭でアルファ部門、オメガ部門に分かれてのコンテストが行われていた。競われるのはスポーツや知力、料理や演劇など多岐に渡り、そこには見た目なども加味される。  そのようなコンテストに興味があったわけではなかったが、一年生の時に同じゼミの先輩に半ば強引に応募させられた二人は見事それぞれの部門で優勝。一年生で優勝を取ったことでその後も毎年コンテストに出場することになり、結果として四連覇となった。 「特に三年のときのが良かったなぁ、あの写真やっぱ待ち受けにしたらダメか?」 「……だめ」  あれはある意味黒歴史、とでも言うのだろうか。自分がまさか大勢の前で女装する羽目になるなんて思いもしなかったし、今思い出しても恥ずかしくなってくる。  三年生の時のコンテストは他の年と比べると少し変わった競技が多く、オメガの最終競技はウェディングドレスを着ての花嫁対決だった。女性オメガもいる中でのその勝負は柚希にとって不利だと思われたが、彼は純白のドレスを完璧に着こなし、圧倒的評価を得て優勝してしまったのだ。  一方、アルファ側では花婿対決が行われており、こちらも蓮が常勝の余裕を見せて優勝。例年ならば優勝者は最終競技後に着替えてから記念撮影が行われていたが、その年に関しては最終競技の衣装のまま撮影が行われることとなった。  柚希は着替えさせてほしいと訴えたが、結局はタキシード姿の蓮と並んでドレス姿のまま写真を撮られてしまい、その写真は大学のほぼ全ての人の手に渡ることとなってしまった。  このとき学校中に広まったのは微笑みを浮かべた柚希の写真だが、蓮の手元にあるのは不貞腐れた表情をしている柚希とのツーショット。もちろん良い思い出ではあるもののそれを待ち受けにされるのはあまりにも恥ずかしく、いくら蓮のお願いでもそれだけは断り続けている。  あんなの待ち受けにされて誰かに見られでもしたらたまったもんじゃない。 「ドレス姿の柚希もう一回見たいな」 「着ません!」 「なんで」 「……じゃあ、蓮もドレス着るなら良いよ」 「プッ、お前、それはダメだろ」  自分のドレス姿を想像したのか蓮はお腹を抱えて笑いだし、柚希もそれに釣られて小さく吹き出した。 「柚希は結婚式のときどんなの着たい?」 「えっ、んー、普通にタキシードかな」  蓮のようにカッコよく着こなせる自信はないが、それでもドレスよりはマシに見えるはずだ。  顎に手を当てながら真剣にタキシード姿の自分を想像していると蓮の手が柚希の頭に触れた。見上げると彼はニッと笑みを浮かべ、髪をくしゃっと撫でてくる。 「タキシード姿もすごい良さそうだな。絶対可愛い」 「……タキシードって普通はカッコよくなるものでしょ」 「はははっ、お前は顔が可愛いからさ。あっ、そうだ」  蓮は何かを思い出したかのように片手に持っていた卒業証書の筒をカツンっと自身の肩に当てた。  春の風が彼の短い髪を微かに揺らし、落ち着く匂いを柚希に届けてくる。 「このあと高校、行かないか?」 「高校?」 「先生たち、俺らの受験応援してくれたじゃん?だから無事卒業したって報告に行っとこうかなって」  高校時代の二人の成績は非常に優秀だった。普通の大学ならば教師たちもそこまでの心配はしなかっただろう。しかし、狙ったのは国内でも有名な難関大学。  当時、S高校からその大学に進学した人はまだ誰もおらず、蓮と柚希の二人が同時に合格したら学校としても快挙になるといって教師たちは相当応援してくれた。   合格発表の日、本人たち以上に先生たちが喜んでくれた姿は今でも鮮明に思い出すことができる。そして、難しい授業内容にも挫折することなく、二人揃って今日卒業することができた。きっと学校側にも知らせは届くだろうが、直接会って報告するのも良いかもしれない。 「うん、そうだね。挨拶、行こっか」  春休みに入っているため生徒の姿は見当たらなかったが、卒業式ぶりに足を踏み入れた高校はあの頃と全く変わっていないように思えた。  