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後日譚③:調律

南の村の朝は、相変わらず穏やかだった。 ただひとつ、以前と違っているのは、畑の端に植えられた『バランサー草』の存在だった。 「守素濃度……昨日より落ち着いてる。うまく作用してるみたいだね」 フィンが測定器を見ながら静かに呟く。その隣では、淡い色の髪の青年、シアンが小さく頷いた。 「ええ。予測通り、田畑の周囲にバランサー草を植えることで、守素の流れが穏やかになりました。作物の成長も安定してきています」 シアンは慎重にカルテを確認しながら、やや恥ずかしそうに口元を引き結ぶ。 フィンは小さく笑い、畑に視線を向ける。 畝の端に並んだ細長い葉の草は、まるで畑全体を包む壁のように、守素を吸い込みながら静かに調律していた。 「……やっぱり、バランサー草は調律者だね。あの暴走が嘘みたいに落ち着いてる」 「まだ観察は必要ですが……これなら、人々の暮らしにも応用できるはずです」 「これも先生のおかげです。私ひとりじゃ、ここまで辿り着けなかったと思います」 「……いや、それは違うよ。シアンが地道に調査してたから。君が最初に、この植物の反応に気づいたんだろ?」 「で、でも……」 シアンが見つけ出し、ふたりで『バランサー草』と名付けたその植物は、守素を吸収し、流れを緩やかに整える性質を持つ。畑の周囲に植えるだけで、作物の暴走的な成長が抑えられることがわかったのだ。 今では村人たちもその効果を実感し、欠かせない存在として受け入れ始めている。 バランサー草は、まさに人と守素の共生を支える鍵となりつつあった。 「……シアン」 「……はい?」 「もう立派な研究者だよ。君の観察眼と分析力は確かだ。誇っていい」 その一言に、シアンはぱっと顔を赤くして顔を上げた。 「ありがとうございます……!先生の言葉が、何よりうれしいです。バランサー草のおかげで、作物も落ち着いてきましたし……それに、ここの野菜って、ほんとに美味しいですよね」 「本当、そう!たださ……食べ過ぎちゃうんだよ。気をつけないと太っちゃう」 「でも、フィン先生、とっても調子よさそうです!やっぱり守素の影響でしょうか?……あっ、でも少し腰が痛そうに見えました。昨日、畑仕事でもされました?」 「げっ……なんでわかるの!?」 ハロルドのあの下世話な話が頭をよぎった。 『俺のアレにも守素が含まれてて、それがフィンに直接……的な』 ハロルドのふざけた声が、頭の中で再生される。 毎晩、身体を繋ぎ、滾る熱に抱かれている。何度も奥深くまで叩き込まれる飛沫に、全身が染め上げられていく。 直接注がれる『それ』、フィンの奥深くに叩き込まれる『それ』……が、まさか体調に好影響を? あながち間違ってないのか… いやいや、と思いつつも、否定しきれない自分がいる。 しかも腰が痛そうだなんて……なぜわかるのだろう。シアン、おそるべし。 昨夜のハロルドは、まるで理性という名のリミッターを外したかのようだった。 「もう無理」と訴えても容赦なく、何度もベッドに沈められたフィンは、今もなお、その余韻を身体に引きずっている。 歩くたび、わずかに腰に鈍く残る感覚が悔しい。 「先生……?」 じっと黙り込んだせいか、シアンが心配そうに覗き込んでくる。 フィンは気まずさをごまかすように、慌てて話題を変えた。 「あー……そうだ、今日はカイゼル陛下が来る日だよね。最近、ちょっと頻度多めじゃない? よく来るよね」 「……あの人、王様だったんですね。正直ずっと……ちょっと偉そうで、変わった人くらいにしか……」 「えええ!? シアン、それはさすがに笑う!!」 あまりにもナチュラルな発言に、フィンは吹き出してしまった。 シアンは小児科医でありながら、人との関わりにはあまり興味がなく、ひどい人見知りでもある。まともに話せる相手は、同じ医師であるフィンと、村の子どもたちくらいだ。そのため、大人と向き合う場面になると、途端に緊張してカチコチになってしまう。 「……ハロルドさんも、実はちょっと怖くて。すみません……」 「まあね。あの図体と態度は、人見知り泣かせだよ」 「でも……その、フィン先生の……恋人ですよね? 一番尊敬してる人の恋人なのに、失礼な態度を取ってしまって、申し訳ないです……」 シアンは真面目に眉を下げて、しょんぼりと肩をすくめた。フィンは苦笑しながら、その肩を軽くぽんと叩く。 「大丈夫だよ、シアン。人に興味がないだけでしょ? それにあんなデカいの、こわくて当然。