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後日譚①:目覚め
南の村の土地に異変がある。
村へ赴き、君たちの目と知恵で、この国の未来を繋いでくれ__
そう王命を受けて訪れた村の朝は、驚くほど穏やかだった。
問題は、畑の作物が今日もぐんぐんと育ちすぎていること。
村の者たちは豊作に喜びつつも、どこか困惑の色をにじませながら、異常な恵みに向き合っていた。
そんな中、集会所の一角に設けられた仮設の診療室では、静かに調査が進められている。
「守素濃度は……この時間帯でもまだ高めだね。子どもたちの脈拍や呼吸に変化は?」
「はい。どの子も安定しています。大きな異常は見られません。むしろ……皆さん、元気な気がします」
淡い声で答えるのは、
小柄な青年__シアン。
淡い髪色と童顔の彼は、一見あどけなく見えるが、手際よくカルテをめくるその動きには、確かな経験と冷静な判断力が宿っていた。
「この村の人たちは、一般よりも少し多くの守素を体内に宿しています。でも……悪い影響はありません。むしろ、代謝がよく、免疫数値も安定しています」
「……つまり、守素が穏やかに働いているってことか」
フィンは記録表に目を落としながら、軽く頷く。
確かに守素は流れている。だがそれは暴れるような強さではなく、まるで静かに体の底から温めるような、優しい流れだった。
「守素は、ただのエネルギーじゃない。人に寄り添い、土地に根を張る……そういう性質があるんだと思う」
「はい。僕も、そう思います」
静かに頷いたシアンの顔に、どこか安堵の色がにじんだ。
この村の人々は、守素に蝕まれてなどいない。むしろその恩恵を受けて、健康に、穏やかに暮らしている。それが、目の前の事実だった。
「……えっと、先生。次、どの区域を確認しましょう?」
「北東の畑沿いを見よう。昨日より気流が強くなってる。守素が流れてきてるかもしれない」
「はいっ! 先生がそう言うなら、すぐに行きます!」
反射的に返った声は、どこか嬉しそうで張りがあった。
言葉を交わすたび、シアンの瞳はわずかに潤んだように輝き、フィンの言葉ひとつひとつに、素直すぎるほどの頷きを見せる。
全幅の信頼。まるで信仰にも似たまっすぐさに、時折くすぐったさを覚えるほどだった。
『あいつ、フィンのこと尊敬っていうか、崇拝してるよな』
以前、ハロルドが呆れたように笑って言ったことを、ふと思い出す。
フィンは苦笑しながら、そっと視線を丘のほうへと向けた。
その先には、鍬を担いで畑に立つハロルドの姿があった。
陽を浴びて輝く髪、笑いながら農民たちに何か話している。そこにいるだけで、空気が和らいでいくようだった。
__けれど、そのときだった。
丘の斜面。草を踏みしめながら、ハロルドが手にしていた剣を、そっと地面に置いた瞬間。
ぶわ、と風もないのに、草の葉が一斉にざわめき、剣へと絡みつく。まるで惹かれるように、吸い寄せられるように。
「……あの剣……!」
それは、かつて魔物との戦いで幾度も命を救ってきた、彼の剣だった。
フィンが駆け寄ると、その刃の表面に、淡い光が浮かんでいた。まるで守素の流れが可視化されたかのように、繊細な揺らぎを放っている。
「まさか……守素に反応してる?ハロルド、何かした?」
「いや、俺、ただ置いただけだけど?」
ハロルドがきょとんとした顔で言う。
だがその反応を目の当たりにしたフィンの瞳は、鋭く光っていた。
「……この流れ、剣からだけじゃなく、あなたの体内からも、同じ反応が強く出てる……」
周囲がどよめき、集まっていた村人たちが目を向ける中、フィンとシアンは手早く簡易測定器を取り出した。
「シアン、ハロルドの手首で測って!」
「はいっ!…ハロルド様、少し失礼します」
「お、おう……?」
シアンが器具をハロルドの手首に当てた瞬間、測定器が高く鳴った。液晶パネルに表示された数値が、一気に振り切れる。
「……っ、この値……!」
「人間の中に、これだけの濃度の守素が存在するなんて……常識では、考えられません」
小さく目を見開いたシアンの声に、フィンは息を飲むように呟いた。
「……やっぱり、あなたは特別なんだ。守素を受け入れて、なお壊れない。むしろ……自分を修復してる」
「……つまり俺って、強すぎるってこと?」
にやりと笑うハロルドに、フィンは呆れたように溜め息をついた。
けれどその裏で、ずっと解けなかった謎が、静かに形を成していく。
フィンには、どうしても、解せないことがあった。ハロルドが、戦いのたびに眠るように倒れてしまう理由だ。
魔素による汚染反応は出ていない。
外傷があっても、驚くほどの速度で回復していく。
けれど、目を覚ますまでには、いつも長い時間がかかる。
それが、ずっと心に引っかかっていた。
医師としても、研究者としても。
あれだけ頑丈な体なのに、どうして目覚めないのか。傷が癒えても意識が戻らない、その理由がどうしてもわからなかった。
けれど今、はっきりとした手がかりが見つかった。
守素の濃度。
反応の質。そして、身体の修復傾向。
すべてのデータが示していたのは、
「……眠っている間に、体が守素を使って、自分自身を修復している」
それは、言い換えれば「自己再生のための停止状態」。まるで、身体そのものが、自動的に修復と調整を始めるために、強制的に意識を遮断しているかのようだった。
