19 / 23

第19話 クラウドファンディング

予告編第三弾が公開され、SNSの空気が「謎解き」から「応援」へと完全に変わった、週明けの月曜、夜9時。 コネクトプロダクションズの作戦室は、息を呑むような緊張感に包まれていた。 モニターには、今まさに公開されようとしている、クラウドファンディングのページが映し出されている。目標金額、500万円。失敗すれば、個展の規模は大幅に縮小せざるを得ない。成功すれば、彼らの逆襲は、絶対的なものになる。 「…時間だ」 プロデューサーである誠が、静かに告げた。 隣に座る玲二の指が、かすかに震えているのを、誠は感じていた。潮と嘉納も、固唾をのんでモニターを見つめている。 誠は、玲二の手の上に、そっと自分の手を重ねた。玲二が、こくりと頷く。 誠の指が、エンターキーを、強く、押した。 「―――公開した」 一瞬の、沈黙。 画面の支援総額は、無慈悲なほどに、美しい「¥ 0」のままだった。 その、永遠にも思える静寂を破ったのは、潮の、かすれた声だった。 「…おい、動いたぞ」 支援総額の数字が、一瞬で「¥ 50,000」に変わっていた。VIPツアーだ。 そして、次の瞬間だった。 「うわっ!?」 まるでダムが決壊したかのように、数字が、猛烈な勢いで回転し始める。 ¥ 200,000 … ¥ 500,000 … ¥ 1,000,000 …! それは、もはや数字の更新ではなかった。支援という名の、圧倒的な奔流だった。 「5分で…300万、超えた…」 誰かが、呆然と呟く。 そして、プロジェクト公開から、わずか10分後。 作戦室にいた全員が、その瞬間を目撃した。 【目標金額、達成しました!】 画面に、祝福のバナーが表示される。でも、数字の回転は、まだ止まらない。120%、150%、200%…。 「……やったな、誠!」 潮が、誠の肩を力強く叩く。嘉納が、静かに拍手をしている。 けれど、誠と玲二は、数字よりも、その下に、滝のように流れ続ける、もう一つの奔流に釘付けになっていた。 それは、支援者たちからの、温かい応援メッセージだった。 『私たちの支援は、あなたたちの「真実」への投票です。勇気をありがとう』 『かつて、何も知らずに憶測で語ってしまった一人です。これは、私の謝罪と、二人への心からのエールです。どうか、幸せになってください』 『VIPツアー、支援しました。単なる内覧会じゃない。愛が勝つ瞬間を、この目で見届けるための、証人になるためのチケットです』 『これはもう、二人の物語じゃない。私たちの物語です。最高の結末を、一緒に作りましょう』 「……誠、さん…」 玲二の瞳から、大粒の涙が、次々と零れ落ちていく。 彼があれほど恐れていた世界は、彼が思っていたよりも、ずっと、ずっと優しかった。 誠は、モニターに表示された圧倒的な数字と、そこに連なる温かい言葉の奔流を、ただ見つめていた。これはもう、単なる「期待」ではない。世間が、俺たちの物語の結末を、その「真実」を、固唾をのんで待っている。 その重みに、そして、隣で泣く恋人の姿に、誠の胸も熱く、張り裂けそうだった。 その、静かで、エモーショナルな空気を豪快に破ったのは、潮だった。 「おい!いつまで二人でいい雰囲気で泣いてんだ!祝杯だろ、こういう時は!」 そう叫ぶと、潮は部屋の隅に置いていた大きなクーラーボックスから、キンキンに冷えたシャンパンのボトルを取り出した。その隣では、嘉納が、いつの間に用意したのか、瀟洒なデリの紙袋から生ハムやオリーブの皿を、呆れたように、けれど楽しそうに並べている。 「ポンッ!」という、景気のいい音と共に、シャンパンのコルクが天井に飛ぶ。 「うわっ!」と驚く玲二のグラスに、潮がなみなみと黄金色の泡を注いでいく。 「ほら、マコも!」 「ああ…」 誠が差し出したグラスにも、泡が満たされる。テーブルの中央には、いつの間にか誠が注文していた、ピザの箱がいくつも積まれていた。 「それじゃあ…」 潮が、自分のグラスを高々と掲げる。 「俺たちの、最高の逆襲劇の成功を祈って!乾杯!」 「「「乾杯!」」」 カチン、とグラスが触れ合う澄んだ音が、作戦室に響き渡った。 シャンパンを一気に煽った潮が、「うめえ!」と叫ぶ。嘉納は、優雅な仕草でワイングラス(自前らしい)を傾け、誠のピザを見て鼻を鳴らした。 「ちょっと誠、打ち上げがピザって、あんたのそのセンス、どうにかならないの?」 「うるせえ。こういう時はピザが一番なんだよ」 玲二は、まだ少し涙声のまま、それでも幸せそうに笑いながら、一番大きなピザを手に取ると、その一切れを誠の口元に運んだ。 「誠さん、…あーん」 「はあ!?やめろ、馬鹿!」 「いいじゃないですか。ほら、今日のMVPなんですから」 真っ赤になって抵抗する誠の口に、玲二は楽しそうにピザを押し込む。その、あまりに甘い光景に、親友二人が黙っているはずもなかった。 「うわー、始まったよ」と潮が頭を抱える。「目の前でイチャつくな!ピザがまずくなるだろうが!」 「あらあら」と嘉納が面白そうに目を細める。「さっきまであんなに手厳しい顔してたプロデューサー様も、すっかり牙を抜かれちゃって。まあ、マコちゃんが可愛いから許してあげるわ」 「だから、照れてねえって言ってんだろ!」 「マコちゃん、顔、真っ赤よ」 「これは酒のせいだ!」 仲間からの容赦ないツッコミと、恋人からの愛情のこもった「あーん」の追撃。完全に包囲された誠は、「…お前ら、覚えとけよ…」と、幸せな降伏宣言をするしかなかった。 作戦室には、四人の楽しそうな笑い声が響き渡る。 モニターの画面では、クラウドファンディングの支援総額が、目標金額の300%を超えて、まだ静かに増え続けていた。 それは、彼らが「チーム」として掴んだ、最初の、そして最高の勝利の味だった。

ともだちにシェアしよう!