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第13話

王都から、緊急の報せが届いた。 ──都市南区にて魔素の強い反応。 ──形状未確定、核のみが飛行・変異。 ──周囲への被害拡大中。 「……核だけ?」 フィンは愕然と呟く。 通常、魔素は核を中心に『かたち』を成す。時に人の姿に似た実体となって現れ、暴走する。 だが今回、都市部に現れたのは『かたち』を持たない、純粋な核。粒子状の魔素が空中をさまよい、目に見えぬまま人や建物に触れて変質を引き起こしていた。 それは極めて危険な存在だった。 「……バランスが崩れたんだな」 ハロルドが低くつぶやく。 「この村だけが先に再生しはじめた。その反動で、均衡が中央に寄りすぎたんだろう。歪みが生まれ、その歪みが都市に魔素を集めた」 「守素の再生が『正』の力を呼び戻すなら、そのぶん『負』も溢れる……」 「そしてそれが、未成熟の核として現れたってわけか」 静かに、重い沈黙が落ちる。 「……行くしかないな」 ハロルドは剣を取った。その視線は、王都の方角をまっすぐに見据えている。 「待って、私も行く!」 フィンが声を上げる。 「ダメだ、フィン」 ハロルドの声は、強く、迷いがなかった。 「ここに残れ。守素の定着が崩れたら、この村もまた元に戻る」 「でも……!」 「ここにいられるのは、君だけだ。君にしかできない役目だ」 フィンは唇を噛み、うつむいたまま言葉を飲み込んだ。 守素と魔素の再生。 そのバランスは、今や人の手に委ねられている。 フィンはこの村を守り、ハロルドは王都を鎮める。ふたりの分かれ道は、もう避けられなかった。 気づけば、ハロルドはあっという間に荷造りを終えていた。 「……フィン」 名前を呼ばれ、フィンは思わず顔を上げる。 ハロルドは迷わず、フィンの前に跪いた。そして静かに手を伸ばし、片方の頬をそっと包み、もう片方の手で肩を引き寄せた。 「そんな顔するなよ」 「ひとりで行くなんて……ここに、私だけ残るなんて……」 「でも、君のほうが大事な役目なんだ。……わかってるだろ?」 フィンは目を伏せ、ゆっくりと頷く。 ハロルドは額を寄せ、低く優しく囁いた。 「無理すんな。腹、減らすな。夜はまだ冷える。布団はちゃんとかぶれよ」 「……それ、子どもに言うやつ」 くすっとフィンが小さく笑い、ハロルドは満足げに、声を上げて笑った。 「戻ったら、今度こそちゃんと休暇とる。君と一緒にな」 その一言に、フィンはかすかに頷いた。 「……次に会ったとき、同じ顔で迎えてくれ」 「約束できない。きっと泣き腫らしてるから、腫れぼったい顔になるよ」 「ははは、それでもいい。泣き顔も見たい。ブサイクでも構わない」 「ひっどい」 でも、その言葉にまたフィンが笑った。 その表情を見て、ハロルドも少しだけ肩の力を抜いた。 「行ってくる」 最後にもう一度、額をそっと重ねる。フィンも目を閉じ、ただその体温を感じていた。 やがて、ハロルドは立ち上がり背を向ける。扉が静かに閉まり、残された空気が、ふたりの距離を静かに刻んでいった。 ◇◇◇ ハロルドが王都へ旅立ってから、もう数週間が経つ。 ひとりの夜、静まり返った部屋に帰ると、ふと背中の温もりを思い出す。声は、どこにも聞こえない。 フィンは、いま南の村の集会所に設けられた研究作業室で、数名の研究班と共に、守素の解析と応用実験に取り組んでいる。 外の空気は澄み、再生された土地は以前にも増して豊かだ。けれどこの部屋だけは、緊張が張り詰めていた。 守素を核として、人工的に育てることはできないか。それが、ハロルドと別れてから、フィンが掲げた新たな目標だった。 机には観測記録と植物標本がずらりと並び、その横では昼夜稼働の測定器が、微細な波動を拾い続けている。 これまでの調査で、植物の根は守素を繋ぎ止める通り道として重要な働きをしていた。 守素は苗を通じて地中に広がるが、都市までは遠い。苗を保たせたまま運ぶには時間がかかりすぎ、現実的ではなかった。 「……時間がかかりすぎる。今の王都には、待つ余裕がない」 低く呟いた声に、ハロルドがいたなら、何と言うだろうか。 『焦んなって。君ならやれる』きっと、そう言って笑ってくれるだろう。 今回出現したのは、未成熟の核。 実体のない魔素の塊。それは、周囲を巻き込むように粒子状に変異しながら、王都を静かに蝕んでいる。 放っておけば、いずれ魔物に変わってしまうだろう。 「なら……守素そのものを、持ち運べるかたちにすればいい」 それができれば、土地を選ばず、どこへでも守素を届けられる。魔素に染まった都市にも、対抗手段となるはずだ。 それを彼に届けることができれば、今度は、隣で戦える。 フィンは昼夜問わず、守素が活性化する時間帯を狙い、観測と採取を続けた。 その流れを崩さず結晶に変える。まるで、空気を手のひらに留めるような、繊細な作業だった。 けれど守素は柔らかく、流れやすい。 器に閉じ込めようとすればするほど、指の隙間からこぼれ落ちてしまう。 「また……逃げました」 「うん……やっぱり、固定点が足りない」 静かに答えたフィンの脳裏に、ふと浮かんだのは、村のばあちゃんにもらったキイチゴのクッキーだった。 あのとき、香ばしい匂いと共に手渡された、小さな赤い粒。それは、種だった。 芽吹く力、根を張ろうとする意志。守素と同じく、静かに、でも確かに生きようとする力を持っていた。 「……これかもしれない」 フィンは机の引き出しから、乾かしておいたキイチゴの種を取り出した。掌に乗せると、ごく微かに守素の反応があった。 「これを……核にする。自然の根じゃなくて、生きようとする意思を中心に据える」 「そんな……可能なんですか?」 「やってみなきゃ、わからないよ」 班のメンバーが静かに頷く。もう一度、実験が始まった。 何度も失敗し、何度も守素は砕けた。 でもそのたびに反応は強くなり、手応えは確かに増していく。 「先生!波形、今度は…安定しています!」 「種の中心に、守素が定着しようとしてる!」 何度目かの夜明け。ようやく、それはかたちになった。フィンの掌の上に、白く小さな結晶が浮かんでいた。 それは、呼吸しているかのように穏やかに揺れ、触れた者の鼓動を落ち着かせる。 「……できた。守晶だ」 守素の流れを、一点に集めて結晶化させたもの。触れると、胸のざわつきがすっと静かに溶けていく。 「これがあれば、遠くの街も守れる……!」 班員たちが歓声を上げ、フィンはひときわ静かにそれを見つめた。 思い出すのは、交わした言葉。 『夜は冷えるから、ちゃんと布団かぶれよ』 『泣き腫らした顔も見たいかもな』 __ハロルド……今、どこにいる? この手の中の結晶を、今すぐ彼に届けたかった。隣で、笑って渡したかった。 「……私も行くよ。ちゃんと、対等な役目を果たすために」 立ち上がり、フィンは作業台の片付けを始めた。震える指先に、眠気も疲労もあった。けれど、その目は真っすぐだった。 「王都に……届けなきゃ」 朝焼けが村の空を染めはじめた頃。フィンは調査班に指示を出し、王都へ向かう馬車の手配を急がせる。 時間は、もう残されていない。

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