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第15話
フィンはバッグに手を伸ばし、白く淡い光を放つ守晶をそっと取り出した。
掌にすっぽり収まる小さな結晶は、まるで心音のように、静かに脈打っている。
「守素の核を人工的に育てて、守晶を作った。……いくつか持ってきたよ」
差し出された光を、ハロルドは、じっと見つめた。淡い輝きが、彼の瞳にゆらりと映る。
「……守晶?」
「キイチゴの種を媒介にした。あの村の守素を強く引き寄せた植物の力を借りて、結晶化したもの。これなら、どこへでも持ち運べる」
フィンの声は落ち着いているが、その奥には確かな自負があった。あの村で寝る間も惜しんで研究し、ようやくたどり着いた成果。それを携えて、王都へ戻ってきた。
「……で、これで何をするつもりだ?」
守晶を摘み上げ、ハロルドが指先で転がす。触れたその瞬間、微かな震えと共に、結晶がやわらかく光を返した。
「魔素に反応する波長を捉えて起動するよう、守晶を調整した」
「……波長?」
「魔素って、脈みたいに震えてるんだよ。そのリズムと共鳴させれば、守晶の中の守素が放出される。うまくいけば、核を分解できるはず」
それは、この戦いを終わらせるための、最後の手段。フィンは深く息を吸い、はっきりと言った。
「魔素の流れはもう限界だよね?」
「……ああ。明日の夜だろう。それが境界だ。夜になれば、魔素核が暴走する。魔物の出現も、時間の問題だ」
ハロルドの低い声には、すでに覚悟がにじんでいた。この地を再び飲み込むかもしれない魔物の影が、着実に迫っている。
フィンは強く頷いた。
「魔素核が暴れだしたら、私が波長を合わせて守晶を起動させる。分解が始まったら、あなたの剣でとどめを刺して」
その一言に、ハロルドの手がわずかに固くなる。ハロルドの剣は、魔素を拒む特異な存在それを、彼も薄々感じていた。
「……あなたの剣は、おそらく守素の祝福を受けて鍛えられたもの。だから魔素が触れるのを嫌がる。古い術式の刻まれた剣なんだと思う」
フィンの説明に、ハロルドは目を伏せ、何かを思い出すように息を吐く。
「核の急所を狙うのか……」
「そう。核の流れが見えるし、守晶を起動させるタイミングはわかる。魔物になっても…同じこと。だからやるのは、私」
「……でも、危険だ。暴走中の魔素に接近するなんて、危険すぎる」
「わかってる。波長が合わなければ、守晶は起動しない。むしろ核を刺激して暴走させる可能性もある。けど、やらなきゃいけない」
フィンの声には揺らぎがなかった。
それは研究者としての責任であり、彼自身の選んだ道だった。
「いや、俺だけが行く。君を近づけるわけにはいかない…」
ハロルドの言葉は、命令ではなく願いのようだった。
だが__
「だから……っ!もう、置いていかないでって言ってるの」
フィンが一歩踏み出し、ハロルドの胸元を掴む。ぐっと引き寄せたその眼差しは、どこまでも真っ直ぐだった。
「あなたに置いていかれるのは、もう嫌!これで終わらせたいんだよ。守晶で」
ハロルドは返事をしない。
「波長の読み取りは、あの村でずっとやってきた。私なら、合わせられる」
フィンは静かに頷いた。
守晶を育て、調整し、幾度も実験を重ねてきた。だが都市の核は不安定で、しかも時間がない。
「……一発勝負か?」
ハロルドの問いに、フィンはほんの少しだけ微笑んだ。
「何度も挑戦するつもりだよ。失敗するかもしれないけど、それでもやる」
その言葉に、ハロルドの顔が曇る。彼は視線を落とし、手にした守晶を見つめた。だが次の瞬間、フィンがそっと手を重ねた。
「ひとりであなたを待ちたくない……」
フィンはまっすぐにハロルドを見た。
静かな声が、確かな熱を孕んでいた。
ハロルドの動きが止まり、瞳が揺れる。けれどその奥には、もう拒絶ではなく、覚悟が宿り始めていた。
「……ほんと、君ってやつは」
頭をかき、わずかに笑う。
それから、ゆっくりとうなずいた。
「わかった。だけど絶対、俺の傍を離れるな。何があっても、だ」
「うん。離れない。……約束する」
フィンは小さく微笑んだ。
ハロルドが何かを言いかけたとき、フィンが耳元で囁いた。
「……今は、黙ってて」
そして、フィンはそっと身体を寄せる。心音が重なるほどの距離。もう一度耳元へ、ふわりと唇を近づけた。
「……ハロルド。もしまた置いていったら、絶対に許さないからね」
わずかに笑みを含みながらも、本気の声だった。息がかかる距離で囁かれたその言葉に、ハロルドの肩がわずかに跳ねる。
「……おい……そういうのは、せめて帰ってからにしろよ」
低く絞り出すような声で呟き、顔を逸らすハロルド。そんな彼を見て、フィンはふっと笑った。
「……明日の夜には、全部終わらせる」
朝焼けに染まりはじめた空の下。
守晶をしっかりと握りしめ、フィンはゆっくりと立ち上がった。
◇◇◇
日が昇り朝が来ると、魔素の気配は嘘のように引いていく。
一瞬で、穏やかな世界が広がる。まるで、あの異様な夜が幻だったかのように。
その隙を縫うように、フィンたちはテントに身を横たえる。夜に備えて、少しでも体力を温存するためだ。
「狭いだろ?……こっち来いよ。フィンがここにいないと俺が落ち着かない」
「……そんな言い方ずるいってば。けど、まあ、ちょっとだけ。失礼します」
フィンが隣にもぐり込むと、ハロルドの腕が自然と肩を抱く。ぬくもりが心地よくて、フィンは小さく息をついた。
「……寝られないかもしれねぇけど。少しでも楽になればいい」
「……うん。あなたの匂い、久しぶり。落ち着く……もう少し、寄りかかっていい?」
「……ダメって言ったらどうする?」
「言わないって知ってる」
さらりと返した言葉に、ハロルドの眉がわずかに跳ねた。
不意を突かれたような表情でフィンを見下ろすが、その目はどこか照れたようでもあり、困ったようでもある。
「本当に……ちょっと会わないうちに、ずいぶん言うようになったな」
「あなたが、そうさせたんだよ」
「……ったく、油断も隙もねぇ」
そう呟きながらも、ハロルドは腕の力をほんの少し強くした。寄り添うフィンの髪を、そっと撫でるように指がすべった。
「……くそ、もっと抱きしめてぇ……」
フィンにだけ届くような、かすれた声だった。フィンは小さく笑って、目を閉じた。
「……ふふ。じゃあ、これが終わったら。好きにして、いいから」
「はは……マジか、言ったな?……絶対離さねぇ。でも、今は少し眠れ。俺がちゃんと、隣にいるから」
久しぶりに、ハロルドの腕の中で過ごす時間だった。熟睡とまではいかなかったが、それでも彼の体温に包まれているだけで、少しずつ意識がほどけていく。
何度か目を覚ましながらも、フィンはその安心に身を委ねていた。
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