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引き返せなくなる、6

 会話が途切れると、月瀬は不意にカップを置いて立ち上がり、真稀の座るベッドへと移動してきた。  微かにスプリングが音をたてて、緊張してしまう。 「今日は美味しいものをご馳走になった。私も対価を払わなくてはいけないな」 「対価……なんて、そんな」 「今日は必要ないのか?」  体温を感じる距離。  いたずらっぽい瞳に覗き込まれて、ドクン、と鼓動が鳴った。  ずるい、と思う。  そんな気配は微塵も感じさせなかったのに。  それまで意識していなかった飢餓感が急激に頭をもたげるのを感じる。 「ほ…しい、です……」  渇きに突き上げられるように、そう答えていた。  ワンパターンだなあ。  ……と、頭の片隅から冷静な自分の呆れたような声が聞こえる気がする。  それでも抗えないのは、本能だから。今はそういうことにしておきたい。  月瀬の片腿に乗り上げるようにベッドの上に肘をついて、中心に顔をうずめて。 「……ふ……っン……」  どうしても月瀬だと思うと熱心に奉仕してしまう。  月瀬の部屋で、月瀬のベッドの上で、こんなことを。  想いが透けて見えて気持ち悪いと思われていないだろうかと不安で見上げた先の表情が艶っぽくて、どきりとして慌てて目をそらした。  思考を振り切るように裏筋をねっとりと舐め上げ、先端に辿り着くとそこにも丁寧に舌を這わせる。  頬張ってしまうともう我慢が出来なくなって、浅ましく求めた。 「……満足、できたか?」  穏やかな声とともにそっと頭を撫でられ、腹が満たされた後、しばらくぼうっとしていたのに気づき、慌てて身を起こした。 「す、みません……。俺、その、なんか、すぐこんな……」  なんと謝っていいかわからずしどろもどろになる。  頭の方は正気に戻ったと思うのに、何故か体は熱いままで、ドキドキが収まらない。  これは、乙女的なときめきではない、アレだ。  そんな気分になるとアレになる生理現象だ。  やや前傾姿勢で思わずベッドの上をじりっと後ずさるのを、月瀬は見逃さなかった。 「あ、あの、俺ちょっとトイレ……に、って、ちょっ……、月瀬さん!?」  ぐっと引き寄せられて硬直した隙に、月瀬の手がルームウェアのパンツにのびる。  突っ込まれた手が誤魔化しようのないくらい反応したものを握り、驚きとこみ上げる快感に思わず目前の月瀬に縋った。 「な、なにして……っそん、な、……あ……!」  他人にこんなことをされたことがないどころか、自慰すらもごくまれにしかしないそこは摩擦に弱く、試すように触られた程度でびくびくと反応を返す。  今までの『食事』で、こんな風になったことはない。  今後の人生、排泄以外に使用する予定がないから退化してしまったのではないかとすら思っていたのに、なぜ今回に限って、というかこの展開は一体何なのか。 「や、…待……っ、つきせさ……っあ、あっ!」  混乱と慣れぬ身に過ぎる快感に翻弄され、真稀はあっけなく月瀬の手を汚した。 「は……っ、はぁ……、あ」  息を整えていると、興味深げな視線を感じて急激に頭が冷える。  慌てて突き飛ばすようにして距離を取った。 「ご、ごごごめんなさい……っティ、ティッシュ……! いや、手を洗っ……! ど、どこか汚してないですよね俺……!?」  辺りを見回して発見したティッシュを引っこ抜いて押し付けると、月瀬の肩が震えている。 「ふ……、」 「つ、きせさん……?」 「はは、はははははは……!」  やってしまったのか俺。と肝を冷やしたのに、突然の爆笑に心底驚く。 「ど、どうし……」 「いや、君があんまり慌てているから……」 「え……?だって」  ここで慌てなくていつ慌てるのかという事態だ。  訪れた際に「粗相をしないように」とは思ったが、まさか本当にやってしまうとは。  嫌な汗が止まらない真稀とは反対に、月瀬に怒った様子や呆れた様子はない。  ……まあそもそも彼の方から仕掛けてきたことではあるのだが……。  本当に、何故こんなことに。  笑う月瀬を前に、眉を下げて途方に暮れる。 「……そんなに笑わなくても」 「……すまない、少し意外というか……。君はあまり取り乱したところを見せないから新鮮だった」 「そ、そんなことは、ないと思いますが」  ここのところは会うたびに月瀬の前で醜態をさらしてばかりのような。  新鮮といえばこんなに笑う月瀬の方がよっぽど珍しいのではないかと思う。 「と、とにかく手は洗った方がいいです」 「ふむ、私もシャワーを浴びてそろそろ寝るかな」 「バスルームは先に……、少しの間でいいのでお借りできると助かります……」  汚れたのは月瀬の手だけではないし、色々な汗もかいてしまった。 「ならば、一緒に入るか?」 「先に! お借りします!」  明らかにからかっているとわかる言葉に、それでも過剰に反応してしまった熱い頬がいたたまれなくて、真稀は寝室を逃げ出した。  バスルームに逃げ込むと、閉めた扉を背にしてずるずると座り込んで頭を抱える。 「………………無理」  あんなに笑うところとか、ちらりとのぞかせた悪戯っぽく目を細めたちょっと悪い顔も、こんな事態になった理由とかこれからのこととか、直近で顔を合わせたら気まずくてどうしようとか、何もかもがキャパシティを超えていて頭が爆発しそうだ。  好きになるばかりで、つらい。  更に下着を洗わなければならないといういたたまれなさすぎる事態に、真稀はがっくりと項垂れたのだった。

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