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引き返せなくなる、5
月瀬の寝室は、寝るための場所というより書庫のようだ。
壁一面が作り付けの本棚になっていて、びっしりと本で埋まっている。本の壁だ。
ノートPCが置かれた机の上にも本が積み上がり、ベッドのサイドテーブルにも何冊も本が置いてある。
つい興味津々に見回していると、座るよう促されてキングサイズのベッドの上に恐々腰かけた。
下はスーツよりは……という程度にラフなチノパンに履き替えたようだが、未だワイシャツのままの月瀬は机の前に座る。
自宅にいるためかリラックスした様子だ。
深く考えると動揺しそうなので目をそらし続けてきたが、ここで月瀬が寝起きしているのだと意識してしまうと、ドキドキする。
「やはり、他人の家は落ち着かないか?」
緊張していることが伝わったのだろう、月瀬からの問いに、真稀は素直に答える。
「枕が変わると眠れないとかではないんですけど……誰かの家に泊まるのは初めてで、……少し、緊張しています。あの……月瀬さんは、俺がいて邪魔になりませんか?」
「私はあまり他人の動向に行動を制限される性質ではないからな」
心配していたことをあっさりと否定してもらえて少しほっとした。
神経質そう、と思っていたが、自衛官だったのならば共同生活には慣れているのかもしれない。
今が、好機なのではないか。
かねてよりの疑問をぶつける。
「……月瀬さんのことを、聞いてもいいですか」
構わないとカップを片手に彼が頷く。
「あの………………、」
聞きたいことはいくらでもあった。母との関係、月瀬の仕事のこと、……どうしてこんなによくしてくれるのか。
真稀は、緊張に震える口を開いた。
「夕飯、嫌いなものとかなかったですか?あと、アレルギーとか……」
しかし出てきたのはこんな日常的な質問で、正直、自分の意気地の無さには内心頭を抱える。
月瀬は特に不審に思わなかったようで、素直に答えてくれた。
「特に好き嫌いもアレルギーもない。君の作りたい時に君の食べたいものを作ってくれればいいし、そう義務的に捉えてくれなくて大丈夫だ」
「自分が食べるためでもあるので、義務とは思ってないですけど……」
それどころか、気後れも緊張もあるが、今日、スーパーでレシピに悩み、喜んでもらえたらいいなと思いながら料理をするのは、とても幸福な時間だったと思う。
恐らく払わせてもらえないであろう、揃えてもらった家具の料金や家賃のことを考えると、家事くらいはさせてもらいたい。
それを伝えると、しばし考えた月瀬は「まあ、そうだな。それが君の負担にならないのであれば私は助かるが……」と言ってくれた。
「君の学生生活に差し支えない範囲で頼む。ああそうだ、これを」
机の抽斗から取り出して渡されたのはやけに厚みのある封筒だ。
「食費だ」
「……ええと。これは一体何日分の食費で……」
「君が食事を作るのにかかる費用がどれくらいかわからなかったからな。あとは生活していて必要なものがあったら遠慮なくなんでも買うといい」
毎日デパートで食材を買っても二人で使い切るまでにはそれなりに月日がかかりそうな金額ですがどうですか。
本当に聞きたいことは聞けなかったものの、月瀬の金銭感覚が自分とはだいぶ違うことと、神経質そうという第一印象に反して結構大雑把な性格だということだけはよくわかった。
「月瀬さんって……スーパーとか行ったことありますか?」
「いや、ほとんどないと思うが。足りなければ」
「お、多いっていう話ですよ!?」
「多い分には問題ないだろう」
信用されていると喜ぶべきなのだろうか。
色々と思うところはあるが、どちらにしても自分には無駄遣いのあてはないのでいいかと受け取っておく。
しまっておけばいいだけの話だ。
……いつまでここにいられるかもわからないし。
馴染んでしまう前に、なるべく早めに出ていくべきとも思っている。
「(他愛もない話をしたり傍にいられることがこんなに嬉しいなんて……これが普通になってしまうのは……駄目だ)」
そっと視線をカップに落とすと、揺らぐ自分が心許無く写っていた。
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