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第9話

昼間、村の入り口に複数の馬車が入り、王都からの調査班と軍事班が本格的に到着した。先行して村入りしていたフィンとハロルドのチームともここで合流し、調査は新たな段階に入る。 調査班は、医療と土地調査を専門とする王直属の特別班。今回、その指揮を執るのは医師であり研究者でもあるフィン。 異常の記録管理、地質と体調のモニタリング、治療対応など、班の中核を担っている。 一方、軍事班の指揮官は王国軍司令官・ハロルド。 現地の安全確保、施設整備、突発的な事態への即応を担う、いわば実働の要だ。 馬車から次々と荷が降ろされる中、隊員たちは慣れた手つきで拠点構築を進めていく。 仮設テントや医療区画が整い、村の一角が徐々に調査拠点としての体裁を整えていった。 「診察所は南側に。風の流れが安定しているし、薬品の保管にも適しています」 フィンが地図を示しながら静かに指示を出すと、班員たちは即座に動き出す。 治療用のスペース、測定器、資料台……設営は静かに、だが確実に進んでいった。 同じ頃、ハロルドは軍事班の副官たちに声をかけていた。 「南東の崖沿いは地盤が不安定だ。流れが滞留してる可能性が高い。斥候は二人一組で、測定器を使って慎重に進め」 「了解!」 整然と声が飛び交い、周囲には適度な緊張感が満ちていく。 調査と警備、異なる目的を持つ二つの班が、それぞれの専門領域で動きながら互いを支え合っていた。 「……なんかさ、この村の空気、落ち着かね?」 テント設営を終えた若い兵士がぽつりとつぶやく。 「わかる。なんていうか、呼吸がしやすいっていうか……前線と全然違う」 「魔素があるのに、体調いいの変だよな。普通ならもっと疲れるのに」 調査班たちも同じように頷く。そのやり取りを耳にしたフィンは、診断具を見つめながら小さく笑う。 「……皆、感じているんですね。言葉にできなくても、身体って、素直ですから」 隣にいたハロルドが空を仰ぐ。 「戦場に慣れた連中が、気持ちいいって言うのは珍しいな。普通なら、もっと警戒するもんだ」 「つまり、守素の流れが、まだ完全には消えてないのかも」 「そうだとしたら……残ってるんだな、希望が」 フィンは、小さく頷いた。 午後、調査方針の全体説明が簡易本部で行われた。 昼の光が和らぐ中、フィンが資料を手に中央に立つ。調査班と軍事班の隊員たちが静かに耳を傾けた。 「今日は、この土地の調査方針と、私たちの仮説を説明します」   「この村にはかつて、“守素(ごそ)”と呼ばれる流れが存在していたとされています。 精霊の谷とも呼ばれ、癒しと穏やかさに満ちた場所でした」 小さなどよめきが起こる。 「守素は、魔素とは異なり攻撃性がありません。傷を癒し、心を落ち着け、土を育てる……いわば守るための流れです」 フィンは視線をあげると、今度はもう一つの力について語る。 「一方、魔素は魔物の発生源ともなり、土地を濁らせます。皆さんも知っての通り、放置すれば異形を生む危険があります」 「……守素と魔素って、別物なんですか?」 若い隊員のひとりが問うと、フィンは首を振る。 「完全に別とはまだ断定できません。ですが、同じ根を持つ性質の変化だと考えています」 そう言いながら、地面に一本の線を描いた。 「たとえば、まっすぐ流れていた川が強引にせき止められたら、流れは乱れ、濁流になります。守る流れが、無理に引き出されたことで、攻める流れに変わってしまった……そんな可能性もあるのです」 しばらく沈黙が流れたあと、別の隊員がそっと口を開いた。 「……じゃあ、本来の流れに戻せば、戦わなくていい場所にできるかもしれないってことですか?」 「ええ。それが私たちの目指す調査の目的です。まだ全部が解明されたわけじゃないけど…」 フィンは小さく微笑んで、その隊員を見た。 「この村の空気、感じましたよね?気持ちよかったでしょ。身体って、ほんとに素直だよね」 「は、はいっ!」 思わず笑いかけられた若者は、真っ赤になって姿勢を正した。 「ふふ……ここは、確かに過ごしやすい。空気が柔らかい。皆さんも、何かしら感じているはずです。そういう気づきが、調査の大きな鍵になります」 フィンは周囲を見渡しながら、笑顔で優しく語りかけた。 「だから、感じたこと、気づいたこと…どんなに小さなことでも、必ず報告してくださいね。一緒に、この土地の真実を見つけましょう」 隊員たちは、自然と笑みを浮かべて頷いた。 癒しの流れが、まだどこかに残っているかもしれない。それは、誰にとっても、小さくても確かな希望だった。 フィンが笑顔で締めくくると、ざわざわとしていた場が自然と和らいでいく。 