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想うが故に交わらない1
◇
『君は生きて、幸せになって欲しい』
どうしてそんなことを言うのかと、涙が溢れる。
大切な人を犠牲にして存続した世界に幸せなんてない。
貴方にこそ、生きて欲しいのだと。
優しい手を振り払い、
………………、
◇
「和食はあまり口に合わなかっただろうか」
はっと顔を上げると、月瀬が気遣わしげな表情でこちらを見ていた。
近くに置かれた屏風には春らしい桜が描かれ、窓側の障子を通して優しい色合いになった日差しが控えめに室内を彩っている。
ああそうだ。
今日は後見人である月瀬に近況を聞かせて欲しいと食事に誘われたのだ。
何も考えずにラフな格好で出掛けたら、新宿の高層ビルの上階にある全個室の高級日本料理店で、今は場違い感をひしひしと感じながらお造りをつついていたところだった。
対面に座る、黒地に銀のピンストライプの入った見るからに高級そうなスーツ姿の月瀬は、どこからどう見てもエグゼクティブな人種だ。
己の格好を省みて、せめて制服で来ればよかったと後悔しても、もはや後の祭りである。
余計な気遣いをさせてしまったことに気付いた真稀は、慌てて首を横に振った。
「ち、違います、美味しいです。ただ、きちんとしたコースのお料理は初めてで、ちょっと緊張してます」
フォローを入れながら、人と食事をしている最中にぼうっとするな、と己を戒める。
声をかけられるまで自分が何を考えていたのか少し気になったが、思い出すことはできなかった。
たまに夢に見る情景の残滓が、微かに残っている気もする。
「えっと……月瀬さんは、よくこういうところで食事をするんですか?」
「プライベートではあまり利用しないが、仕事で人と会うときなどは個室の方が都合がいいからな」
「仕事……」
彼から貰った名刺には『国立自然対策研究所危機管理室室長』という肩書きが印刷されていた。
インターネットで検索しても同じ名前の施設が検索結果に表示されることはなく、それがどんな場所なのかを知ることはできなかったが、室長というのだから立場のある人だ。
「具体的にはどういうお仕事を……?」
「非人為的な事象に対する研究成果の現実的な運用を考えることが私の仕事だ」
「……………………ええと」
「人為的でない災害から民間人を守るための手段を研究し、それらを適切に運用できるように各方面と折衝を重ねること、と言い換えると少しはわかりやすいだろうか」
すみません。やっぱりよくわかりません。
からかわれているのだろうか。
「じ、自衛隊?」
災害から民間人、のくだりからの連想に、月瀬は「はずれだが、私自身は元自衛官だ」と微かに口角を上げた。
その表情は元の職場を懐かしむというよりもどこか自嘲的で。
そんな表情をするということは、自衛官だった頃に何かあったのだろうか。
初めて会ったときから気になっている、時折瞳の奥によぎる深い悔恨の色と、何か関係があるのだろうか。
「どんなお仕事だかは俺には難しくてよくわからないですけど……自衛官も今のお仕事も誰かを守るためのお仕事ですよね。すごく素敵だと思います」
どれほど努力をしても、この体質のせいで正職につくのは不可能に近いと思われる真稀の目には、誰かのために働いている月瀬はとても眩しく映った。
真稀には、異形の血が流れている。
母は自分はサキュバスという淫魔なのではないかと言っていた。
なのではないか、という曖昧な表現は、幼い頃に親を亡くしているため本人も薄ぼんやりとしか理解していなかったためだろう。
サキュバスとは諸説あるものの、寝ている男性の夢の中に現れ性交を行うという、悪魔の一種だ。
見た目は普通の人と変わらない肉体を持つ真稀の母も真稀も、他人の夢の中に入るようなファンタジーな能力は当然ながら持っていないため、本当にサキュバスなのかどうか、正確なところはわからない。
ただ、吸血鬼が人間の血液を求めるように、自分達が生きていくためには精気が……もっと具体的に言うならば男性の精液が必要だというのは確かだ。
ソープ嬢をしているのは効率的な摂取のためでもあると語った母は、真稀を見て「あらでも真稀は男の子だったわね困ったわね」と呑気に笑った。
「困ったわねじゃないよ。今のところ特に同性に対してそんな気持ちになったこともないし、必要になったらどうしたら」
「大丈夫よ、世の中にはいろんな趣味の人がいるから」
「いや、俺自身がそういう趣味じゃなさそうって話なんだけど……」
「空腹は何にも勝る調味料よ、真稀!」
母とのやりとりは、いつも噛み合わない。
能天気な母親だが、幼い頃に親を亡くしている。
どんな風に生きて来たのか、子供がたった一人で生活していくことは容易ではなかっただろう。
それでもなんとかなってきたという成功体験があるからか、母は「真稀も大丈夫」と、少女のようにただ笑っていた。
その後、この世界の異物として殺されても尚、彼女は誰一人恨むことなく逝った。
母がそんな調子だから真稀も憎しみを抱かずに済んだが、同時に自分も同じように異物として始末されるのだろうと思うと、とても悲しかった。
ヒトでない自分は、やはりこの世界に不要なものなのだろうか。
違うと、思いたい。
いつまで生かしておいてもらえるかはわからないけれど、誰か一人でいい、真稀がいたことで救われる人がいたとしたら。誰かを幸せにできたと思えたら。
きっと、真稀も母親と同じように笑って逝ける気がした。
少なくとも4年前の春には、そんな希望を抱いて生きていたのだけれど。
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