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訪れた朝4
「月瀬さんは俺が『マサキ』だって最初から気付いてたんですか?」
急須を傾け、新緑色の煎茶をゆっくりと抽出しながら、もう一つ気になっていたことを聞いてみた。
『マサキ』と真稀の顔はそっくりだ。『マサキ』よりもあの世界の『管理者』としていろいろなことを知っていた『魔王』の記憶があるのなら、初対面の時にはもう確信していた可能性もあるのではないか。そう思ったが、月瀬は「いいや」と首を振る。
「まず、先日話した通り、君のお母さんが亡くなったことで、件の組織が日本でも活動しているという情報が私の方に上がってきた。私の手元には情報を扱う部署から、超自然的な事象に関する報告が一旦全て集まってくる。その中に、君のお母さんの情報もあった。写真の面差しが夢に出てくる少年に似ている気がして、個人的に調べたら君に辿り着いたんだ」
なるほど、真稀は完全に母親似だ。
年々似てくる気がするのが、我ながらちょっと複雑ではある。
「もちろん、あの世界のことは夢でしかないと思っていたから、偶然にも名前が同じのよく似た別人だと思っていた。……しかし、自己満足だとわかっていても、放って置けなかった」
それで所長である月瀬自ら、真稀のところに来てくれたのか。
「転生とかそういう認識があったわけではないんですね」
「君が私を見て何かしら反応をしていたら、もしかしてと思ったかもしれないが、特にそんな様子も見受けられなかったからな」
「そうですね……。夢の中では『マサキ』の磨りガラス越しのような視界だったので、かなり最近になるまで気付かなかったです。声も、少し違う音で聞こえていたし。どこかで見たことあるような気がする、程度には思ってたんですが」
「それほど彼の視力は悪かったのか……。動作に淀みがないので、酷い近眼くらいの認識だった」
月瀬が表情を曇らせたので、真稀は慌てて「本人はあまりそのことについて気にしたり不自由したりはしてなかったですけど」とフォローした。
『マサキ』は、自分のことで彼に悲しい気持ちになって欲しいとは思っていないだろう。
湯呑みを差し出すと、短く礼を言って受け取った月瀬は、話を続ける。
「転生などという考えには至らなかったが、あの路地裏で君を見つけたときに、人と人ならざるものの狭間で苦悩して身を引こうとしている君と、夢の中で己を犠牲に世界を救おうとした少年をだぶらせて、意識しないまま混同していた部分もある。……名前も」
「名前?」
「気付いていなかったのか? 私は元々君をファーストネームで呼んではいなかっただろう」
「…………………………あっ」
言われてみれば、そうだ。
夢と混ざって全く違和感がなかったが、いつから名前で呼ばれていた?
驚いていると、月瀬も後から気付いたのだと苦笑しながら教えてくれた。
「不審に思われていなかったのならよかったが」
「たぶん、「あれ?」って思ってもそっとしておいたと思います。月瀬さんに呼んでもらえるの、嬉しいですし」
月瀬に名前を呼んでもらうのは、好きだ。
低く落ち着いた声で音になった自分の名前は、何だかとても価値のあるものに聞こえて、そんなふうに聞こえるということは、大切に想ってくれているということなのでは……なんて、少し自惚れた気持ちになれるから。
そんなことを考えていたらうっかり、真稀、と至近で囁かれた昨夜のことを思い出してしまって、頬が熱くなった。
朝から自分は何を考えているのかと一つ首を振って視線を前方に戻すと、何故か月瀬は眉間を寄せて考え込んでいて、真面目な話をしていたのに、場違いなことを言ってしまっただろうかと焦る。
「す、すみません、変なことを言って」
「…………いや。ところで君は今日、何か予定はあるのか?」
「え? いえ、特には……」
突然話題が変わったことに驚きつつも、週末で授業もなく、家事をしたいくらいで何の予定もないので素直にそう伝えると、月瀬は表情を和らげて「そうか」と頷いた。
「それは何よりだ。そんな顔の君を外に出すのは心配だからな」
「えっ……俺、そんな変な顔してましたか?」
うっかり邪なことを考えていたのが駄々漏れてしまっただろうかと、今更ながら慌てて口元を隠すと、月瀬が笑う。
「変ではないが……可愛いからできれば二人きりの時にだけ見せて欲しい顔だ」
「そ…………」
限りなく甘く、欲望のちらつく瞳に覗き込まれて、言葉を失った。
耳が熱い。月瀬こそ、そんな顔は他の人に見せないで欲しいと思う。
反応に困って俯けば、真稀、と優しく呼ばれたけれど、視線を上げる勇気が出ない。
どうしよう。
朝から、月瀬が甘すぎる。
悲壮な気持ちで月瀬から離れることを決意した数日前から一変し過ぎた状況に、まだ脳がついていっていない。
突然……というわけではない。月瀬の部屋で生活するようになってから、月瀬はずっと優しかった。
勘違いしそうだと思っていたけど、本当に好意だったなんて。しかもその好意に真稀がつけ込んでいることになっていたなんて、とんでもないことだ。
……しかし、裏を返せば、つけこまれてもいいと思うくらいには真稀に好意があったということで。(保護という目的もあったことはひとまず置いておく)
つけこむというのは少し言葉が悪いけれど、お願いをするくらいの特権はあるということだろうか。
その、恋人として。
「月瀬さん」
「うん?」
「もし、ご迷惑でなければ、なんですけど」
「どうした? 改まって」
「今日は近くにいて、いっぱい触ってもらえたら嬉しいです……」
今も同じ空間にいて親しく言葉を交わしているのに、もっとそばにいたいだなんて、欲張りすぎだろうか。
もそもそとお願いをしてから、ちらりと月瀬の表情をうかがう。
月瀬はほんの一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに表情を綻ばせた。
「私も、もっと君に触れたいと思っていたところだから、そう言ってもらえて嬉しいよ」
月瀬も同じ気持ちでいてくれたことにほっとする。
真稀は月瀬と二人きりで過ごせるこの後の時間のことを思い浮かべて、微笑み返した。
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