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第11話
村での調査が進むにつれ、フィンたちの仮説は次第に輪郭を帯びていった。
翌日、日が高く昇る頃、広場に設置された観測器が『0』の数値を示した。
「昼になると、魔素の反応が消える……?」
記録を確認していた副官が驚きの声をあげる。魔素の気配は完全に失われ、その変化は明確に数値へと現れていた。
同じ頃、隊員たちの身体にも、ある変化が起こり始めていた。
「なぁ、体軽くないか?この村に来てからさ、睡眠時間は同じなのに、疲れが取れている気がする」
「俺もそう!よく寝て、よく食べれる。なんかあるのかな」
「村の人たちも、やたら元気だし。それと、この村の食べ物はやたら美味しいよな」
そんな会話を聞きながら、ハロルドは低く呟いた。
「魔素の中にいるにもかかわらず、誰ひとり体調を崩していない。……奇跡だな」
フィンもまた静かに頷く。
……これは、守素の作用かもしれない。
フィンの中で『昼に守素の流れが強まり、人々の体を癒している』という仮説が、確信に変わりつつあった。
___けれど、その穏やかな時間は、陽が落ちるとともに終わりを迎える。
夜になると、村には異様な冷気と静けさが再び広がり始めるのだった。
空気は澄んでいるはずなのに、じわりと肌寒さが忍び寄る。それは単なる気温の低下では説明のつかない、異質さだった。
夜の闇では魔素の粒子が舞い上がり、目視できるほどの濃度で漂い始める。ゆらゆらと揺れるそれは、蛍火にも似て、どこか切ないほどに美しい。観測器の値も、夜に入ると再び跳ね上がる。
「でも、攻撃性はないですね」
調査班のひとりが言い、フィンも同意する。魔素が漂っていても、誰も不調を訴えず、その粒子の動きもどこか穏やかだった。
夜の観測器は、微細な波形を描いていた。
それはまるで、止まりかけた水がゆるやかに脈打ち、再び流れ出そうとしているように見える。
「……完全には止まっていない。攻撃性はなくても魔素は、流れようとしてる」
フィンの言葉に、ハロルドは仮設拠点の裏手に目を向けた。
「やっぱり、夜だけだ。まるで、夜になると何かが目を覚ますみたいだ」
この村の魔素は、明らかに他とは異なっていた。意思を持たないまま彷徨い、暴れるでもなく、ただ留まっている。
「……魔物になる前に、流れを断ち切ろう。早めに対処した方がいいかもしれない」
魔素はゆっくりと集まり、やがて核となり、最悪は魔物へと変貌する。
であれば__
その核が形成される前に、流れを断てばいい。それも早いうちに。
「ただ断ち切るだけで、大丈夫なの?」
「……それだけじゃダメだな。都会での戦いで分かった。断ち切っても、また魔素が集まるのは時間の問題だ。すぐ核を生んでしまう。だから、守素が望みかもしれない」
村の外れ、森の先に行く。
魔素の濃度が高い地点が一箇所、明確に特定されていた。そこでは地表がわずかに隆起し、夜になると淡い魔素が脈動していた。
「ここが詰まりか……」
ハロルドが膝をつき、土に手を当てる。地中の流れを感じ取るように、深く目を閉じた。
「……この奥に、核がある。あれを砕けば、魔素は散るだろう」
___夜、軍事班が召集された。
地脈を読む技術に長けた兵士たちが、フィンの地図をもとに作業を始める。
硬化した地層を爆破し、魔素が滞留していた空間を露出させる。
やがて、黒い瘤のような核が現れる。生きているように脈打ち、わずかに震えていた。
「……引け!」
ハロルドの指示に、隊員たちが一斉に退避する。風が巻き上がり、魔素の粒子が抵抗するかのように舞い上がる。
だが、その中を、ハロルドは迷いなく進んだ。
「俺がやる。下がってろ」
肩に大剣を担ぎ、静かに歩を進める。
「……断つ」
一閃。
鋭い風が走り、刃が核を正確に叩き割る。
硬い破裂音とともに、魔素が一気に拡散される。まるで堰を切った水のように、空気の流れが変わった。
「……散った」
フィンがそう呟いた瞬間、観測器が反応する。魔素の数値は、完全に『0』を示していた。
沈黙が落ちた。重さが消え、風は軽く、どこか温かかった。
「これで……流れは戻った」
そう言ったフィンの声には、どこか戸惑いが滲んでいた。
「けど……これは、応急処置に過ぎませんね」
「……ああ。核を壊しても、根は残る。いずれまた、どこかで同じことが起きる」
ハロルドの言葉に、フィンは観測器を見下ろしながら、静かに息をついた。
魔素が流れを奪い、また核を生む。
止めるだけでは、終わらない。
「やはり…守素。守素がないと……」
だがはたして、守素で対処できるのか。
どこで、どうすれば。
フィンはまだ、答えを見つけられてはいなかった。けれど、どこかで静かに息づく守りの流れを感じていた。
◇◇◇
家に戻ったフィンは、観測記録を何度もめくり返していた。
「守素を育てるには……どうしたらいい?」
村に残る守素が再生の鍵__
それは確かだ。
けれど、それをどう増やすのか、答えはまだ見えなかった。
「……ああ、こんなとこに隠してやがった。まーたもらったのか」
不意に棚の上から、ハロルドがキイチゴのクッキーを取り出す。にやりと笑って、さくりと一枚を口に運んだ。