むしろハロルドなんて、誰にも、最初は怖いって言われてるし」 「ですが僕…人に興味なさすぎて……陛下にも、『王様だったんですか!?』って言っちゃいました……わかんなくて…」 「ははは! もう最高かよ、シアン!だけどそれ、逆にカイゼル陛下喜んでると思うよ。あの人、自分を偉そうで変わった人くらいに見てくれるほうが、きっと気楽なんだから」 「そう、ですかね……?」 そう言いながらも、シアンの耳は真っ赤だった。 ちょうど陽が傾きかけた頃。診療所脇の畑道で、フィンとシアンが測定データを見比べていたその時、 「よう、フィン先生。お久しぶり〜。相変わらずお美しいことで」 軽やかな声と共に、いつもの調子で現れたのはカイゼルだった。王の風格はどこへやら、上着を肩にひっかけ、笑顔で手を振ってくる。 「陛下、お久しぶりです。……っていうか、先週もいらしてましたよね?」 フィンが呆れたように返すと、隣で聞いていたシアンが小さくため息をついた。 「お前さ、俺の最愛の人に色目使うなって」 すかさず、ハロルドが横からぴしゃりとツッコむ。 「いやいや、色目じゃないって。ただの事実。褒め言葉だよ。なあ、ほんとに綺麗になってるだろ?」 にっこりと笑うカイゼルに、フィンは肩をすくめて苦笑する。 「……お、そうそう。シアン、元気にしてた?」 何気ない一言で向けられた視線に、シアンはぴしりと背筋を伸ばした。 「は、は、はいっ……陛下……!」 ぺこりと一礼したと思ったら、すぐにくるりと踵を返し、たたたっと診療所の中へと逃げ込んでいった。 「……あーあ、逃げられた。百戦錬磨の国王様が、人見知りに撃沈~」 ハロルドが口笛を吹きながら面白がるように笑う。 「ハロルド、やめなって! 本気でシアンは人見知りなんだから」 フィンが苦笑混じりにたしなめても、ハロルドはますます愉快そうに笑っていた。 「シアン、なかなか心を開いてくれない…」 「すみません陛下。シアン、基本的に人と話すのが苦手で。あれでも頑張ってるんです」 「いやいや、カイゼルの存在が怖いんだろ。図体でかいし、声でかいし、距離感バグってるし」 ハロルドが肩をすくめて言うと、カイゼルが額に手を当てた。 「お前がそれ言うか? お前には言われたくない」 シアンが去ったあとの空気に、ひとしきり笑い声が広がった。 そのまま自然と歩き出した三人は、村の小道をぶらぶらと進んだ。昼下がりの陽はやわらかく、子どもたちの声や風に揺れる葉音が、どこか懐かしい景色に溶け込んでいる。 そんな中、ふとカイゼルが歩を緩め、二人の前で立ち止まる。 「……で、フィン先生、そろそろ王都に戻るんだろ?」 「……ええ。村の守素濃度も安定してきましたし、バランサー草の導入も軌道に乗りましたから」 フィンが頷くと、カイゼルは腕を組んで空を仰ぎ見た。南の村には、今日も穏やかな風が吹いていた。 「ふうん。まあ、名残惜しいだろうな。住みやすそうだったし。……何より、夜の営みにも支障なかったようだし?」 「まあな、快適だったぜ。けど、俺たちの夜は、どこでも最強だからな」 「ちょっ……! や、やめてよ!」 フィンが顔を真っ赤にして慌てる横で、ハロルドは喉の奥から笑い声を漏らす。 「はは、照れるなよ。誉めてんだから」 「誉めてないし!なんでそういう話になるの……っ」 カイゼルは口笛を吹きながら、肩をすくめた。 「相変わらず、仲がいいねぇ〜」 「でもさ」 ふいに真面目な声色になったカイゼルが、改めて二人に向き直る。 「よくやってくれたな、二人とも。本当に感謝してる。この村はもう大丈夫だ。お前らが来てくれて、守素の影響も抑えられて、作物の問題も落ち着いた。人々の暮らしも、ようやくちゃんと未来に向かってる」 少し照れくさそうに、それでもまっすぐな声で言葉を続けた。 「王として……それから、仲間としても。ありがとな」 「……光栄です、陛下」 フィンが静かに頭を下げる。その隣で、ハロルドはカイゼルの肩をぽんと叩いた。 「じゃあ、休暇な。これからフィンと二人で長期休暇に入るからな。邪魔するなよ」 「お前さ……休暇なんてつまんねぇよ? 暇とか退屈とか嫌いだろ?」 「いーや、俺は今、フィンを愛すのに超多忙なんだよ。だから休暇はぜったい取る」 「……はいはい。愛のための休暇ね〜」 軽口が交わされても、どこか穏やかで、柔らかな空気が漂っていた。 村の空は今日も青く、風はやさしい。 季節が、次の場所へと二人を送り出そうとしていた。

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