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第12話

村での再生作業が始まって、数日が経った。 夜の冷気は少しずつ和らぎ、空気に混じっていた魔素の粒も、日に日に薄らいでいく。風は柔らかく、肌に触れる空気は穏やかだった。 「……風、違うな」 広場の中央で足を止め、ハロルドが空を見上げる。月はまだ高いというのに、冷気は感じられなかった。 「うん。昨日と比べて、魔素の濃度がまた少し下がってる。代わりに、守素の流れが強まってるのがわかる。夜も寒くないし、過ごしやすくなってきた」 フィンは観測器を手に、足元の土に視線を落とす。土壌の魔素値は、限りなくゼロに近づいていた。 代わりに、再生の兆し、守素の波動とされる反応が、じわじわと地中から立ち上がり、静かに周囲へ広がっていく。 「……順調すぎるくらい、順調」 フィンは目を細め、大地を見つめた。 植えた苗の根が、土と繋がっているのがわかる。昨日埋めた苗にも、小さな芽が覗きはじめていた。周囲の土からは、ふわりと甘い香りが立ちのぼる。 「両隣の村まで出て、植えてきたんだろ?」 「そう。村の人たちにも協力してもらって。最初は戸惑ってたけど……いざ始めたら、みんな驚くほど丁寧だった」 「……だろうな。みんな口ではいろいろ言うけど、自分の土地が戻るってわかったら、手の動きが変わる」 ハロルドの声には、柔らかさと、どこか誇らしげな響きがあった。 「子どもたちまで、水をあげてくれてね。毎朝欠かさず通ってくる子もいるんだよ。名前、もう覚えちゃった」 「フィン、そういうとこ、すぐ覚えるよな」 「……だって、芽が出てるの、見せたかったから」 フィンの声は少し弾んでいた。 作業に追われる日々の中で、小さな芽吹きが、何よりも心を救ってくれる。 「植物と、太陽。人と、大地」 観測器をそっと閉じて、フィンは言った。 「……それが、守素を作るんだと思う」 「人と、大地、か……」 ハロルドは空を仰ぎ、ぽつりと呟いた。 「魔素を断ち切るのは、俺たちにできる。でも、守素を育てるのは人の手だな。土と、時間と、あとは……想い、か」 「うん。でも、ひとりじゃ無理だった。少しだけ、心が折れそうだったし。……でも、みんなが協力してくれたから、ここまで来られた」 風が吹き抜けた。 夜の冷たさのない風。代わりに、ほんの少し、あたたかな匂いを含んでいる。 「根が広がっていくなら、もう無理に植えなくても、いずれこの村中に守素が満ちる」 「……でも、あと少し。確認が必要な場所がある。地中の流れが戻るには時間がかかるから、焦らず見ていく」 そう言って、フィンは再び観測器を起動し、歩き出す。足元をひとつひとつ確かめるように、ていねいに。 その背中に、ハロルドの声が届いた。 「……ほんと、そういう一生懸命なとこ、可愛いよな」 「はあ? 何? 聞こえてるけど」 「わざと聞こえるように言ってるんだよ」 「また……そんなことばっかり……」 「だって、俺の前だと特に、可愛くなるから」 フィンがちらりと振り返り、眉をひそめる。その仕草に、ハロルドは口元を緩めた。 「……俺の前限定って、ことか。特別だろ?」 「……なにそれ。知らないし」 拗ねたように顔をそむけるフィンの耳が、ほんのり赤く染まっていた。ハロルドはその背中に近づいて、そっと囁いた。 「知らなくていいよ。可愛いってことに変わりないから」 夜の風が、ふたりの間をやわらかく包む。 冷気はなく、代わりに、春のはじまりを思わせる匂いが混ざっていた。 ◇◇◇ 夜、食事を終え、キッチンで後片付けをする。ハロルドが食器を洗い、フィンが拭く。 それは、ふたりの間で自然に生まれたルールになっていた。 「寒くなくなったけど、一緒に寝るだろ?」 「そりゃさ、寝る場所はひとつだから一緒に寝るよ?だけど、もうくっつかなくていいでしょ」 「それとこれとは別だろ」 「また、そんなことばっかり言う」 「……離れて寝るとか無理。俺は」 皿を洗い終えたハロルドが、突然ひょいとフィンの身体を抱き上げた。