「まあ、美味いからいいけどな」
それは村のおばあちゃんからもらった、素朴な焼き菓子だった。甘酸っぱくて、どこか柔らかい、野生のキイチゴの風味。
フィンはその様子を見て、ふと顔を上げた。
___キイチゴ。
この村ではよく見かける果実。
ここは自然は豊かで、食べ物も美味しい。人々の身体にも、変化が出ていた。
だが__。
ふと、これまで無意識に目を背けていたものが、形になって目の前に現れたように思えた。
「……この村、半分は自然に囲まれてるのに、もう半分は妙に何もない」
違和感が、ゆっくりと確信に変わっていく。今、自分たちが暮らしているこの家の周囲も、まるで何かに伐り払われたように、ぽつんと浮かび上がって見えた。
フィンは記録を手繰るようにめくり、立ち上がるとハロルドの腕をがしっと掴んだ。
「ちょ、どうした。なんだよ、いきなり…」
「来て。今すぐ!」
「お、おい!夜にそんな、危ねえって…!」
返事も待たず、フィンはハロルドの手を引いて家を出た。勢いよく走り出す。目指すのは、昼間に確認していたキイチゴの茂みだ。
到着すると、フィンは息を整えつつ観測器を取り出し、周囲の魔素の反応を調べ始める。やがて、表示された数値を見て、声を上げた。
「やっぱり……見て。ここだけ、反応がゼロ……!」
風に揺れるキイチゴの葉。その下だけは、魔素の反応が確かに、ない。
「……木がある場所には、魔素が集まっていないんだ」
フィンの手の中で、観測器の数値は微動だにしなかった。その表情には、驚きよりも深い納得が浮かんでいる。
「夜は魔素が強まってるはずなのに、どうしてここだけないんだ……?」
ハロルドが首をかしげながら、隣にしゃがみ込む。夜の闇の中でも、キイチゴの葉は小さく揺れていた。
「守素、だと思う」
「守素?……守素は…この木ってことか?木が守ってるってことか?」
「……たぶん、この村の守素の流れは、植物の根を通ってるだと思う。土の中で、まだ息をしてる。だから、断たれていない場所には魔素が近寄らない」
「……自然そのものが、流れを保ってるってことか。となると、君の仮説は当たっている気がする」
フィンは小さく頷いた。
暗がりの中、ふと風が吹き抜ける。キイチゴの葉がふるりと揺れて、二人の肩にわずかに触れた。
「……なんか、変な気分」
フィンがぽつりとこぼす。
「魔素とか守素とか、頭ではわかってても、こうして風が吹くだけで落ち着くの、変だなって」
ハロルドはその横顔をしばらく見つめてから、そっと声を落とした。
「いや、変じゃない。フィンの感覚は、ちゃんといつもまっすぐだ」
「……そういうさらっと言うの、ずるい」
フィンの声には、静かな照れがにじむ。
ハロルドは思わずふっと笑って、肩越しに空を見上げた。
「……じゃあ、言い直す。俺は、フィンがそういうふうにいてくれて、助かってる」
フィンは目を伏せ、かすかに笑った。
「……ふふ。何?それ」
冗談めかして返した声には、わずかに揺れる響きが混じっていた。
ハロルドは言葉を継がず、ただフィンの横顔を静かに見つめている。
しばしの沈黙のあと、フィンはふっと視線を空へ向けた。
「……太陽も、関係してるのかも」
いつもの調子に戻った声でそう呟く。
「昼は守素が活性化して、日が沈むと魔素へと変わる。けれど、植物がある場所だけは、その流れを留めている……そんな気がする」
言葉を口にしながら、フィンは自分の中で確信が形になっていくのを感じていた。
「逆に、何も生えていない場所では、流れが切れて魔素に変わっていた……」
ふたりはしばし黙って、足元の土を見つめた。
やがて、フィンがぽつりと呟く。
「……試してみたい。断ち切った場所に、苗を植えてみましょう」
「断たれた流れを、繋ぎ直すってことか」
ハロルドの言葉に、フィンは真剣に頷いた。
「キイチゴでも、ほかの木でもいい。根が張れるものなら、きっと……」
ハロルドは一瞬眉をひそめたが、すぐに小さく笑った。
「フィン先生の考えに、賭けてみるか」
◇◇◇
__翌日。
調査班と軍事班が協力し、昨日ハロルドが魔素の断ち切りを行った土地へと再び向かった。
断層が走るその場所は、まだ荒々しい傷跡を残している。
断ち切り直後の観測値は『0』だったが、今はわずかに反応が戻り始めていた。
フィンは、村人から受け取ったキイチゴの苗を大切に抱えながら、静かに地面を掘り始める。土はひんやりと湿っていたが、根を下ろすには十分な柔らかさだった。
「……ここに、流れを戻して。守素を」
フィンはそう言って苗を植えると、観測器を設置し、静かに周囲の変化を待つ。
やがて__。
「反応、下がってきてる……」
副官が観測値を見つめ、目を見開く。
その声に、フィンの胸が高鳴った。
「……守素の再生が、始まった?」
ほんのわずか。けれど確かに、流れは動き出した。断たれていた場所に、再び繋がりが芽吹こうとしていた。
ハロルドは無言でその様子を見守っていたが、ぽつりと呟いた。
「……土を耕して、種を植える。それが戦う方法になるとはな。フィン、君の仮説は正しかったな」
その言葉に、フィンは頷きハロルドを見つめて笑った。
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