7 / 29
第7話
「見て! こんなにたくさん。本当に、いっぱいもらっちゃった。いいのかな」
フィンは両手いっぱいに抱えた野菜のかごを見つめつぶやく。
長老たちが集まる集会所からの帰り道。人々が次々と手渡してくれた旬の野菜、焼きたてのパン、干した魚、そして手作りのジャム。フィンとハロルドは、それらを抱えて一緒に戻ってきたところだった。
「いいんじゃないか? 診察もしてくれたって、みんな喜んでただろ。先生、先生って、大人気だったじゃん」
「……あなたも、子供たちから相当人気ありましたよ」
「俺はさ、フィンだけにモテてればいいんだよ? それなのに君は、いつの間にか、おばあちゃんたちに取られちゃったし」
「……なにそれ。取られたって」
「あはは、すごかったよな。『先生、お肌が綺麗〜』とか『もっと食べなきゃだめよ』とか。笑って見てたけどさ、途中から、あれあれ? 俺のフィン先生なんだけど~って思ってた」
「なに、その独占欲みたいな発言……」
フィンは呆れたように返しながらも、頬がほんのり熱くなるのを自覚していた。
隣で笑うハロルドは、持ちきれない荷物を肩に担いでいる。その背中が、今夜はやけに頼もしく見えた。
家に戻ると、ハロルドは迷いなくキッチンへ向かう。
「じゃあ、そこ座ってな。見てるだけでいいから」
「えーっ、見てるだけって……大丈夫、何かするから」
「いや〜、包丁握ると、だいたい怪我するじゃん」
「け、怪我って……ほんの少し切っただけでしょ! あれは不慣れだっただけだし!」
「うんうん、じゃあリベンジだな。サラダ用の葉っぱ、洗って」
「……はい」
しぶしぶ頷いたつもりだったのに、返事が思ったより素直だった気がして、フィンは慌てて視線をレタスに戻した。
洗い場の前に立ち、レタスの束をそっと手に取る。冷たい水に思わず身をすくめ、
跳ねたしずくに何度も肩がびくりと動く。
「フィン、びしょびしょだよ」
すぐ背後から、苦笑混じりの声がする。
「……わかってる。野菜を洗ってるんだから、しょうがないでしょ」
そっぽを向きながら言い返すものの、指先は少しぎこちない。そんなフィンの肩越しに、ふわりとタオルが差し出された。
「はい、拭いて。あんまり濡れると、風邪ひくぞ」
振り返ると、ハロルドが柔らかい目でこちらを見ていた。まるで何でもないことのように、当然のように。自分の不慣れさが恥ずかしくなっていく。
「そういうの、向いてないかもしれないけど……やる気はあるんだよなぁ」
「やる気って……べつに、褒められたくてやってるわけじゃないから」
「でも、褒めたくなるくらいには、可愛い」
「……っ、また! そういうの、ほんとにやめて」
水に濡れた指先を、そっとタオルで拭き取りながら、フィンは小さくため息をついた。
「今まで料理しないで、どんなご飯食べてたの?」
「ご飯……?」
あまり考えたことがなかった。空腹になったら、食べる。そこに好きなものやこだわりという感覚は、あまりない。
「えーっと……サラダ?とか。そのまま食べるよ。トマトとか、きゅうりとか……後はリンゴかな。かじるだけでいいし」
「……かじるだけ?」
「そう。あとパンとか……基本、包丁いらずで食べられるもの」
「ははは、それワイルドすぎるだろ」
「……まぁ、料理苦手なんで。火を使わなくて済むなら、それで十分なんだけど」
「それ、食事っていうより……生きるための摂取って感じじゃん」
「そう言われると……否定できないかも」
ほんの少しだけ、照れたように肩をすくめたフィンに、ハロルドが優しく笑みをこぼす。
「そっか……じゃあ、俺、もっと頑張ろう。胃袋、ガッチリ掴んでおきたいもん」
「胃袋……?」
思わず聞き返したその単語に、ハロルドはにやりと笑った。
なんだかんだ言いながらも、彼の手は止まらず、料理は着々と仕上がっていく。やがてテーブルには、湯気の立つ煮込み料理と、香ばしく焼けたパンが並んだ。
ひと口、口に運んで、思わず声が漏れる。
「う〜んっ……美味しい。これも、最高……ほんとに、あなたって料理が得意だよね。すごいっ!」
「……ハロルド」
「ん?」
「……俺の名前。知ってるだろ? フィン」
ふいにまっすぐ向けられた視線に、胸の奥がひやりと揺れた。言葉はいつもの調子なのに、その目だけが真剣だった。
「し、知ってるよ……ハロルド……?」
「ははっ、なんで疑問形なんだよ」
「な、なんとなく……」
フォークを持つ手に、じわじわと熱がのぼっていく。名を呼ぶだけなのに、顔を背けたくなる。だけど、不思議と目が離せなかった。
「でもさ、フィンから名前で呼ばれるのって破壊力、ハンパない」
「……なに、それ」
顔が熱くなるのを自覚する。けれど、不思議と嫌じゃなかった。むしろ、むずがゆくて、落ち着かない。
「もう一回、こっち見て、呼んで?」
ほんの一瞬だけ迷ってから、フィンはまっすぐに視線を合わせて、名前を呼んだ。
「……ハロルド」
その瞬間、ハロルドはスプーンを静かに置き、ふぅっと小さく息を吐いて、背もたれに体を預ける。
「……やっばい。今ので完全にやられた」
冗談のような声色だけど、口元はゆるみ、頬にはほんのり赤みがさしていた。
たぶん、照れているようだ。
「な、な、なに……っ、だから、そんなに何度も呼ばせないでってば!」
ハロルドの照れが伝わってきて、フィンも何故か恥ずかしくなってしまう。
「……いや、俺、今ちょっと幸せだから」
「もうっ! なに? ほんとに……ほら、冷めちゃうから、食べて!」
「いや、ちょっと今、気持ちの整理してるとこだから。待って…」
「整理? そんなのいいから……っていうか、あなた照れてるの?」
ふと視線がぶつかる。
ハロルドは、にやりと笑った。
「ああ、照れるって。……かなりな」
あまりにも自然に、さらりと告げるから、フィンはまたしても言葉を失い、手元の皿を見つめるしかなかった。
ともだちにシェアしよう!

