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yagami14
週末ということも相まって、行きつけの居酒屋は、がやがやと賑やかに混み合っていた。父親が席を取っておいてくれたおかげで、八神と暮野は、一番目立たない左奥の、四人掛けのテーブル席に腰掛けることができた。
焼き鳥と揚げ出し豆腐が暮野のお気に入り。初めてこの居酒屋に二人で入った時、暮野は目を輝かせながら運ばれた料理を見つめると、それらをとても旨そうに食べた。八神はその時の暮野の幸せそうな顔が、今でも強く目に焼き付いている。そんな暮野は、今日も今から何を頼もうかと、メニュー表を爛爛とした目で凝視している。
「悪かったね。突然。二人にどうしても聞いてほしい話があってね」
父親はそう言うと、勝手に生ビールを三つ店員に頼んだ。
八神と暮野が一緒に暮らし始めたため、父親はアパートに今一人で暮らしている。母親が時たま父親に会いにアパートに来るので、二人の関係は特に変わらず今まで通りのようだ。八神もたまにアパートに帰り、親子水入らずに一晩過ごしたこともある。心のどこかに未だ釈然としない思いが滞っていたりもするが、三人で過ごす時間はとても落ち着けて、心が和むのは確かだ。
父親はいつもより少しだけそわそわとしていた。そんな父親の様子が、八神にはさっきから気になってしょうがない。話しをしたい内容はだいたい察しが付く。でも、どうして暮野も一緒に父親の話を聞く必要があるのか。それが八神を少しだけ不安にさせた。
店員が元気よく生ビール三つと、暮野が選んだつまみを運んできた。暮野は未だこの世界の住人に見えない時がある。すべてを物珍しそうに見つめ、瞳を輝かせる姿が特に。八神はそんな暮野を見ていて本当に飽きない。人生を活き活きと謳歌している姿はキラキラと輝いていて、八神は、暮野の正体がいつか誰かにバレてしまうんじゃないかといつもハラハラしてしまう。
「乾杯しよう」
父親はいきなりそう言うと、嬉しそうにビールジョッキを持ち上げた。かちんと大きな音を鳴らし三人で乾杯する。まるで何かを祝うみたいに。
「話ってさ、あれだよね? 僕が前に聞いたこと」
八神は我慢できず、もったぶるようにビールを飲み続ける父親に言った。
「え? ああ……そうだよ」
父親はビールジョッキをテーブルにゆっくり戻すと、神妙な顔で八神を見つめた。
父親の話の内容が予想通りだと分かったら、八神の体に途端に緊張が走った。酒があまり強くない八神でも、今なら、いくらビールを飲んでも酔えないと感じるほどに、頭がすうっと冷えていく。
「……私はね、ゲイなんだ」
「え……」
八神と暮野は同時にそう言って顔を見合わせた。お互いを見つめる瞳が多分同じように驚きで見開いているのは確かだ。二人はあまりの衝撃に言葉を発することができず、どちらからともなく目を反らすと、八神は意味もなくビールジョッキに視線を移した。
「ごめんよ。優弥。今になってこんな大切なことを打ち明けることを許してほしい。優弥が今とても幸せそうだから、今なら私の話を受け入れてくれるかと思ってね」
(嘘だ、嘘だ……そんなこと!)
