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いけないと知りつつ、求めた3
その声が、かろうじて真稀の正気をつなぎとめた。
「見りゃわかんだろ、声なんかかけるなよおっさん」「あ、もしかしてこの子のお得意さん?何なら混ざる?」
下品な笑い声が聞こえたかと思うと、空気が動く。
「ぎゃっ」
次いで、悲鳴。
「テメェ、何しやがっ……ぐっ……!」
どさ、どさ、と人の倒れる音が鈍く響いて。
黒い影が、力なく座り込む真稀の前に立った。
「月瀬、さん……」
呆然と呟けば、深い黒色と視線が交わった。
「大丈夫か?」
反射的に頷いたものの、衝動は去ってはいない。あまり大丈夫ではなかった。
「……強いんですね」
なんとかして飢餓感を紛らわせようと、現状への感想を口にしてみる。
元自衛官だからだろうか。いともたやすく四人もの成人男性を気絶させてしまった。
エリートという言葉の似合う月瀬からは、荒事の得意そうな雰囲気はあまり感じられないのだが。
「護身程度にな。民間人数人を制圧するくらいのことは、私にもできる」
民間人を制圧、という普段あまり使わない言い回しが月瀬らしい。
微かに綻びかけた口元は、津波のように押し寄せてきた飢餓感を堪えるため、ぐっと引き結ばれた。
「(駄目だ……、正気でいなくちゃ)」
いつまでも座り込んだままでいる真稀を不審に思ったのだろう。
月瀬は歩いてきて、手を差し出す。
「どうした、立てないのか?どこか怪我でも?」
「違、だ、大丈夫、なので……っ、もう、行ってもらってもいいですか……?」
助けてくれた人に、こんなことを言うのは本当に最低だと思う。
けれどこれが、他ならぬ真稀自身から彼を守る最善なのだ。
彼に、これ以上不快な思いをさせたくない。
震える唇で何とか訴えたが、月瀬は表情を険しくして真稀を立たせようとする。
「この状況で君を置いて帰れるわけがないだろう。送っていく」
「お、俺、一人……で帰れます、から」
月瀬に何と言われようと、真稀もこのまま帰るわけにはいかない。
この飢餓感をなんとかしなければ、日常にも戻れないのだから。
今にもまた先日と同じ過ちを犯しそうなのをすんでのところで耐えているのだ。
自衛のためにも大人しく帰ってくれと叫びたかった。
しかし、初めての出会いの時もそうだったが月瀬は譲らず、半ば引きずられるようにして一緒に自宅まで戻ることになった。
道中の記憶はほとんどない。
アパートのドアが閉まる音がスイッチだった。
前回と同じように、異形の業を使い、玄関先で月瀬を求めた。
自分のことも、相手のことも、何も考えられない。
ただ目の前の陽物にむしゃぶりつき、飢えを満たしたくて。
注がれた瞬間、そっと頭を撫でられたように思って、胸がぎゅっとなって、力が抜けて意識を失った。
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