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第232話

 慈愛だけがそこにあった。優しく、途切れ途切れであるのにどこか力強い言葉に、子供は泣きそうになりながら女性を見る。口をへの字に曲げて、今にもその瞳からは涙が溢れそうであるのに、幼いながら女性が何を思い何を願っているのかを察したのか、子供は指が白くなるほど握りしめていた女性の服を離した。ゆっくりと立ち上がる姿に女性は小さく微笑む。そしてそっと、その視線をヒバリに向けた。  どうするのだろう、と凪もヒバリに視線を向ける。ヒバリはジッと立ち尽くし、首元を探った。しかし、そこに縋れるものはない。 「…………」  小さく、ヒバリの唇が動いた。何かを呟いたのだろうが、あまりに小さすぎて凪の耳には聞こえない。けれど彼が子供に差し出した手を見て、その答えを知る。 「……その時がくるまで、持ち堪えてください。あなたに何かあれば、この子が悲しむ」  生きる約束を。そう願うヒバリに女性は微笑むと小さく頷いた。それを見た瞬間、ヒバリは子供を抱き抱え踵を返す。  ここを離れた先を考えるのは恐ろしいが、留まるわけにはいかない。随分と時間を使ってしまった。そして、逃げ切らなければならない理由も増えてしまった。  本当はきっと、何も抱えない方が逃げ切れる確率は高くなるのだろう。ヒバリが中の様子を見て動きを止めたのは、抱えきれないと咄嗟に思い躊躇したからかもしれない。だとするなら、凪はきっと余計なことをしてしまったのだろう。けれど、と凪は思う。  ヒバリとっては、この道だけが正解だったのではないか、と。

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