警備員に断りを入れてから職員室に向かうとちょうど蓮の元クラス担任が座っているのが目に入り、その少し先には柚希の担任も座っていた。軽く目配せしてから二人はそれぞれの元担任のほうへと歩いていく。 「先生、お久しぶりです」 「おぉ、白川か。久しぶりだな、どうしたんだ突然」 「今日、卒業式だったんです。無事に卒業できたことのご報告を、と思って。あの時、背中を押して頂き本当にありがとうございました」 「そうか、卒業したのか。おめでとう。本当、お前が大学進学を選んでくれて良かったよ」  担任の言葉に当時の光景が一気に蘇ってくる。  ずっと諦めるしかいけないと思っていた大学進学。だけど、蓮が、先生が、その背中を押してくれた。  あの頃は進学しないと言って困らせてしまった担任の表情も、今はとても明るく優しげに笑みを浮かべている。 「なんか変わったな、白川」 「そうですか?」 「あぁ。大人っぽくなったのはもちろんだけど、前より何というか自信がついたように見えるっていうのかな。とにかく、良い大学生活を送ってたみたいだ。安心したよ」  自分ではあまり自覚がなかったが、確かに高校時代に比べたら前向きに物事を捉えられるようにはなっているかもしれない。  この四年間でいろんな経験を積んだということもあるが、一番大きいのはずっと傍に蓮がいてくれたということだろう。彼の存在は確実に柚希のことを変えてくれたから。  その後、最近のことや就職先のことなどを話していると先に話を終えた蓮が柚希の肩をぽんっと軽く叩いた。 「そろそろ行くか?」 「あ、うん。先生、ありがとうございました」 「うん。またいつでも来て良いからな」  ぺこりと頭を下げて踵を返そうとすると、蓮が何かを思い出したかのように「あ」と声を上げた。 「先生、屋上の鍵って借りたりできますか?」 「屋上?あぁ、いいよ」 「え、良いんですか」  やけにあっさりと貸してもらえることに蓮も柚希も驚いていると、担任は少し含みを持った笑みを浮かべた。そして、彼の次の言葉に蓮は呆然、柚希は顔を真っ赤にする羽目になってしまう。 「東条、白川、お前ら気付いてなかったかもしれないけど、屋上にカメラ付いてたんだぞ。三年の頃お前らよく行ってただろ?」 「!?」  鍵が壊れているのも放置されているような屋上にまさか監視カメラがあるなんて誰が予想できるのだろうか。  担任の話では、警備員が監視カメラに二人の姿が映っているのを見つけたそうだ。最初は注意しようかという話になったが、学校での二人の人気は教師の中でも有名。カメラに映っている時の二人は普段よりもリラックスしているように見えたため、人気者にも息抜きは必要だろうということで放置しておくことにしたのだと。 「まぁ、気を付けて行ってこいよ」  担任に送り出され、未だ信じ切れないまま屋上へと向かい、懐かしい扉の前へと二人で並んで立つ。  あの頃壊れていた鍵はさすがに直されており、蓮は借りた鍵を差し込んでその重い扉を開けた。  日が落ち始め、春の少し冷たい風が吹き付ける中、ぐるりと屋上を見渡す。よく見てみると確かに小型の監視カメラが一つ設置されていた。 「……本当に…あったね、カメラ…」 「……あぁ」  当時は親衛隊の目をかいくぐるのに必死でここにさえ着いてしまえば絶対に安心だと思い込んでいた。それがまさか監視カメラで先生たちに見られていたなんて。  カメラの向いている方向を見ていると、ふとあの頃の光景が脳裏を掠めた。  制服姿の二人、週に二回お弁当を一緒に食べ、他愛のない会話をしていた。暑い日も寒い日も二人だけで会うためにここに足を運び、短い時間を楽しんだ。  付き合い始めてからは手を繋いだり身体を寄せあったりと少し距離は近くなっていたが、幸いにも学校だからと変な行為に及ぶことはなく、いかにも学生らしい健全なお付き合いに見えていたはず。  