明日から本格的に始まる調査に向けて、班員たちは改めて気持ちを整えているようだった。 「あの、先生……これ、村の人がくれたお菓子なんですけど」 若い軍事班の一人が、少し恥ずかしそうに布に包まれた箱を差し出した。 「甘くて美味しいって言ってて……先生、甘いもの好きですよね?」 「わ、ありがとう。嬉しいな」 フィンがにこっと笑うと、その若者は真っ赤になって「失礼しますっ」と小走りで去っていった。 その様子を、少し離れたところからハロルドが見ていた。 「……おい」 口からこぼれた低い声に、傍にいた兵士がびくりとしている。 それをちらりと見ていたフィンは、小さく笑った。 街から多くの隊員たちが来たことで、村は活気づいていた。子供たちは遊び相手が増えたと大喜びし、広場は賑やかになっている。 王宮の計らいで送られてきた食糧や物資は、調査の合間を縫って村の人々にも配られた。 「先生!お礼よ〜」と、村の人からはフィンに、野菜やお菓子が手渡された。お茶に誘われる場面も増えている。 調査班は村の広場や森の中に観測機などを設置し、明日からの本格調査に備え、隊員たちは少し早めに解放された。 ___テントや簡易宿舎では、思い思いに自炊が始まり、夕方の風に混じって食事のいい匂いが漂っている。 「わっ!これ美味しい……なにこれ、めっちゃ甘い!」 「さっきもらったやつか?あー、それジャム入りのクッキーだろ」 フィンとハロルドは家に戻っていた。ハロルドは村で手に入れた野菜を使って夕飯の支度をしており、フィンはその横で、もらった菓子をつまんでいた。 「なんだろ、これ……キイチゴ?ラズべリー? 甘っ……やっぱりこの土地のものって、格別だよね。どうしてこんなに特別なんだろ」 「なんだよ。……ったくさぁ」 「は? なにその言い方。嫌なら食べなくていいですけど?」 クッキーを大事そうに箱へ戻すと、フィンはキッチンの棚の上にそれを隠す。ハロルドが食べないなら、自分だけで楽しもうと思った。 「いや、ちがうって。そうじゃないよ?ただ、なんかまた取られた気分っていうか……ちょっと面白くないっていうか……」 鍋をかき混ぜながら、ハロルドは口を尖らせたまま視線を落とす。 「……珍しい。そんな愚痴みたいなこと言うなんて」 「だよな。俺も自分で、女々しいって思ってる」 横顔は拗ねているようで、でもどこか楽しそうにも見える。だけど、堂々とした司令官らしからぬ姿に、フィンは思わず吹き出した。 「なにそれ。あはは、あなたでもそんな顔するんだ。意外~」 「いやさ、昼間の説明のとき……覚えてる?」 「え? ああ、調査の説明会?」 「そう。フィンが『この空気、気持ちよかったでしょ?』って、みんなに笑いかけただろ。……あれ、あの後、軍も調査も浮かれてさ。『先生のために頑張ります!』とか、顔真っ赤にして、団結しやがって…」 鍋の底を、やたら力強くかき混ぜる音が続く。 「いいじゃない! 何が悪いの。団結してくれたならいいことでしょ?」 「いや、いいよ?いいんだけどさ。あんな笑顔振りまかなくてよくないか?フィンは何気ない顔してたけど、俺は横でずっと落ち着かなかったんだぞ」 「は? あんなことで?」 フィンがきょとんとしながら問い返すと、ハロルドは苦々しい顔で続ける。 「だってよ、『身体って素直だね』なんて言われて、ニコッと笑われたら……そりゃ、勘違いするだろ。しかも、うちの隊員……あのやろう、菓子なんか渡してカッコつけやがって。顔真っ赤にして逃げてったけど、あれ、絶対惚れてるぞ」 勘違いとか、笑顔を振りまくとか、ハロルドの言うことが、フィンにはいまいち理解できない。 でも、完全に八つ当たりのようなハロルドを見るのは意外だ。そんな彼の一面を見てフィンは面白くなってしまう。 「あはは、どうしたの? ははーん……疲れてるな?じゃあ今日は早めに寝ようか。特別に、私が抱きしめてあげましょう」 「…………」 大きな子供をあやすようだ。そう思い、機嫌よく言ったフィンだったが、ハロルドは固まったまま黙っている。 「……え、なに黙っちゃって」 「いや……フィン、わざとだろ、それ」 「わざとってなにが?」 「ああーーーっ!!もうーーーっ」 声を上げて頭を抱え、ハロルドは、しゃがみこんだ。 「あははは、なに? おっかしい!」 そんなハロルドを見てフィンは驚く。やっぱり、こんな余裕のない感じは初めてである。なんだかわからないが、フィンはもっと可笑しくなり、腹を抱えて笑いだした。 その声を聞いたハロルドは、すくっと立ち上がり、無言でフィンの腰をがっしりと抱えた。 「…フィン……覚えとけよ?」 「はあ? ちょ、ちょっと……いてっ!」 何故かおでこを指でピンっとはじかれた。

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