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第23話
ハロルドがコーヒーを淹れながら横目で王を睨み、フィンはというと、そっとバスローブの襟を引き寄せ、首元を隠すように整えていた。ハロルドも一拍遅れて、自分の襟元に手をやる。
ふたりして、なんとかまともな空気を装おうと姿勢を正す。
「……それで? 何の用だ」
ハロルドがコーヒーを渡し、やや警戒気味に尋ねると、カイゼルは楽しげに笑った。
「いやぁ、ようやく聞いてくれた。じゃ、言っちゃおうかな~。先生、こっち座りなよ」
椅子を指差し、フィンを促す。フィンは静かに椅子に腰を下ろした。
正面では、わざとらしく肩をすくめ、指を組んだカイゼルの口元には、またもや企みの気配が漂っていた。
「南の村さ、前に君たちが行ってたあの場所。あそこの作物がね……育ちすぎてて、ちょっと困ってるらしいんだ」
「……は?」
フィンが瞬きをし、隣に座ったハロルドはコーヒーカップを持った手で顔をしかめる。
「いや、ほんとなんだって。キュウリが信じられない速さで伸びるし、カボチャは畝を越えて隣の畑に侵入。この前なんて、誰も植えてないはずのトマトが軒先に落ちてたって、ちょっとした騒ぎになってさ」
「それって……災害ですか? それとも、豊作が暴走してる感じです?」
「うーん、その中間くらい? 嬉しいけど、正直ちょっと迷惑っていうか。静かに困ってる感じ。でも放っとくと、マジで畑に飲まれるぞ、あの村」
ハロルドは深く息を吐き、カップを置いた手でカイゼルに鋭い視線を向けた。
「……だからって、今かよ」
ハロルドのバスローブの襟がまたふわりと広がる。ふいにそれを目にしてしまい、フィンの目線は泳ぐ。昨夜の光景が脳裏に浮かび、思わず頬に熱が宿った。バスローブの下、何度も何度も名を呼ばれ、肌をなぞられた感触がよみがえる。
「だって休暇、もうそろそろ終わりだろ? ちょっと様子を見に行ってくれたら、助かるな~って」
「休暇は、まだ始まったばっかりだろうが」
「……え、そうだっけ?」
カイゼルはしれっと肩をすくめる。そのとぼけた調子に、ふたりの溜息が重なる。
「……とぼけて許されるの、お前だけだよ」
呆れ混じりのハロルドの声に、隣のフィンが小さく吹き出した。胸元をそっと整えながら、視線を王に向ける。
「じゃあ、詳しくお聞きしましょうか。ちょっとした騒ぎじゃ終わらなさそうですね」
「ありがとう先生。そう、たぶんね。原因は、おそらく守素の影響。魔素が消えたあと、あの土地、やけに元気になっててさ。土が肥えすぎたのか、畑がジャングル状態だって」
フィンは思わず目を見開いた。だが次の瞬間、ほっとしたように胸を撫で下ろす。
あの土地が、ようやく息を吹き返してくれたことは、何よりも嬉しい。
「……嬉しいけど、やりすぎってやつですか」
「そうそう。家の縁側までカボチャが這ってきてるって言われてさ。そろそろ調整した方がいいかなって思ってね」
カイゼルはコーヒーを飲み干すと、口元に柔らかな笑みを浮かべ、さらりと続けた。
「……ま、来週からでいいから、南まで行って見てきて欲しい。今週は、ゆっくり休んで……休暇だろ?で、週明け月曜日に王宮に来てくれ。できれば、服をちゃんと着てから来てくれよな」
「週明けって……あと二日じゃねぇか。こっちは一カ月の褒美休暇って聞いてたぞ」
ハロルドが低く突っ込むと、カイゼルは肩をすくめて、のんびりと笑った。
「うーん、でも来週には行ってほしいんだよね〜。ちょうどそのへんが、タイミング的にさ」
そう言って、何食わぬ顔でフィンに視線を向ける。
「ね? フィン先生も、よろしく頼むよ」
「ん……まぁ、王命ですもんね」
フィンは肩をすくめ、苦笑まじりに笑った。
「そうそう!ありがとうフィン先生。ベッドは逃げないからさ。行って戻ってきたら、またほら……」
「……口を閉じろ、国王陛下」
ハロルドがコーヒーをひと口含み、静かにため息をついた。
湯気と香ばしい香りが立ち上るキッチンに、笑い声がふわりと溶けていく。
穏やかな日常が、少しずつ、ふたりのもとに戻ってきていた。
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