付き合った日に一度だけキスはしてしまったが、きっとそれは見逃してもらえたのだろう。しかし、あれを見られていたのかもしれないと思うと再び顔が熱くなってしまう。  蓮は一体どう思っているのだろうか、職員室では少し呆然としている様子だったが、今の彼は柚希と同じように監視カメラの方向をじっと見上げている。  ピシッと着こなしたスーツ姿は先ほど思い出していた制服姿とはまるで印象が違い、大人の男の雰囲気が溢れ出ている。  きっと今が春休みではなく、学生が普通にいたら注目の的になっていたに違いない。柚希の目から見ても蓮のカッコよさは高校時代よりも増していたから。 「はぁ…けど、ここの屋上もなにも変わってないね…懐かしいなぁ…」 「……柚希」 「ん?」  いつも座っていた辺りに向かおうとしていた足を止め、くるりと振り返る。その瞬間、蓮の両腕が柚希のことを力強く抱きしめた。  スーツ越しに感じる彼の体温、誘うような少しだけ甘い香り、それが柚希のことを包み込む。 「えっ、ちょっと、蓮!カメラ!」  その位置は確実にカメラに映ってしまう場所だ。蓮もカメラのほうを見ていたからそれはわかっているはず。  ばたばたともがいてみるが当然柚希の小柄な身体では蓮の抱擁からは抜け出せるはずもない。  焦る柚希とは対照的に、抱き締めてきた蓮はカメラのことなど気にしていないといった様子だ。すっぽりと収まった腕の中で、蓮の心臓の音と低く心地よい声が響いてくる。 「柚希、ここで俺が前に言ったこと、覚えてるか?」 「え…どのこと?」 「結婚前提に付き合ってほしい」 「……忘れるわけないよ」  あの時の言葉、光景、それは一日たりとも忘れたことはない。柚希の人生が大きく変わったのがこの場所で蓮に言われたあの言葉だったから。  ドキドキと鼓動が早まっていく中、頭上から蓮がフッと小さく笑いを零したのが聞こえた。顔を上げると彼の瞳と視線が絡み合い、そこから目が離せなくなる。 「良かった」 「……なんで、急に…」 「柚希、結婚しよう」  遠くのほうでザァッと春風に吹かれて木々が揺れる音が響いた。  その中ではっきりと聞こえた彼の声。  数年前と同じように少し傾いた夕日が彼の顔を照らしている。  あの時よりも大人っぽくなった顔、身体。そして、ここ数年で知った彼のいろんな表情、性格。全てはこの屋上から始まった。  すごく長い時間を一緒に過ごしてきたつもりだった。だけど、それはあっという間だったようにも感じる。  もっと、もっと彼と一緒に過ごしたい。  一緒に過ごす時間が長くなれば長くなるほどその思いは強くなっていった。  蓮と釣り合う人間になれた、なんて今でも思えない。彼の隣に立つのに相応しい人はきっと他にいる。だけど、譲りたくなかった。もう譲れないところまで気持ちがきてしまった。  目頭が熱くなり、喉奥がきゅっと締まるような感覚に少し掠れた声が零れ落ちる。 「……本当に、僕で良いの…?」 「柚希で良いんじゃない。柚希が良いんだよ。お前じゃなきゃダメだ」 「っ……!」  蓮はいつも真っ直ぐな言葉をくれる。  前向きになりきれない自分の隣に優しく寄り添ってくれる。そんな相手、きっとこれからの生涯で蓮以外には現れない。そして、こんなにも大好きで、心から愛していると言える相手も蓮以外には考えられない。 「……僕も……蓮が良い…蓮と…これからも、ずっと一緒にいたい」  少し震えの混じった声は蓮の優しい口付けによって覆われた。  少し冷たく柔らかい唇が触れ、夕日に照らされた二人の影がぴたりと重なり合う。互いの胸の鼓動がとくとくと響き、瞳にじわりと熱いものが浮かび上がった。  春の屋上で、二度目のキス、それはあの時と同じようにまた少しだけ涙の味がした。

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