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引き返せなくなる、3
どうしてこうなった、と。
ネギの突き出たスーパーの袋片手に、今更ながら真稀は背中に嫌な汗が伝うのを感じていた。
教えてもらった住所を頼りに辿り着いた月瀬の住処は、都内にありながら広い敷地を有し、それでいて窓の数などから推察するに、明らかに部屋数の少ない超高級マンションだった。
エントランスに辿り着くまでも管理の行き届いた植え込みが並ぶ小道が続き、マンションというよりも商業施設や美術館のようだ。
自分の住むアパートがいくつ入るのかな、なんてどうでもいいことを考えかけて、真稀は首を横に振る。
「(憧れで…よかったんだけど)」
『もしかしたらおとずれたかもしれない未来』で十分だったのに。
ポケットの中の合鍵は朝渡されたもので、質量以上の重みを感じてしまう。
本当に自分にこんな大切なものを託していいのかと、真稀は何度も月瀬に確認した。
『お、俺が出入りして変な噂とか立っちゃったらどうするんですか?』
『後見人と被後見人が同居することが不自然なこととは思わないが。万が一ハンターとやらの襲撃があったとして、土地も建物も私の物なので、身を隠したい君にとっては揉み消しやすさにも利点があるだろう』
朝交わした会話を思い出してちょっと気が遠くなりそうになる。
「(これが全部持ち物とか……生活水準が違い過ぎる……)」
母は高級ソープで人気の嬢だったので、住んでいたのは安アパートでも貧乏暮らしというわけではなかった。
高校もそれなりの偏差値の進学校で裕福な同級生も多かったが、これといって気後れしたり劣等感を抱いたこともなかったと思う。
月瀬の現住所がこうしたマンションの多い場所だとは知っていたし、着ているものにしても連れて行ってくれる店にしても、経済力という言葉を感じさせるものではあったが、今までは『彼は大人だから』で済んでしまう距離感だった。
真稀が成人して後見人でなくなればほとんど縁のなくなる人だと思っていたから。
まさか、よりによって自分がここに住むことになるなんて。
どうしても不相応だと感じてしまって、場違いな自分が気になってしまう。
ヒトの中で目立たないようにという意図もあるが、ファッションという視点で服を買ったことのないカジュアルかつ量販感の溢れる自分がピカピカのエントランスのガラスに映ると、真稀は大きくため息をついた。
とりあえず、早く入ってしまおう。
真稀は勇気を出して一歩を踏み出し、最上階を目指した。
「お、お邪魔します……」
鍵を開けて入った主不在の部屋は、まず玄関からして真稀が住めそうなほどに広い。
おまけに、自動で電気がついて無駄にドキッとしてしまった。
恐々と靴を脱いで上がった廊下を直進した先が広い対面式キッチンのあるリビングルームで、天井までガラス張りの窓からは東京の街が広がっている。
一先ず買ってきた食材をしまいたいと、冷蔵庫を探した。
なんとなく予想はしていたのだが、冷蔵庫の中には酒とミネラルウォーターくらいしか入っていなかった。
広くて清潔なキッチンは使った形跡がなく、生活感はほとんどない。
通ってきた廊下やリビングにも私物らしきものは見当たらなかった。
真稀の部屋にも大学に通うのに必要なもの以外はPCくらいしか置いていないが、それでも家事をするのに必要な消耗品は置いてあるので、ここまで無機質な印象は受けないだろう。
どこもかしこもモデルルームのようにピカピカなこの場所は、月瀬にとって『帰りたいと思える場所』なのだろうか。
きれいすぎて落ち着かないというか、真稀としては畏れ多い。
粗相があってはいけないと、月瀬が帰ってくるまでキッチン以外には触らないでおこうと固く誓った。
初めて使うキッチンと格闘し終えた頃、予告した時間ちょうどくらいに月瀬が帰宅した。
「お、お帰りなさい」
鍵を開ける音で出迎えると、月瀬がちょっと驚いた顔をしたので、おかえりなさいは違ったかと慌ててしまう。
「あっ……、あのっ…すみません、お、お邪魔してます……!」
下げた頭にぽんと手が置かれる。
「……ただいま。いい匂いがするな」
優しい声音に、じわりとあたたかい気持ちが胸の内を満たすのを感じた。
不相応さにしぼんでいた心が勇気を得て、自然と笑顔がこぼれる。
「夕飯、出来てますよ。すぐ食べますか?」
「そうだな、いただこうか」
着替えてくる、と月瀬は主寝室らしき部屋に入って行き、真稀はそわついた気持ちのまま、できた料理を配膳するためキッチンへと戻った。
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