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yagami4

 前髪を暮野のアドバイスで切ってから、職場の人間や、図書館に訪れる利用者の反応があからさまに違い、正直ひどく戸惑っている。この髪型にして初めて出勤した日、同僚の女性が、八神を数秒間見つめて固まってしまった。八神はどうしていいか分からず無意識にもう既にない前髪に手をやり、無理やり引っ張り瞳を隠そうとする意味不明な行動を取ってしまった。それでも彼女は、そんな八神を見てとても嬉しそうに「すごくいい!」と褒めてくれた。正直嬉しかったけど、八神はまだ自分の目を人に晒す自信がない。まるで、裸でいるような恥ずかしさを感じてしまうからだ。でもそれでは相手に対して失礼だし、八神自身前に進めない。だから八神は、彼女に素直に「ありがとうございます」と伝えた。彼女ははにかみながら八神を見つめると、「なんか、改めてよろしくね」と恥ずかしそうにそう言った。だから八神も、「こちらこそよろしくお願いします」と、相変わらず小声ではあるがそう返した。二人の間に流れた空気は、流石にまだ八神の心をざわざわと落ち着かなくさせるが、それでも、人と気持ちを寄せ合うことで生まれた温かさを、八神はしっかりと感じ取った。  そんな八神の変化には、暮野の存在が大きい。人は何かきっかけさえあれば変われるのだ。それがただ前髪を切るという物理的なことでも構わない。そこから始まる変化に向き合う勇気が必要なのだということを、八神は暮野に教えられたのかもしれない。  ただ、この変化が八神にとって吉ばかりかは正直微妙だ。人は見た目が大事とは言うが、その変化のせいで、何か不穏なものを引き寄せてしまうという不本意な事実に、八神は今怯えている。  池田の八神を見る目が違うのだ。有難いことに、池田は今までは八神をゴミのように扱い、興味のきょの字も示さなかったはずなのに、事あるごとに八神に絡んでくる。返本配架作業など、普段の池田ならそんな面倒な作業は極力嫌がるのに、「手伝ってやる」などと言い、何かと八神の傍で仕事をしたがる。確かに八神は若干自意識過剰な奴ではあるが、これは明らかに違う。八神の勘違いなどでは絶対にない。  そして、何より驚きなのが、池田は八神にべたべたと触れてくるのだ。勿論。大の大人が職場で無用に体を触れ合わせる必要など全くないのに、池田はまるで体育会系の先輩後輩みたいのノリで大胆にも触れてくる。さすがに、腰に手を回された時は、小さく悲鳴を上げたほど恐ろしかった。  おかしい。池田は自分とどうしたいのだろう? 自分の容姿が少し変わったことで、池田の何かを刺激するのだろうか? だとしたら、池田は自分と純粋に友達になりたいと思っているのだろうか? でも、だったらこの無用なスキンシップの意味は? 一番考えたくない選択肢だが、まさか池田は自分に性的な意味で触れているとか……。いやいや、それは無い。絶対に。だって自分たちは男同士だし、池田が自分に性的に惹かれるなど、そんなの西から日が昇るほど有り得ない。  今日も池田は八神と一緒にランチを食べようと策略している。八神はいつもおにぎりの中にウインナーや唐揚げなどを入れる手抜き弁当みたいなものを作ってくる。サラダやスープは、その日の気分でコンビニを利用して買ったりするから、外食などはしない。池田は親元居住だからか外食が多く、ランチはもっぱら職場近くの人気レストランで、お洒落に敏感なOLがいかにも選びそうなメニューを好んで食べる。 池田が、休憩時間十分前当たりから八神にちらちらと視線を寄越し、ランチに誘うタイミングを伺っているのが分かる。八神はそれに気づいてから、頑なに毎日弁当もどきを持ってきている。もちろん今日も八神の弁当はおにぎりと、コンビニで買った海藻サラダと春雨スープ。この昼飯は意地でも譲らない。池田とランチなんか絶対に行かない。 「八神君。最近オープンしたフランスの田舎料理の店、安くて美味しいらしいから、今から行かないか?」  思った通り池田は、時計の針が十二時を指すと同時に八神を誘ってきた。 「すみません。お昼持って来てるんで、大丈夫です。いつもお誘いありがとうございます」  何度目かの断りを、八神はなるべく池田の気分を損なわせないよう丁寧に言った。しかし、こう何度も断っていると、いつか池田が本領を発揮して、ねちねちと八神を虐め始めるんじゃないかという思いが脳裏を掠め、急に不安になる。 「ああそう。分かった。じゃあ、俺も今日はコンビニで何か買ってこよう。待っててくれ。今すぐ買ってくるから。一緒に食べよう」 (そ、そうきたか……) 「あ、は、はい……」  八神はそれしか言えず深い溜息を吐いた。

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