13 / 29
第13話
王都から、緊急の報せが届いた。
──都市南区にて魔素の強い反応。
──形状未確定、核のみが飛行・変異。
──周囲への被害拡大中。
「……核だけ?」
フィンは愕然と呟く。
通常、魔素は核を中心に『かたち』を成す。時に人の姿に似た実体となって現れ、暴走する。
だが今回、都市部に現れたのは『かたち』を持たない、純粋な核。粒子状の魔素が空中をさまよい、目に見えぬまま人や建物に触れて変質を引き起こしていた。
それは極めて危険な存在だった。
「……バランスが崩れたんだな」
ハロルドが低くつぶやく。
「この村だけが先に再生しはじめた。その反動で、均衡が中央に寄りすぎたんだろう。歪みが生まれ、その歪みが都市に魔素を集めた」
「守素の再生が『正』の力を呼び戻すなら、そのぶん『負』も溢れる……」
「そしてそれが、未成熟の核として現れたってわけか」
静かに、重い沈黙が落ちる。
「……行くしかないな」
ハロルドは剣を取った。その視線は、王都の方角をまっすぐに見据えている。
「待って、私も行く!」
フィンが声を上げる。
「ダメだ、フィン」
ハロルドの声は、強く、迷いがなかった。
「ここに残れ。守素の定着が崩れたら、この村もまた元に戻る」
「でも……!」
「ここにいられるのは、君だけだ。君にしかできない役目だ」
フィンは唇を噛み、うつむいたまま言葉を飲み込んだ。
守素と魔素の再生。
そのバランスは、今や人の手に委ねられている。
フィンはこの村を守り、ハロルドは王都を鎮める。ふたりの分かれ道は、もう避けられなかった。
気づけば、ハロルドはあっという間に荷造りを終えていた。
「……フィン」
名前を呼ばれ、フィンは思わず顔を上げる。
ハロルドは迷わず、フィンの前に跪いた。そして静かに手を伸ばし、片方の頬をそっと包み、もう片方の手で肩を引き寄せた。
「そんな顔するなよ」
「ひとりで行くなんて……ここに、私だけ残るなんて……」
「でも、君のほうが大事な役目なんだ。……わかってるだろ?」
フィンは目を伏せ、ゆっくりと頷く。
ハロルドは額を寄せ、低く優しく囁いた。
「無理すんな。腹、減らすな。夜はまだ冷える。布団はちゃんとかぶれよ」
「……それ、子どもに言うやつ」
くすっとフィンが小さく笑い、ハロルドは満足げに、声を上げて笑った。
「戻ったら、今度こそちゃんと休暇とる。君と一緒にな」
その一言に、フィンはかすかに頷いた。
「……次に会ったとき、同じ顔で迎えてくれ」
「約束できない。きっと泣き腫らしてるから、腫れぼったい顔になるよ」
「ははは、それでもいい。泣き顔も見たい。ブサイクでも構わない」
「ひっどい」
でも、その言葉にまたフィンが笑った。
その表情を見て、ハロルドも少しだけ肩の力を抜いた。
「行ってくる」
最後にもう一度、額をそっと重ねる。フィンも目を閉じ、ただその体温を感じていた。
やがて、ハロルドは立ち上がり背を向ける。扉が静かに閉まり、残された空気が、ふたりの距離を静かに刻んでいった。
◇◇◇
ハロルドが王都へ旅立ってから、もう数週間が経つ。
ひとりの夜、静まり返った部屋に帰ると、ふと背中の温もりを思い出す。声は、どこにも聞こえない。
フィンは、いま南の村の集会所に設けられた研究作業室で、数名の研究班と共に、守素の解析と応用実験に取り組んでいる。
外の空気は澄み、再生された土地は以前にも増して豊かだ。けれどこの部屋だけは、緊張が張り詰めていた。
守素を核として、人工的に育てることはできないか。それが、ハロルドと別れてから、フィンが掲げた新たな目標だった。
机には観測記録と植物標本がずらりと並び、その横では昼夜稼働の測定器が、微細な波動を拾い続けている。
これまでの調査で、植物の根は守素を繋ぎ止める通り道として重要な働きをしていた。
守素は苗を通じて地中に広がるが、都市までは遠い。苗を保たせたまま運ぶには時間がかかりすぎ、現実的ではなかった。
「……時間がかかりすぎる。今の王都には、待つ余裕がない」
低く呟いた声に、ハロルドがいたなら、何と言うだろうか。
『焦んなって。君ならやれる』きっと、そう言って笑ってくれるだろう。
今回出現したのは、未成熟の核。
実体のない魔素の塊。それは、周囲を巻き込むように粒子状に変異しながら、王都を静かに蝕んでいる。
放っておけば、いずれ魔物に変わってしまうだろう。
「なら……守素そのものを、持ち運べるかたちにすればいい」
それができれば、土地を選ばず、どこへでも守素を届けられる。魔素に染まった都市にも、対抗手段となるはずだ。
それを彼に届けることができれば、今度は、隣で戦える。
フィンは昼夜問わず、守素が活性化する時間帯を狙い、観測と採取を続けた。
その流れを崩さず結晶に変える。まるで、空気を手のひらに留めるような、繊細な作業だった。
けれど守素は柔らかく、流れやすい。
器に閉じ込めようとすればするほど、指の隙間からこぼれ落ちてしまう。
「また……逃げました」
「うん……やっぱり、固定点が足りない」
静かに答えたフィンの脳裏に、ふと浮かんだのは、村のばあちゃんにもらったキイチゴのクッキーだった。
あのとき、香ばしい匂いと共に手渡された、小さな赤い粒。それは、種だった。
芽吹く力、根を張ろうとする意志。守素と同じく、静かに、でも確かに生きようとする力を持っていた。
「……これかもしれない」
フィンは机の引き出しから、乾かしておいたキイチゴの種を取り出した。掌に乗せると、ごく微かに守素の反応があった。
「これを……核にする。自然の根じゃなくて、生きようとする意思を中心に据える」
「そんな……可能なんですか?」
「やってみなきゃ、わからないよ」
班のメンバーが静かに頷く。もう一度、実験が始まった。
何度も失敗し、何度も守素は砕けた。
でもそのたびに反応は強くなり、手応えは確かに増していく。
「先生!波形、今度は…安定しています!」
「種の中心に、守素が定着しようとしてる!」
何度目かの夜明け。ようやく、それはかたちになった。フィンの掌の上に、白く小さな結晶が浮かんでいた。
それは、呼吸しているかのように穏やかに揺れ、触れた者の鼓動を落ち着かせる。
「……できた。守晶だ」
守素の流れを、一点に集めて結晶化させたもの。触れると、胸のざわつきがすっと静かに溶けていく。
「これがあれば、遠くの街も守れる……!」
班員たちが歓声を上げ、フィンはひときわ静かにそれを見つめた。
思い出すのは、交わした言葉。
『夜は冷えるから、ちゃんと布団かぶれよ』
『泣き腫らした顔も見たいかもな』
__ハロルド……今、どこにいる?
この手の中の結晶を、今すぐ彼に届けたかった。隣で、笑って渡したかった。
「……私も行くよ。ちゃんと、対等な役目を果たすために」
立ち上がり、フィンは作業台の片付けを始めた。震える指先に、眠気も疲労もあった。けれど、その目は真っすぐだった。
「王都に……届けなきゃ」
朝焼けが村の空を染めはじめた頃。フィンは調査班に指示を出し、王都へ向かう馬車の手配を急がせる。
時間は、もう残されていない。
ともだちにシェアしよう!

