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第12話 内需

チーム結成から数日が過ぎた、平日の昼下がり。 作戦室となっているコネクトプロダクションズのミーティングルームで、誠は一人、リストとにらみっこをしていた。 今日も朝から都内の主要なイベントスペースに片っ端から電話をかけ、何度目かわからないキャンセル待ちの確認をしている。返ってくるのは、丁寧で無慈悲な断りの言葉ばかりだった。 (…どこも、全滅か) テーブルの上には、無数の「NG」の赤字が引かれたリストが広げられている。 チームの仲間たちはそれぞれこのプロジェクトのために動いてくれている。みんな本業があるから、誠が作戦室に一人でいることは珍しくない。 玲二は以前から決まっていたタイアップの撮影へ。 嘉納は自身のブランドの次のコレクションの重要な打ち合わせがあると言って、昼過ぎに激励の差し入れだけを置いて慌ただしく帰っていった。 フリーランスである潮も別の大きな現場の立ち合いで、今日は顔を見せられそうにない。 つまり、このプロジェクトの最も困難な局面で、作戦室という名の戦場にいるのは、誠ただ一人だった。 プロデューサーとして、この壁を自分一人の力で乗り越えなければならない。その重圧が、彼の肩にずしりとのしかかる。 クラウドファンディングの計画は嘉納と詰め、プロモーション映像の構成も固まった。チームの士気も最高潮だ。 肝心の「城」が決まらない。 渋谷、表参道、原宿…。若者が集まる一等地でこの規模の展示とイベントが可能な会場は、どこも数ヶ月先まで予約で埋め尽くされているか、まだ実績のないこの企画に対して法外な保証金を要求してきた。 資金調達と並行して動いているとはいえ、会場と日程が確定しなければクラウドファンディングの告知も、プロモーションの本格始動もできない。プロジェクトが、根幹の部分で完全に暗礁に乗り上げていた。 同日、夕方6時過ぎ。オフィスの人間が一人、また一人と帰路につく時間。 誠が最後の望みを託してかけた電話からも、つれない返事が返ってきた、まさにその時だった。 「まだいたのか、マコ。随分と根を詰めてるじゃないか」 静寂を破ってミーティングルームに顔を覗かせたのは、社内で海外プロジェクトを動かしているはずの、犀川だった。 「ピロか…。お疲れ…」 「会場探しで難航中、か。渋谷、表参道…随分と王道を攻めてるな」 犀川はテーブルの上のリストを一瞥しただけで、瞬時に状況を看破する。誠は自分の不甲斐なさを見透かされたようで、きつく唇を噛んだ。 「…まあ、少し。でも、俺がなんとかするよ」 その強がりを、犀川は鼻で笑った。 「おい、そう肩肘張るなよ。そのクラスの会場をこの時期に新規の企画で押さえるのがどれだけ無茶か、お前だってプロデューサーなら分かるだろ」 彼は壁に寄りかかると、楽しそうに、どこか試すような目で誠を見た。 「俺の人脈に頼って、これ以上借りを作るのは避けたい、ってわけか?」 誠が何かを言う前に、犀川は自分のスマートフォンを取り出し、慣れた手つきで電話帳をスクロールさせた。 「代官山に一つある。表通りから一本入った、ガラス張りのアトリウムが売りの、まだオープンして半年のイベントギャラリーだ。オーナーが昔ミラノの案件で俺が世話した奴でな。少しは無茶を聞いてくれるかもしれん」 そして彼は、その場で電話をかけた。誠が何日もかけて門前払いされ続けてきた交渉を、たった数分の、ごく個人的な会話でいとも容易く覆していく。 「――ああ、田中さん? 犀川です。ご無沙汰してます。…ええ、おかげさまで。早速ですが一つお願いがありましてね。ウチの生稲っていう優秀なプロデューサーがいるんですが…ええ、あの嘉納の独立を仕掛けた男です。彼が八月から九月のうち、三週間ほどの箱を探してましてね。…ああ、やっぱり埋まってますか。…そこを何とか。僕からの、一生のお願いです。ええ、必ず話題になるショーにさせますから。…本当ですか!助かります。恩に着ますよ。では、明日の朝、本人から連絡させますので」 電話を切った犀川は、呆然と立ち尽くす誠に向かってスマートフォンをひらひらと振った。 「九月のラスト二週間、仮で押さえてくれたそうだ。明日の朝一番で、担当者に正式な企画書を送れ。俺の顔に泥を塗るなよ。お前が本気だってんなら、お前に足りない人脈があるやつは、親でもライバルでもなんでも使え。くだらないプライドなんか、とっととどぶに捨てとけ。わかったか」 それは、圧倒的な実力差だった。誠が何日もかけてどうしてもこじ開けられなかった扉を、この男は過去の人脈という名の鍵でいとも容易く開けてみせたのだ。 胸に渦巻くのは感謝と、そして自分の無力さへのどうしようもないほどの悔しさ。誠は、言葉を失っていた。 犀川は部屋を出ていく直前、そんな誠の葛藤を見透かすように振り返って、静かに言った。 「成功させろよ、マコ。ヨーロッパ行きを蹴ってまでお前が選んだその物語が、どれほどの価値があるのか、俺にも見せてみろ」 その背中が去った後、誠はしばらくの間動けなかった。 しんと静まり返った作戦室。テーブルの上には、彼の敗北の記録である赤字だらけのリストがまだそこにある。 (…また、だ。また、俺は、この人に助けられてる) 脳裏に三年前の記憶が蘇る。嘉納の、あの伝説のローンチパーティー。俺が創り上げた完璧な空間。その「舞台」そのものは、嘉納の、そしてこの男の人脈がなければ決して手に入らなかったのだ。 (どんなに空間演出や音響、光の総合演出をまとめるひらめきに恵まれていても、会場という、泥臭い人脈が必要な部分が、俺は弱い…) 犀川の言葉は、その、誠がずっと目をそらし続けてきた自分自身のコンプレックスを、的確に、そして容赦なく暴き出していた。 (ちゃんと認めて、頼るべきは頼れ。そういうことか…) (俺は、いつだってそうだ。肝心なところで、この人の掌の上だ…) その感謝と屈辱。二つの相反する感情が、誠の胸を激しくかき乱した。 そして、静かに、固く拳を握りしめる。 借りなどでは、ない。 この恩は、そしてこの屈辱は、必ずこの個展の圧倒的な成功で返してみせる。 プロデューサーとしての、新たな、そしてより強固な覚悟が、誠の胸に静かに灯った瞬間だった。

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