八神は自分の父親を改めて見つめた。自分のことをいつも気にかけ愛してくれた父親は、実は本当の父親ではないと知った時のような気分を味わう。遠い。ひどく遠い存在となって、今、八神の前に父親は存在している。
「優弥の母親はね、私の恋人だった男性の妹なんだ。優弥はその彼女と、私との人工授精で生まれ子なんだよ。私と彼はね、どうしても子どもが欲しかったんだ。本当に、どうしても。だから彼と一番近い遺伝子を持った彼の妹に、卵子を提供してもらったんだ。それで無事優弥が生まれたんだが、その直後だよ、彼が交通事故で亡くなってしまって……。彼の妹、優弥の母親はね、私に密かに恋をしていたんだ。だから、彼の死後、私と一緒に優弥を育てたいって、強く懇願してきて……私は優弥には母親が必要だと思ったから、彼女の申し出を受け入れたんだ」
父親の衝撃的な言葉の羅列に、八神は自分がこの世に半分しか存在していないような不確定さに足元がぐらつく。誰かにしがみついていないと、残り半分も消えてなくなってしまいそうな虚しさに襲われ、八神は、慌てて隣に座る暮野の服の袖を、ぎゅっと掴んだ。
「身勝手だって罵ってくれてもいいよ。でも、私とお母さんは後悔していない。だってこんなに素晴らしい子を手に入れたんだもの」
「……素晴らしく、なんか……」
八神は俯き拳を握りしめながら、絞りだすようにそう言った。
「優弥は自分にもっと自信を持つべきだよ。とても勿体ない。その魅力をたくさんの人に知ってほしいな」
「……っに言ってんの?」
「ん?」
「何っ、言ってんだよ! そんな話聞かされて、はいそうですかなんて言えると思ってんの?」
「優弥……」
暮野が優弥の固く握っている手の上に、自分の手をそっと優しく乗せた。
「落ち着いて。お父さんの話、最後まで聞こう」
「來……」
八神は泣きたい気持ちをぐっと堪えながら、力強く握っていた手を緩め、掌を返すと、暮野の手を強く握り返した。温かいその手が少しだけ八神の逆立った心を滑らかにする。ただ、もちろん父親がゲイだというこにショックは隠せない。自分が今、同性の恋人と一緒に暮らしていることを棚に上げていることも、暮野がゲイなことも十分承知の上だ。それでも、どうして? という疑問が沸々と浮かんできてしまう。
「色んな夫婦の形があってもいいと思うんだ。私たちみたいに、セクシャルには繋がらなくても、心で繋がってるみたいな関係とかね。だから今でも私はお母さんと仲良しだよ。一緒に優弥の成長を見守っているし。ただね、優弥が成人したのを機会に、お互いに自分の人生を生きようと決めて離婚をしたんだ。それまでは二人で、責任を持って優弥を育てたんだよ」
八神は両親が離婚をするまでの、三人で生きてきた時間を思いだす。自分はひどく人との関りが苦手で不器用で、いつも孤独で、寂しそうに見えていただろう。そんな我が子を両親はとても歯がゆく感じ、残念に思っていたに違いない。それでも両親は、何も余計なことは言わず、ただ自分を温かく見守り続けた。そこにあるのはありのままの八神を受け入れてくれる深い愛だ。よくよく思い返しても、三人の時間には「愛」しか見当たらない。
「ああ……くそっ、悔しいな。愛しか見当たらない」
「え?」
父親がそう聞き返した。
「僕は、二人に何を与えたのかな……なんにも、与えてないよね?」
「優弥?」
父親が包み込むような目で自分を見つめる。その目は、八神を写し取る鏡のように澄んでいる。
「悔しいな。僕、ずっと、臆病だったな……」
両親を喜ばせることなど何もできず、ただただ、自分の殻に閉じこもっていた自分が恥ずかしくてたまらない。自分は親の愛を当たり前のように一心に受け、それを甘受していただけ。
「そんなことない。沢山もらってるよ。優弥の存在自体が、私たちに生きる力をくれるんだからね」
「父さん……」
普通じゃない自分の両親も、やっぱり普通じゃなかった。八神はその事実をゆっくりと深く、受け入れる努力をする。自分たちの普通じゃない家族の形は、その辺の普通の家族より形はいびつでも、中身はとっても濃い愛で満ちている。八神はそれで十分ではないかと思えた。父親は今日、八神に家族の大切さを教え、八神に生きる力を与えてくれたのだから。その事実さえあれば、家族の形など本当はどうでもいいのではないかと……。
「父さん。僕今、お母さんに会いたいよ。また今度、アパートに三人で泊まろう」
「優弥……」
父親は軽く目を見開くと、顔を崩して下を向き、肩を小刻みに震わせた。
「ああ……いいよ。優弥。泊まろう。何回でも……」
「うん。父さん……ありがとう」
「あ、ちょっと、俺も仲間に入れてくださいよ」
暮野はわざと軽い調子でそう言ったが、暮野の瞳が、さっきからずっと綺麗に潤んでいることに八神は気づいている。
父親と八神は顔を見合わすと「もちろん」とお互いに声を合わせて言った。そして、三人で改めてビールジョッキうを掴むと「もう一度改めて乾杯しよう」と、暮野がとびきりの笑顔でそう言った。
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