普通の人間なら、守素が体内に入りすぎれば、過剰反応を起こし、身体を壊すことになる。だが、ハロルドは違った。彼はそれを、受け入れ、蓄え、利用している。
「……本当に、あなたは……」
フィンの胸の奥に、ふっと温かなものが広がる。この力は、脅威ではない。むしろ、彼を守るものだ。
ようやく、疑問が晴れていく。そのすべてが、今、目の前で繋がったのだ。
夜。薄暗い寝室、ベッドに背を預けながら、ハロルドがぽつりと呟いた。
「……俺、頑丈だからなのか?」
「それで済むなら、私がこんなに悩んでた意味がないんだけど…まぁ、これからもっと詳しく調べさせてもらうよ」
フィンは枕元の灯を落としながら、静かに言い返す。
眠り込む理由は、ようやくわかった。
戦いで流れ込む大量の守素が神経を圧迫し、同時に体が内側から修復を始める。
そのために必要な「強制的な休息」が、あの昏睡だったのだ。
「つまり……戦うたびに全回復してるってこと? そりゃ俺、最強だな」
「そのかわり、寝すぎ。理由がわかった今は安心できるけど……」
「そっか、俺の中の守素は特別仕様ってことか。寝て蓄えて、回復して……絶倫の理由も、それかもな」
「……バッカじゃないの?」
ぽつりと漏れた呆れ声に、ハロルドは、ククッと笑った。そして、ごく自然に、フィンの隣へと身を寄せる。
「……でも、本気で、倒れられると困る。何も言わずに眠らないでよ。こっちは毎回、心臓に悪いんだから」
フィンの言葉は静かだったが、その奥にある想いは、隠せなかった。
「……だよな。俺もあれ、ちょっと嫌だわ」
ハロルドは天井を見上げ、ぽつりと続けた。
「寝てる間に、フィンが誰かと仲良くなってたら困るし」
「はあ? 何言ってるの。そんなことじゃないでしょ」
「いや、だって、フィンが他の誰かと笑ってたら……俺、多分、立ち直れないぜ? そういう可能性は潰しておきたい」
ふざけているような口ぶりだけど、軽口の奥にある本音を、フィンはすぐに察した。
冗談みたいに言うくせに、本当の想いを隠しきれていない。
「……そんなこと、ないってば……」
そう答えたフィンをハロルドはさらにそっと距離を詰めた。腕がゆるやかに回され、フィンの身体を包み込む。
「わかってる。でも言わせてくれよ。俺、心配性なんだって」
甘く低い声が、耳にかかる。そのたびに、フィンの肩が小さくゆれ、その直後、ふわりと首筋に唇が触れた。
「……ハロルド」
「守素のおかげで、体力は有り余ってるし?」
「……またそれ。出たよ、体力おばけ」
「はは、でもさ。俺の余った体力……使い道、あるだろ?」
ふっと吹きかけられる吐息に、フィンの背筋がびくんと震える。
「それしか……使い道、知らないんじゃないの?」
「知ってるさ。フィン専用の、使い方だから」
「……っ、そういうとこがダメなんだってば」
呆れたように視線を逸らしながらも、頬はほんのり色づいていた。そんな表情を見て、ハロルドは満足そうに笑う。
重なる体温。触れ合う心音。
唇が、自然に__重なる。
最初はそっと。
やがて、呼吸と共に熱を帯び、深く、静かに溶け合っていく。
「……なあ、フィン」
「……ん?」
隣で寝そべっていたハロルドが、ゆっくりと身を起こす。その視線がまっすぐに向けられ、フィンはほんの少しだけまばたきを遅らせた。
「好きだって……今のうちに言ってくれよ。また俺が倒れて寝ちまったら……聞けなくなるかもしれないだろ?」
冗談めかして言うその声は、けれどどこか切実で、フィンは、軽く眉を寄せながら返す。
「……もう戦いは終わったの。倒れることなんて、もうないじゃない」
「はは、まあ、そうだよな。でも……それでも聞きたいんだよ。ちゃんと、君の口から」
そっと肩にかかる手のひら。ぬくもりに包まれて、フィンは小さく息を吸った。
「……好き。好きだよ、ハロルド。何度も、言ってるでしょ……」
頬が熱を帯びていくのが、自分でもわかる。けれどそれでも、視線をそらさずにそう伝えた。
「言ってくれるのは、あの時だけだろ?ベッドの中でさ」
「っ……そうじゃなくても、言ってるってば……!」
フィンが顔をそむけると、ハロルドはふっと笑った。指先でそっと頬の熱をなぞるように触れながら、からかうように囁く。
「……ああ。でも今のが、一番いいな。耳まで真っ赤なフィンが……可愛すぎてさ」
「やめて……ほんとにもう、黙って……」
声は震え、耳まで染まるような熱が上っていく。それでも否定しきれない気持ちが、胸の奥でじんわりと広がっていた。
顔を伏せると、ハロルドが再び唇を重ねた。触れるたびに、優しさと温もりが溶けていく。呼吸が交わり、鼓動が寄り添い、フィンは静かに目を閉じた。
「……ハロルド」
その名を呼んだ声に、ハロルドはそっと額を重ねる。そして、低く甘く、少し息を滲ませながら囁いた。
「……今夜はおとなしくするつもりだったけど、無理だな。こうして抱いてたら……おとなしく我慢なんて、できそうにない」
ハロルドの声は、欲を滲ませながらも、優しくて、真っ直ぐで、フィンの胸をやわらかく締めつける。
嬉しくて、愛おしい。フィンはそっと、ハロルドの胸元に顔を埋めた。
この温もりが、どうかずっと続いて。そう願いながら、耳元に小さな声で囁く。
「ふふ…じゃあ今夜は何も我慢しないでいいよ。……寝かせないでよ」
「……じゃあ、遠慮なく」
唇に触れた声が、囁きが、心を溶かしていく。
夜はゆっくりと深くなっていく。
甘さだけを残している。
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