フィンの手から、使っていたふきんがふわりと落ちる。 「わぁっ!こら!お皿持ってたら危なかったじゃない!」 「もう全部終わっただろ?そろそろ、俺に独占させてくれ」 キッチンの隅で抱きしめられるなんて初めてだった。 「もう、ここはベッドじゃないでしょ!」 「あはは、じゃあ、ベッドならいいってことか?」 「ち、違うってば…げっ、ちゃんと手を拭いてよ。濡れるって」 背中に回された手はまだ少し湿っていて、それがやけに熱く感じた。ハロルドの腕に抱き込まれると、どうしてか、心までふっと緩んでしまう。 「そういえばさ、俺たちまだ王からの褒美の途中だよな」 「あ、ほんとだ!いつの間にか調査班として動いてたけど、本来は療養と看病のための休暇だったよね?」 王から言い渡された褒美。それは、ハロルドの療養とフィンの看病の時間だったはず。けれど実際には、調査に引き込まれ、気づけば任務の真っ最中だった。 「まんまとカイゼルにやられたな。あいつ、こき使いやがって」 「陛下は、なかなかの策士だもんね」 フィンがくすっと笑えば、ハロルドも小さく息を漏らす。きっと王は、最初からこうなると見抜いていたのだろう。 「だったらさ。ここが片付いたら、もう一度あの家で過ごそうぜ。やり直しってことで」 「あはは。やり直しって、なにを?別にいいけど。もう、休暇はいいんじゃない?」 気分がよくて、ふと気づけばフィンの両腕はハロルドの首に回っていた。こんなに近くにいるのに、もっと近づきたくなる。 「そうか?俺はまだ欲しい。フィンと一緒に、ちゃんと休みたい」 「一緒に過ごしたら、今度こそ洗濯機壊しちゃうかもよ?」 「あはは、いいよ、それでも。ご飯は好きなだけ作ってやるさ」 「えー、ほんと?あー…じゃあ、あれ食べたいかも、チキンの煮込み、トマトのやつがいい。それとね、ジャガイモのスープ」 「了解。あとは? あれも好きだろ?ホワイトアスパラのソテー」 「うっわ!あれ大好き!美味しかったな。パンも一緒にお願い」 笑い声がキッチンに満ちる。 ふたりで過ごす時間が、いつの間にか当たり前になっていた。 ハロルドのたくましい腕が、フィンをしっかりと抱き寄せる。もう片方の大きな手が、優しく髪を撫でるたびに、思わず目を細めてしまう。 「名前……呼んで?」 ハロルドがコツンとおでこを合わせてくる。触れた額から、じんわりと温もりが伝わってくる。そのぬくもりに、胸の奥がふわりとほぐれていく。 フィンは、ためらわずに口を開いた。 「ハロルド……」 「……はは。まだ照れるな」 「もう…呼べって言ったの、あなたでしょ……いつまで照れるんだか」 名前を呼び、見つめ合い、笑い合い、また視線を重ねる。そのたびに、唇が触れそうなほど距離が縮まる。髪を撫でられて、自然と目を伏せた。 「もう一回……」 「え? ふふ……ハロルド…?」 「だから。なんで疑問形なんだよ」 「なんとなくだってば…ふふふ……」 誰にも邪魔されないその静けさに、胸の奥まで安らぎが満ちていく。 抱きしめるられることも、抱きしめ返すことも、ごく自然なことになっていた。まるで、それがずっと前からの当たり前だったように。目を開ければ、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳と視線が重なる。 「フィン…」 「はい… ふふ、なに?もう」 目を閉じることもできず、ただ見つめ合う。笑う声と、名を呼び合う声が、いつの間にか、吐息に変わっていくようだ。 肩を寄せ、腕を絡め、息がかかるほどの距離で、名前を呼ぶ。ハロルドの唇がフィンの頬をかすめそうになった。 そのとき__ ___ドンドンドン! 不意に、重いノックの音が響いた。 「……!」 フィンはビクッと肩を震わせる。 「ハロルド様。夜分遅くに申し訳ありません」 扉の外から聞こえてきたのは、緊張を含んだ声だった。

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