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yagami3
平日でも、夕食時の焼き肉店はこんなにも込むものなのかと驚きながら、八神はオドオドと店員に声を掛けた。運良く半個室のような作りの席が空いていたので、そこに二人向かい合うようにして座わることができた。給料日前なので贅沢はできない。一番リーズナブルなセットメニューを八神が選ぶと、暮野は『俺は食い放題ってやつがいいな』と嬉しそうに言った。
(やつ?……)
暮野は食い放題を知らないのだろうか? まるで初めてそれにチャレンジするかのような様子に、八神は本当に暮野宇宙人説を信じてしまいそうになる。
(いや、いや、いや)
八神は心の中で三回それを否定すると、ちょうど通りかかった店員に注文を済また。
暮野の食欲は尋常じゃなかった。食べ放題一時間三〇分プランの時間内に、八神の頼んだセットメニューの五倍は軽く食べている。こんな店泣かせな客は多分久しぶりなのだろう。従業員同士で困った顔をしながら、暮野を見てひそひそと小声で囁き合っている姿に、八神は自分のことじゃないのに、とても居心地の悪さを感じてしまう。しかも、彼はひたすら食べ続けるだけで、メモに書かれていたような好きな本についての話など一切触れてこない。八神は唖然としながら目の前の暮野の異常な食欲に、ただただ目を奪われているだけだった。
「やばい! 肉が旨すぎて箸が止まんない!」
暮野は興奮しながら食べる手を休めない。八神は既に自分の分は食べ終えていて、普通に満腹だった。時計を見ると、食べ放題のタイムリミットが近づいている。
八神はそのことを暮野に伝えると、暮野は恨めしそうに八神を見つめた。
「ん~、まだ食えるのに」
暮野は悔しそうにそう言うと、今度はデザートメニューに目を通し始める。
「あんたは? 甘いもん好き?」
「え? は、はい。大好きです。アイスとか特に」
「へ~、気が合う。ねえ、これ一緒に食べない?」
暮野は嬉しそうにそう言うと、特大フルーツパフェを指差した。あまりの大きさに八神は少し躊躇ったが、暮野と一緒なら食べきれるだろうと思い直し、「いいですよ」と答えた。
「よし! そうこなくっちゃな。焼き肉の最後のシメはアイスって決まってるし」
誰が決めたんだろうと思ったが、暮野は当たり前のようにそう言うと、店員をもの凄い大きな声で呼び、パフェを二つ頼もうとしたので、八神は慌てて制止した。
「一個でいいです! 何なら僕は食べなくても平気ですよっ」
「え? そうなの? そうか……じゃあ、これ一つください。あ、スプーンは二つね」
暮野は残念そうに特大パフェを頼んだ。八神はそんな暮野がおかしくて思わず吹き出した。
「あ」
「……ん? 何ですか?」
「笑った顔初めて見た。かれこれ一か月ぐらい図書館通ってるけど、初めてだよ。本当に。それってよく考えると凄くない?」
「え?……そんなに僕笑ってなかったですか?」
「うん。笑顔見たことなかったよ……ねえ、もっかい笑ってみなよ」
暮野は八神の顔をじっと見つめそんな無理なことを言った。それに、そんな綺麗な顔に見つめられたら、自然に笑える自信などない。八神は緊張で顔を引きつらせた。
「いきなりそう言われても、笑えないです」
「じゃあ、どうすれば笑うの?」
「……どうすればって、考えたことないです。そんなこと」
「そんなことね~。笑うのっていいよ。凄く大事なことだと俺は思うけどね」
「はあ……」
ひどく間抜けな返事しかできない自分が嫌になる。暮野は今、ごくたまにしか笑顔を見せないような奴と一緒にいて楽しいのだろうか? また八神は自分に、カチッと自信喪失のスイッチを入れてしまう。
「分かった。じゃあ、本の話しをしよう。さっきさ、俺が借りた本三冊を食い入るように見てなかった? あれってさ、もしかして三冊とも自分の好きな本だったから?」
「え?……」
八神が驚いて言葉に詰まっていると、まるでその間を埋めるように、特大パフェが届いた。数種のフルーツをこれでもかと盛り付けたとても贅沢なパフェだ。
「おっ、来た、来た。ほら、一緒にこれ突つきながら、本の話しをしようぜ。本来これが目的なんだから」
彼はテーブルに置かれた特大パフェの天辺のサクランボを、いきなり指で摘まんで口の中に放り入れた。八神はスプーンを握り、アイスと生クリームを一緒に掬って口の中に入れると、ほどよい甘さが口いっぱいにひんやりと広がる。
「あ、あの、メモに、僕と本の趣味が合いそうって書いてあったけど、どうしてそう思ったんですか?」
八神は気になっていたことを、パフェを食べるという行為に乗せながら、さり気なく尋ねた。
「え? ああ、それはさ、俺が本を借りる時、あんたいつも俺と本を交互に見て、何か言いたそうな顔するんだよ。あれ、多分無意識でやってるんだろうな」
八神はものすごく恥ずかしくて思わず両手で顔を覆った。そんなことをしていたのかと思うと、恥ずかし過ぎて彼の顔を見ることができない。
「だからさ、今日の三冊は確実にそうだと思った。あんたがさ、俺の借りた本見つめてた数秒間は、えらく長く感じたよ」
「す、すごく恥ずかしいこと僕してたんですね。うっ……す、すみません」
八神は顔を伏せながら、震える声でそう言った。
「何で謝るの? それおかしいでしょ。あんたの無意識を恥ずかしいとか思うなよ。誰かと自分の好きな本を共有したいって気持ちの表れだろう?」
「ぼ、僕がそんなことしたら、大概の人に、き、気持ちが悪いと思われます。変な奴だって、蔑まれて終わりですから」
「……あんたはいいの? それで」
「はい?」
「それでいいのかって聞いてんだよ」
あの時、カウンターに並んだ利用者に言ったみたいに、暮野は低い迫力のある声で八神に言った。
「え……く、暮野さん、怒ってます?」
自分が暮野を怒らせるようなことをしたのかと思ったら、頭がグルグルと目眩のように回り、こめかみがトクトクと脈を打ち始める。
「……ったく。怒ってないよ……でも、あんたは変わんなきゃ駄目だ。絶対に」
「変わる?」
「そう」
怒ってないということが分かり安堵したら、気が抜けたせいで涙がじわりと滲んだ。でも、暮野の言っている「変わる」の意味を、八神は良く理解できていない。
「俺が変わらせてやるよ」
「は、はい? どういう意味ですか?」
「ああ、もういいよ。手始めに、明日の仕事終わりにさ、あんたのその岩のりみたいな鬱陶しい前髪をどうにかしないと。話はそれからだよ……よし。食おう。溶けたアイスほど不味いもんないぜ」
暮野は八神に確認もせず勝手に明日の予定を入れると、もの凄い集中力でパフェを食べ始めた。結局今日のメインだった本についての話しはどこかへ行ってしまったが、八神は突然の明日の予定のことで頭がいっぱい、いっぱいで、今にもはち切れてしまいそうだった。
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