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『魔王』の世界2

「人心の荒廃は深刻だな」  哀しみに彩られた黒い影はそんなことを独語すると、マサキの傍に膝をついて拘束を解いてくれた。  彼は何がそんなにつらいのだろうと不思議に思いながら、ゆるゆると立ち上がる。 「ありがとう…ございます。『魔王』様」 「『魔王』?」 「違うのですか?」 「……なるほど、そういう認識をされているわけか。……『魔王』か……違いないな」  ぽつりと漏れた自嘲は重く、マサキは自分が何か彼を悲しませるようなことを言ってしまったらしいと思って謝ったが、次に『魔王』が口にしたのは別のことだった。 「君の拘束は解いた。逃げても構わないぞ」 「逃げる……? どうしてですか?」 「君は、自分が何故ここに連れてこられたのかを知らされていないのか」 「『贄』になるためですよね。わかっています」  安心させようと思ったのだが、訝る気配でぐっと両肩を掴まれる。  その手は、彼の寂寞たる心の裡を表すように冷えきっていた。 「本当にわかっているのか? 人柱になり、死ぬということなんだぞ」  切羽詰まった問いにこくりと頷く。  どうして、逃げろなどというのだろうか?  『災厄』である自分がようやく人の役に立てるときがきたのに。 「あんな……、誰かを犠牲にして生き永らえようとする者達が、君が己の命を捨ててまで守るべきものか?」  責め立てるようにぶつけられるのは、怒りと、悲しみと。  だがそれは他でもない、『魔王』が自分自身に向けたもののように感じた。  人の心の動きはよくわからない、けれど、マサキの答えは変わらない。 「俺は嬉しいです。『贄』になることができて」  誰かを幸せにできる手段が目の前にあって、それが自分にだけできることだったら。  それはすばらしいことではないのだろうか。  マサキには養うべき家族もなく、何かを生み出すこともできず、存在しているだけで村の人達を不幸にしてきたのだから。  それを聞いた『魔王』はやはり悲しそうだった。  マサキが『贄』になったら『魔王』も幸せになれるのならいいのに。  帰る場所がないことを話すと、『魔王』はマサキを塔の中に入れてくれた。  塔の中は、マサキの見たことのないものばかりでとても驚く。  マサキには物の色や形は見えないので、正確には「感じたことのないもの」というべきか。  壁や床も不思議な素材で、どう表現したらいいのかもわからないが、木や石でできたものではないのは確かだ。  不思議なのは素材だけではない。この塔に入ってからずっと、微弱な振動を感じている。  それは『システム』で自分はその『管理者』なのだと、『魔王』は己のことをそんな風に話した。  よくわからなくて説明をしてもらったら、『管理者』というのは災いをもたらすものなどではなく『神様』のようなものらしい。  つまり『災厄』であるマサキとは仲間ではないようだ。  それはとても残念だけれど、神様のような存在ならば、この死に行く世界をたすけられるかもしれない。  早く『贄』にしてもらいたかったのに、次に『魔王』がしたことは『マサキ』を風呂に入れることだった。  新しい服まで用意されていて、どうして、という気持ちはあったがやはり嬉しかった。  でも一番嬉しかったのは、母親にしか呼ばれたことのない名前を呼んでくれたことだ。  嬉しくてお礼を言ったら、優しく頭を撫でてもらって、なんだか胸のあたりがあたたかくなった気がした。

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