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それはとても好きな音だった1

 中3の冬。  真稀が学校から帰ると、アパートの部屋の鍵が空いていた。   ……母は必ず鍵を閉めるのに。  嫌な予感がして、慌ててドアを開ける。そして、眼前に広がった光景に真稀は息を呑んだ。  家具が倒れ、物が散乱する中に、母が倒れているのが見える。 「母さん…………!」  慌てて駆け寄ったものの、乾き始めた血溜まりの中に横たわる体は、既に冷たかった。 「そんな……」  あまりに突然のことで、頭が真っ白になる。  一体、母の身に何があったというのだろう。  固まっていると、母の体はぼんやりとした光を放ち始めた。 『真稀』 「母……さん……?」  声が脳に直接響いたような気がして、思わず周囲を見回す。  ここには自分と、冷たくなった母以外の何者も存在しない。  ではこの、既に生の気配を感じられない母の体から? 『ごめんね真稀、私うっかり殺されちゃったの』 「……うっかり?」  シチュエーションに一切そぐわない、あっけらかんとした口調にがくっと力が抜けた。  この状況をどう受け止めればいいのか、混乱の極致にいる真稀の心情には何の配慮もなく母は話を続ける。 『そう、うっかり。人ではない存在を狩るハンターだかなんだかにね。起きてたらもう少しなんとかなったかもしれないんだけど、寝ボケてたからどうにもならなくて。あなたが成人するまではと思ってたんだけど、まあそう都合良くはいかないのが人生よね。私を殺した男は、母を殺した男に似ていたわ。きっと血縁よ』 「いやあの待って、寝ボケ……って、ハンター?初めて聞いたけどお祖母ちゃんは病気や事故じゃなくて誰かに殺されてたの?なんかもう全然話が見えないんだけど」  人の話を聞かない母とは、いつも噛み合わない。  よくこんな調子で客相手の水商売をずっとやってきたものだ。 『真稀のことには気づかなかったはずだけど、念の為に引っ越しはした方がいいわ。お店には私は死んじゃったって連絡して、それまでのお給料早く振り込んでもらいなさいね。私達人ならざる者は、正体を隠して生きていくしかないけれど、真稀は上手くやるのよ』  腕の中の母の姿が薄れていく。  一瞬前まで確かに質感を感じていたのに、肉体はすでに消滅していたとでもいうのか。  真稀は焦って取りすがる。 「ちょっと待って、急すぎるよ、なんかもう少し……」 『私はずっと私のしたいように生きたわ。だから貴方も、貴方の生きたい道を行きなさい』 「…………母さ…………っ」  最期に、微笑んだ顔が見えた気がした。  腕の中にはもう何もない。  人ではなかったからか……遺体すら、残らなかった。  残ったのは、荒れ果てた部屋と、真稀だけ。  あまりにも……、そう、あまりにも母らしくて、涙は出なかった。  母を亡くしたことは悲しかったし、命を奪った誰かを憎いとも思ったけれど、そうしたネガティブな感情で誇らしく逝った母の死を汚したくはなかった。  自分でも言っていた通り彼女は、自分のしたいように生きたのだと思う。  真稀が一人で生きていくために、母がいなくて困ることはほぼないと言っていい。  夜の仕事をしていた母と真稀が一緒にいた時間は少なく、いないことが日常だったこともあるだろう。  家の事は家事能力の欠如していた母に代わって全て真稀がやっていたし、難しい字や文章は読めないというから学校関連の書類も幼い頃から自分で処理してきた。  貯蓄はあり、年齢と保証人にできるような人がいないこと以外は何も不安ではなかった。  高校には入学できるのだろうか。それだけは少し気がかりだ。  母は自分が行けなかったからと、高校や大学に行って欲しいと常々言っていたから。 『運動部の先輩と秘密の特訓とか、先生と放課後の個人授業とか、突如告白してきた幼馴染に教室で押し倒されるとか、そういう青春を過ごしておかないと!』  ……と。  それは青春というより大人向けの創作のような気がしなくもなかったが、特に困窮はしていなかったため通うことを前提で学校とは話をしている。  ふと、父親のことが頭をよぎったが、いくら能天気な母でも、相手が頼れるような状況にあれば間際にそのことを真稀に伝えただろう。 「片付け……しようかな」  まだ、母がこの世にいないという実感は湧いてこない。  だが、危機が迫っているという以上、引っ越しなどやれることはやっておくべきだろう。  執着するほど幸せな人生でもないけれど、座して死を待つほど達観もしていない。  現実的なことがまず先だと、真稀はゆるゆる立ち上がった。  この頃はまだほとんどヒトと同じ食事をして生きていられたから、身体のことはそれほど懸念事項に含まれていなくて。  衝動は気力で抑えられるものだと、甘く考えていた。  月瀬がやってきて、後見人になってくれることになった時も、成人するまでなら隠し通せるだろうとたかを括っていたのだ。  こんな風に巻き込んでしまうなんて、夢にも思わずに。

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