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kureno6
過去の生活にも大分慣れ、暮野は毎日充実した日々を送っている。
八神と一緒に仕事ができることはこの上なく楽しい。ただ、秋元総理に与えられた暮野の架空の学歴は、未来と同じように高校卒業までなので、もちろん暮野は図書館司書の資格を持っていない。運良く八神が勤務する公立図書館で、図書館司書の資格を必要としない臨時職員の採用があり、こうやって無事、八神と一緒に勤務できているのだ。
図書館司書の資格を得るには、大学に二年以上在籍しているか、又は短大を卒業しているかという条件が必要になる。図書館司書の資格を持っていない上に、資格取得の条件さえ持っていない。そんな自分が八神に仕事を教わりながら、大好きな図書館で仕事をしていることに、悔しさを覚えないわけがない。
未来では、運良く高校卒業までゲイだということが公にバレることはなかった。家族にも、親戚にも、自分を取り囲む社会にも。でも、ハッテン場で臣に出会い、ゲイだということを国家に見つけられたことで、暮野の未来は閉ざされた。所詮、大学に進み、社会人になったとしても、いずれバレることは分かっている。隠し通せる分けなどないことぐらい、ゲイの人間なら周知の上だ。
だから、暮野が図書館司書の資格を持っていないことはひどく当たり前だし、そんなに気にすることはないと、優しい八神は暮野を励ましてくれる。そしてこう付け足すのだ。短大卒の資格を得られる通信制の大学に仕事をしながら通い、卒業できたら、図書館司書の資格を手に入れればいいと。暮野のためなら、八神は必死でサポートすると言ってくれた。
今思い出しても感動で涙が滲む。今の暮野には希望がある。未来がある。自由がある。それがこんなにも幸せだなんて。
未来での生活では絶対に感じられなかったこの幸せを、暮野は自分だけの幸せにはしたくないと感じている。八神の精子を暮野は今まで何度か未来に送っている。リストバンドによる確認結果の報告時に、秋元総理に渡しているのだ。秋元総理と臣とのやり取りの後、暮野は何度か未来に行った。その時、秋元総理に、もし可能ならばミッションを続けるような形で、八神の精子を提供したいと伝えていたからだ。秋元総理は穏やかに微笑み、「奇跡を願うよ」と一言返し、精子を受け取ってくれた……。
今日は、暮野は朝から配架作業を中心に仕事をしている。まだ本の居場所を完全に覚えたわけではないから、正直この作業はきつい。でも、たくさんの分野ごとに分類されている本の整理を任されることは、とても光栄なことだと感じている。自分が書架を整理することで、自分と同じように本を愛する人間達の役に立っている。そんな自己有用感が、暮野の心を熱くする。
八神は朝からずっと苦手なカウンター業務をしていた。そんな八神の必死な姿を見ていると、八神のことが益々好きになる。一体いつまで自分をこんな気持ちにさせてくれるのだろう。八神という男はマトリョーシュカのように、開けても、開けても、違う顔を見せてくれる。そのどの表情も魅力的で、暮野を決して飽きさせない。
利用客の列がだいぶ疎らになってきた頃、八神の前に中年の男が並んだ。あの見覚えのある後ろ姿は八神の父親だ。暮野は嬉しくなって配架作業の手を止めると、驚かせてやろうとそっと後ろから近づいた。
「うわっ」
背後から八神の父親の両脇腹を抓った。八神の父親は声を上げると驚きの余りしゃがみ込んだ。こんなリアクションまでもが八神と似ていて、暮野は楽しくてたまらない。
「もう! 來君か。心臓が止まるかと思ったよ」
八神の父は恥ずかしそうに立ち上がると暮野を恨めしそうに見つめた。
「はは。すみません。お父さんを見かけたのが嬉しくて、体が勝手に動いちゃいました。今日はどうしたんですか?」
暮野はそう言って、八神を見つめ微笑んだ。
八神の父親とは、自分達の関係を正直に打ち明けたにも係わらず、良好な関係を築けている。まさか、息子が男の恋人を紹介してくるなんて。少しは覚悟をしていたらしいが、それでもかなり驚いていた。でも、元来優しい八神の父親は、偏見など持たず、そんな自分達を温かく受け入れてくれた。
「ああ、二人に用があったんだ。なあ、仕事が終わったら一緒に夕飯でも食べないか? 二人にちょっと話しがあるんだ」
「話し?」
八神が怪訝な顔をしながら、間髪置かず聞き返した。
「そう。終わったら電話をくれないかな。いつもの居酒屋で待ってるから」
八神の父親は、暮野のお気に入りの居酒屋の名を言うと、返却本をカウンターに置き、「じゃあ」と言い、去って行った。
「話しって何だ?」
暮野はそう言うと、八神は意味深な顔で虚空を見つめていた。
「……ついに話す気になったのかな」
「え?」
聞きき取れない独り言のような八神の声に、暮野はそう聞き返したが、父親が返した本を抱きかかえるようにして持ちながら、八神はぼんやりと考え事に耽っている。
「優弥……優弥?」
暮野は八神の顔の前に、揺らしながら掌を翳すと、八神は我に返ったように可愛い大きな目を見開き、暮野を見つめた。
「あっ、ごめん」
弾かれたようにそう言った八神が少しだけ気になったが、暮野は三人で夕飯を食べられる事が嬉しくて、八神に「じゃあ、あとで」と言うと、スキップでもしたくなる気分を抑えながら、配架作業をしていた書架へと戻った。
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