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第18話
キッチンでは、食後の後片付けが静かに進んでいた。
ハロルドが水を流しながら、慣れた手つきで食器を洗う。その隣で、フィンがふきんを動かしながら、静かにそれを拭いていく。
特に決めたわけでも、話し合ったわけでもない。あの村で過ごしていた頃から、自然とこうなっていた。
ハロルドが目を覚ました今も、ふたりの間でそのささやかなルールは、変わらずに息をしている。
「……結局、全部あなたが作ったじゃない」
ふきんを片手に、少し拗ねたようにフィンはぼやいた。
料理をすると意気込み、張り切って荷物の中からエプロンを取り出した。それなのに、火加減が難しいとか、包丁を持つ手が危なっかしいとか、いろいろ口を出されて、気づけば、いつのまにか助手という立場に追いやられていた。
たしかに、おかげで絶妙に焼かれたチキンステーキにはありつけた。香ばしくてジューシーで、思わず声が漏れるほど美味しかったのは事実。でも、それとこれとは話が別である。
「危なっかしいからな。……見てられなかったってのが、一番大きかったけど」
「……うっ。言い返せないけどさ……」
ちょっとだけ頬をふくらませると、ハロルドがくすっと笑った。
「俺が……眠ってる間さ、フィン、食事はどうしてたんだ?」
「食事?」
フィンは一瞬きょとんとしてから、肩をすくめる。
「んー、食べてたよ? 主にリンゴとか、ナッツとか、あとパン。そのまま食べられるもの」
「また齧る系か。……相変わらずだな」
「だって、調理って面倒だし。苦手だし。
手軽に栄養がとれるものを齧るって、合理的だよ?」
「……ははは、そうか」
「なに?なんでそんなに笑うの。おかしい?」
「違う違う。……他の誰かに、作ってもらってたわけじゃないんだなって。安心しただけ」
「は? なにそれ。もしかして、嫉妬?」
「そう言ってくれた方が、俺としてはまだ照れなくて済むかもな」
「…あはは、なにそれ。ほんと、変な人」
ふきんを片付けようと手を伸ばした瞬間、
ふいにフィンの身体がふわりと浮いた。
「わ……っ!? ちょ、ちょっと!」
ハロルドにひょいと持ち上げられ、思わずフィンは目を丸くする。
「危ないってば!」
「大丈夫。もう体力は戻ったから」
そのまま、キッチンの隅。壁際に軽く押しつけられるようにして、背中を支えられる。
回された腕は、まるで包み込むように優しくて、熱を帯びた体温が、距離を詰めてくる。
「俺たち、今は休暇中だろ?」
囁くような低い声。少し笑いを含むそれが耳元に触れ、フィンの背にぴたりと重なる体温を感じる。肩がわずかにすくみながらも、フィンもふっと笑った。
「……休暇中だからって、なに…。ふふふ」
そう冗談めかして返すと、ふいにおでこをコツンと重ねられるから、くすぐったそうに笑う。ここだけ時間が止まったような気がした。
_____吐息が、首筋をかすめる距離。
言葉は声にならず、そのままそっと零れていった___
片付けは?
荷解き、まだ終わってないよ。
荷解きなんてゆっくりやろうぜ。
せっかくの休暇だ。
好きなこと、させてくれよ。
好きなことって……なに?
君を、可愛がること。
ふふ。なにそれ。
おかしい人。
じゃあ、フィンは?
なにがしたい?
なにかな。なにしようか……。
贅沢に言ってみろ。
好きなこと、なんでも。かなえてやる。
ほんとに? 後悔しないでよ?
しない。俺は君を甘やかしたいだけだ。
それ、信用していいの?
ああ、本気だ。
……じゃあ。じゃあね。
可愛がられるの、がいい。
……言ったな?
うん、ふふふ…言った…
いいのか? 本当に、可愛がって。
……いい。だって、今の私は、
もう一度……口説かれたいって、思ってるから。
望むところだ。何度だって。
果てしないほど、口説いてやるよ。
___距離が、なくなる
ぴたりと重なる体温。手のひらで背中をなぞられ、耳元に静かに息が落ちた。
そのぬくもりに包まれながら、フィンは目を閉じる。
「名前……呼んでくれるか」
「……ハロルド」
名前を口にした瞬間、息が止まるほど強く、抱きしめられ、触れる唇が、深く重なり合う。
それ以上はもう、声にできなかった。
唇が重なり、音も、言葉も、すべてが溶けていった。
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