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第10話

夜。村に、恐ろしいほどの静けさが戻ってくる頃、外では木々の葉が激しく揺れ、淡く光る魔素の粒が、風に乗ってふわりと舞っていた。 「……あれ、やっぱり感じた?」 ベッドの中、隣にいるハロルドを見上げながら、フィンがぽつりと尋ねた。 日中、彼が地面に手を当てていたときの言葉が、ふとよみがえる。 『守ってる感覚に近いな』 そして、村の長老の言葉も重なる。 『地が、傷を癒す』 「そうなんだよな……うまく言えないけど。 なんか、包まれてるというか。守られてる感じだったな」 「やっぱり! 同じように感じたんだ」 ぱん、とフィンは手を打つ。 この大地は、なにかを、あるいは誰かを守っている。そう感じているのは、自分だけじゃなかった。 「それに、守る力がすごく強い。そんな気がする」 ハロルドはそう言って、ごく自然な仕草でフィンをそっと抱き寄せた。その大きな体に包まれて、フィンは思わず身をこわばらせる。 「……つうか! なんで、私が抱きしめられてるの!」 さっきまでは、子供のようにハロルドが不貞腐れていたから、自分が抱きしめてあげよう。そう言ったばかりだ。なのに、気がつけば立場が逆転している。 「いや、寒いかなって思ってさ」 とぼけたように笑うハロルドの胸元に、フィンの額が触れそうになる。 「寒いけど……っ、近すぎるってば」 「別に今日に限ったことじゃないだろ。毎晩こうしてるじゃん」 「そ、そ、そうだけど!今日は特別近すぎ」 「だってもう昼はさ、独占できないだろ?だから夜だけでもってさ」 「夜だけでもって……なんなの、それ」 「フィンが誰かに優しくしてると、俺、ダメみたいだからさ」 「……は?」 「昼間さ、村のおばあちゃんたちと話してたり、うちの隊員に笑いかけてたり…… ちゃんとわかってるけど、つい見ちゃうんだよ。あー……なんかもう、嫉妬?」 「……やっぱり子供かあなたは」 呆れたように胸元を押し返しても、またすぐに抱きしめ返される。 「綺麗な人に笑顔で話しかけられたら、誰だって好きになるって。……そりゃ、みんなフィンに惚れるよ」 「惚れられてないから!」 「本人が気づかないって、よくある話なんだよなあ」 ごそりと、ハロルドの腕がフィンをさらに引き寄せた。 「わ、ちょ、ちょっと! ほんとに……!」 「大丈夫、ただ、こうしてるだけ。夜は寒いから」 「……また、そうやって……」 「この村の夜って、本当に冷えるよな」 「まぁ……それはほんとだけどね。昼は暑いのに、朝晩は凍えるし……気温差激しすぎだよ」 日中は汗ばむほど気温が高い。けれど夜になると、まるで冷気が這い上がってくるような寒さがある。 「魔素が関係してるんじゃないか?戦場も寒かったろ?魔素が濃くなると、気温がぐっと下がる」 「確かに……霜が降りるくらい寒かった」 「ま、今はこの寒さも都合いいけどな。ん?」 額がそっとくっつけられて、フィンの心臓が跳ねる。慣れてきたはずの距離感なのに、やっぱり不意打ちはドキッとしてしまう。 「あーーっ!」 突然フィンが声を上げる。 「……なに」 突然の大声にハロルドは怪訝な顔をしている。 「首のとこ! なにこの傷! うそでしょ、こんな場所に……まだ隠してたの!?」 誤魔化すように声を張ったが、それは動揺の裏返しだった。だがおかげで左耳の下、首筋に小さな傷跡が見えた。古くて、もうほとんど消えかけているけど。 フィンは指先でそっとそれをなぞる。ぴくりとハロルドの肩が揺れるが、構わずなぞり続けた。 「……それは魔物じゃないぞ」 「じゃあなに?いつの傷? うーん、でも確かに古い傷だね。消えかかってる」 「子供のころだよ。遊んでて、木の枝にざっくり引っかかった」 「げっ……あぶなっ。首って致命的になるんだから」 フィンの指は、まだその傷に触れていた。 下から上へ撫でると、最後に指先に傷の感触が残る。どこをなぞっても、熱が伝わるようだ。 自分の指が、ハロルドの肌にそっと吸い寄せられていくような、不思議ななじみ方をする気がした。 触れた指先から、じんわりと熱が伝わってくる。この熱の奥にあるものを、もっと知りたくなってしまう……この男は、どこまでも熱いのだろうかと、ふと考える。 指先を滑らせるたび、肌が吸い寄せるように追いかけてくる。 浅黒い肌に宿る体温も、首筋から耳にかけての線も、やけに意識してしまう。黒く硬い髪に指を埋めた瞬間、気づけばもう、どこまでも触れていたくなっていた。 触れた場所すべてが、熱を帯びて脈打っているのがわかる。ハロルドの肌は、自分とはまるで違う質感だ。どこに触れても、吸い付くように指先を手放さない。そして気が付くと吸い寄せられている。 窓の外で風が唸っているのに、もう耳には届かない。聞こえているのは、ただ彼の肌が語る音だけ….それを感じ取ることで、何故か胸がいっぱいになった。 「………フィン」 名前を呼ばれ、息が詰まる。 いつの間にか、フィンは両手でハロルドに触れていた。恥ずかしさを誤魔化すように身を引こうとすると、腕をそっと握られ引き止められる。 「……こら、何を考えてた?」 「……な、なにって。別に……」 「嘘つけ、教えろよ」 「ど、どこもかしこも……き、傷だらけだなって思ってただけ!」 「はは、そうか。フィンに触られて気づく傷ばっかりだな」 「っ……ダメだからね、ほんとに!もっと気をつけないと……!」 「自分じゃ見えないからさ。だから、君の目で全部、覚えてくれ」 そう言いながら、ハロルドはフィンのおでこにそっと額を寄せた。 そして、逃がさないように腰に回した腕に、ぐっと力がこもる。 「そ、そんな勝手なこと……言わないで!自分の身体がいちばん大事でしょ!だから、」 「違うな。俺がいちばん大事なのは、フィンだよ」 ぐいっと押し返すフィンに、ハロルドは嬉しそうに笑う。そしてまた、何もなかったように抱き寄せてきた。 「う、うるさい……もう……」 「はいはい、でも逃がさないよ。ほら、寒いだろ?ずっと、こうしてるからな」 その声があまりにまっすぐで、フィンは言い返す気力も失い、ただその胸に身を預けた。 窓の外では、夜風に揺られて魔素の粒が、ふわりと浮かび上がっていた。

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